ちくま学芸文庫

無類のトマス入門
生地竹郎訳『聖トマス・アクィナス』より

「ブラウン神父」シリーズで知られる作家G.K.チェスタトン。彼はまた数々の評伝を書きました。なかでも『聖トマス・アクィナス』は中世最大の人物の核心を見事に掬い上げ、専門家から高い評価を得た作品です。ここに「はしがき」を転載いたします。どうぞご一読くださいませ。

 今よりももっと世に知られて然るべきひとりの偉大な歴史的人物の一般向けの概説書――それが偽らぬ本書の狙いである。もし本書が聖トマス・アクィナスに関してほとんど聞いたこともないような読者を導いて、彼についてのさらに優れた書物へと誘う働きをすることになれば、本書の目的は達せられるであろう。この必然の制約から生じる結果については、最初からご斟酌をお願いしておかねばなるまい。
 第一に、この物語は、主として、聖トマスと同じ教派に属する人、つまりカトリック信徒ではなくて、孔子やマホメットに対して私が持っているのと同じような興味を彼に対してたぶん持っている人びとのために書かれたのである。だが、その反面、はっきりした輪郭を示す必要から、考え方を異にする人びとの間に存在する他のさまざまな輪郭を持った思想の中へ割り込んでいくことにもなる。もしもネルソン〔イギリス海軍提督。1758-1805〕の略伝を、主として外国人のために書くとすれば、私はイギリス人なら誰でも知っているたくさんのことを念入りに説明する反面、簡潔にするために、イギリス人の多くが知りたがっているたくさんの詳細をおそらく割愛することになるであろう。だが、そうはいっても、彼がフランスと戦った事実をまったく隠して、なお生き生きとして感動的なネルソン物語を書くことは困難である。聖トマスの略伝を描いて、異端者との戦いの事実を隠すのは無益であろうが、それにもかかわらず、事実そのものが、事実を記す目的の妨げになることもありうるのである。私にとってできるのはただ、私を異端者とみなす人びとが「著者チェスタトンの確信は述べられているが、聖トマスの確信のほうは確かに述べられていない」という非難を私にむけることはなかろう、という希望と確信とを表明することだけである。このような問題がこのような簡単至極の物語とかかわるのは、ただ一点においてである。その点というのは私がこの本の中で一、二度表明していることだが、16世紀の離教、つまりいわゆる宗教改革は、実は13世紀の悲観主義者の反逆の蒸し返しだという確信である。それはアリストテレス的寛大さに対する古きアウグスティヌス的ピューリタニズムの逆流である。これなしには、わが歴史的人物を歴史上に位置づけることは私にはできない。しかし、本書の目的はただ風景の中のひとりの人物をざっと描くことだけで、たくさんの人物のいる風景を描くことではないのである。
 第二に、そのように単純化してしまった場合には、彼が哲学を持っていたことを示す以上に、この哲学者について多くを語ることはほとんどできない、ということになる。いってみれば私は彼の哲学の見本を若干示しただけである。結局、神学を十分に扱うことはほとんど不可能に近いということになる。知り合いのある婦人は、注釈つきの聖トマスの抜粋本を手にとり、希望をもって「神の単純性」という罪のない一章を読み始めた。やがて彼女はため息をついてその本を置くと、「これが神の単純性というものなら、神の複雑性というのはどんなものかしら」と言った。彼女の素晴らしいトマス注釈はそれなりに面白いけれど、この本はちょっと見ただけで、彼女と同じようなため息とともに投げ出してもらいたくはないのである。私は、伝記は哲学に人を導き、哲学は神学に人を導くと考えてきたものであるが、私にできるのは、せいぜいこの物語の第一の段階の彼方へ読者を連れて行くことだけであろうと思う。
 第三に、聞きなれない用語で、現代の大衆を恐怖に陥れようとして、中世の悪魔学の文章をリプリントして、しばしば必死になって俗受けを狙っている批評家がいるが、私は彼らを気にとめる必要があるとは思わない。アクィナスと彼の同時代人たちのすべて、および、その後数世紀に及ぶその反対者たちが、悪魔とかそれに類似する事実を信じていたことは、当然のことながら、教育のある人びとは知っている。しかし、そういったことについて述べる価値があるとは私は考えない。その理由は簡単である。そういったことによって聖トマスの人間像をひき立て、きわだたせる助けにはならないからである。悪魔学については、プロテスタントであれ、カトリックであれ、いやしくも神学が存在した数世紀間は、神学者間に意見の不一致はなかった。聖トマスは同じような見解を保持してはいたが、どちらかといえば、穏健な態度であったという以外にきわだったものはない。私がそれを論じなかったのは、隠す必要があったからではなく、ここで私が明らかにする義務のあるひとりの人物の人格とそれが少しも関係ないからである。実のところ、このような人物をそのような枠に入れる余地はほとんどない。

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