ちくまプリマー新書

新宿御苑や明治神宮、東京でもカブトムシは見つけられる!
『カブトムシの謎をとく』より本文を一部公開

ほんとうに夜型なのか、天敵は何なのか、大きさはどうやって決まるのか。カブトムシの生態を解き明かすとともに、自然研究の魅力をたのしく伝える『カブトムシの謎をとく』より本文の一部を公開します!

カブトムシと人間との深いつながり

 カブトムシが好む最も一般的な環境は、里山とよばれる、田畑と雑木林がモザイク状に入り混じった環境です。里山がカブトムシにとって住みやすい環境と言われるのは、幼虫の生息場所と成虫の生息場所がセットになって存在しているためです。たとえば、里山では農業のための肥料として、堆肥や腐葉土が作られ、そこがカブトムシの幼虫にとって重要な餌場になります。先ほど説明したように、カブトムシの幼虫がうまく育つためには、落ち葉が発酵し、十分に分解されている必要があります。しかし、自然の力だけで落ち葉がうまく発酵することはめったにありません。また、大食漢の幼虫を支えるほど落ち葉が深く堆積することもほとんどありません。人が落ち葉を集め、そこに牛糞や米ぬかなどの有機物を混ぜ込むことで、カブトムシが利用しやすい餌場が作り出されます。

 また、成虫のおもな餌はクヌギの樹液です。クヌギは、建築用資材、薪燃料、シイタケ栽培用のほだ木、あるいは刈敷(田植え前の水田に敷くための肥料)として欠かせない植物で、農業活動と切っても切り離せない関係にありました。クヌギはもともと日本にあったわけではなく、縄文時代から弥生時代に、稲作や農耕の文化とともに、渡来人によって朝鮮半島から持ち込まれました(Saito et al. 2017)。人は古くから自分たちが利用しやすいように、生活圏内にクヌギの木を植えてきました。現在でも、クヌギの林は山奥ではなく人里に多く見られるのはそのためです。

 ところで、すべてのクヌギの木に樹液場があるわけではありません。香川県で行われた研究によると、樹液場を持つクヌギの木は、クヌギ全体のわずか5%に過ぎませんでした(市川&上田2010)。クヌギは優れた自己治癒力を持っています。たとえば人がクヌギの木にドリルで深く穴をあけると、しばらくの間は樹液が染み出し、昆虫が集まりますが、数週間経つと植物の力によって埋められてゆき、翌年にはどこに穴をあけたかも分からなくなってしまいます。あるいは、根元の方から幹を切り落としたとしても、切り株からたくさんのひこばえが生え、息を吹き返します(萌芽更新)。このような生命力の高さこそが、クヌギが人に重宝されてきた理由の一つでもあります。しかし、シーズンを通して長期間、あるいは毎年のように同じ箇所から樹液が噴き出し〝ご神木〞として地元の昆虫少年・少女たちに愛されるような木も存在します。なぜそのような木では傷口が修復されてしまわないのでしょうか?

 夏の夜に樹液場を訪れると、5㎝ ほどの大きなイモムシが樹皮の隙間に潜んでいることがあります。このイモムシこそが、樹液場の形成に重要な役割を果たしていることが分かってきました(市川&上田2010)。このイモムシは、ボクトウガというガの幼虫です。生きたクヌギの樹皮の下に潜り込み、坑道を作りながら木の中を食べ進みます。ボクトウガはクヌギの内部を継続的に食害するため、食害痕から樹液が流れ続けます。ちなみに、ボクトウガは、肉食性の一面を持っており、樹液を食べにやってきたハエなどの小さな昆虫を捕食することもあるようです。先に紹介した香川県の調査では、樹液場を持つ木のうち93%でボクトウガが確認されたとのことで、ボクトウガがいかに重要かが分かると思います。樹液場の形成に関わる他の昆虫として、キクイムシなどの甲虫やオオスズメバチなどが挙げられますが、それらの昆虫は樹皮に浅い傷をつけるだけのため、比較的短期間で傷口が修復されてしまい、何年も連続して樹液が出続けることはありません。また、人が定期的に手入れをしている林の方が、放置された林よりも、樹液場をもつクヌギの割合が多いと言われており、人が枝打ちなどで与えたダメージを通して、ボクトウガが木部に侵入する可能性もあります(ただし、枝打ちされた箇所から樹液が染み出すわけではありません)。つまり、樹液場は、人間と昆虫の相互作用により作り出されるのです。

都会派のカブトムシ

 里山がカブトムシの生息地としていかに優れているか理解してもらえたと思います。では、里山がないとカブトムシは生活できないのでしょうか? じつは、関東地方ではカブトムシは都会の緑地にもたくさん生息しています。明治神宮や新宿御苑のような大規模緑地はもちろんのこと、もっと小さな公園、社寺や学校の敷地などでも、たくさんのカブトムシが見つかることがあります。都心部の緑地は残念ながら昆虫採集が禁止されていることも多いのですが、カブトムシに出会いたいという方は、こんな街の中にはいないだろう、という先入観を捨てて、じっくり探してみてください。

 かつての私の調査地の一つは、東京の目黒区内の小さな緑地です。渋谷から歩いてすぐの場所でしたが、多い時には一晩で数十匹のカブトムシを観察することができました。もちろんこれらの場所は里山とは大きくかけ離れた環境です。しかし、都市緑地の林はよく管理されており、間伐や落ち葉搔きが定期的に行われます。その際に集められた落ち葉や材木を捨てるような場所でしばしば幼虫が発生します。さらに、間伐材の処理にはコストがかかるため、砕いてチップにして、発酵させ、肥料を作っている施設もあります。そのような場所は幼虫にとって格好の餌場になります。成虫が都会の緑地で何を食べているのかはよく分かりませんが、関東地方の緑地には、昔の名残なのか、クヌギが細々と残っていることが多く、それらを利用している可能性があります。あるいは、シラカシなどの、クヌギ以外の樹種を利用していることもあります。日本の里山は近年荒廃し、環境は悪化の一途をたどっていますが、カブトムシは人が新たに作り出した環境を柔軟に利用しながら繁栄を続けています。



『カブトムシの謎をとく』

好評発売中!

関連書籍