筑摩選書

南北戦争を戦った二人の日本人

アメリカ史上最大の死者を出した南北戦争、1860年代にこの戦争に参戦した日本人が存在したらしい。 図らずもアメリカに生きなければならなかった日本人の移民たちを丹念に辿った菅(七戸)美弥、北村新三『南北戦争を戦ったの日本人』が生まれる背景を著者が語ります。 (『ちくま』10月号より転載)

 南北戦争は、一八六一年四月一二日から六五年一一月一九日(南軍のリー将軍の降伏は四月九日)までの四年間にわたって戦われ、動員総数は三二六万名強。アメリカ戦史上最大の六二万名余りの戦死者を生み出した。死亡率の高さと全人口に占める戦死者の数においても最も高い、血みどろの内戦であった。

 なかでも最大の激戦地の一つが、三日間で五万名近くが死傷したゲティスバーグである。「人民の人民による人民のための政府」で有名なリンカン大統領のゲティスバーグ演説は、民主主義の原則をあらわしたものというよりはむしろ、合衆国政府が地球上から消え去らないことが、リンカンにとっての戦争の大義であったなかで、犠牲となった夥しい数の命を無駄にはしないための決意と鎮魂とに満ちていた。それもそのはず、演説は、いまだ兵士の死体が一部転がるなかで、国立墓地を建立するための記念式典に寄せたものだったのだ。

 筆者がこのゲティスバーグを訪れた際には、当時の兵士の恰好をした人々が多く出ていて、南軍兵士であれば、南部なまりで「装備や弾薬、医療品全て不足しているので、困っている」などと答えてくれた。小高い丘から風が吹いてくるなかで激戦地の雰囲気に圧倒されながらしばし佇んだ。その時には、この地での戦死者に「ジョン・トムニー」という名で仲間から尊敬を集めていた中国人兵士のことや、他の戦地に日本人がいたことを知らなかった。

 これらの史実を知った――本書執筆のきっかけ――のは、日系アメリカ人退役軍人協会のテリー・シマ氏とジェフ・モリタ氏から届いた「南北戦争に従軍した日本生まれの二人の兵士、サイモン・ダンとジョン・ウィリアムズの本名、出身地などを知りたい」との問い合わせであった。シマ氏はハワイ生まれの日系二世で、第二次大戦時には日系部隊である四四二連隊で欧州戦線に従軍、戦後GHQで働いた。第二次大戦中の貢献により二〇一二年にバラク・オバマ大統領から大統領市民勲章を授与された人物である。モリタ氏はハワイ在住の三世。問い合わせを受け取ったのは北村新三・神戸大学名誉教授である。

 アメリカの最も重要な出来事の一つである南北戦争を舞台として、日本史とアメリカ史が名もなき人々の移動を通じて思いもよらない形でつながっていたとは! アメリカ研究者の多くが知らないのだから、一般にはほとんど知られていないだろう。早速リサーチを開始した。対象としたのは、従軍史料に加えて、アメリカ・センサス(十年に一度行われる国勢調査)の調査票、死亡記録、帰化申請記録、新聞記事等々である。日本生まれの二人のうち、少なくとも一人が日本人であることは、新聞の死亡記事や病院入院時の記録から確かである。本書ではまた、南北戦争におけるマイノリティをめぐる問題の参照軸として、中国人兵士をはじめとするアジア太平洋系移民兵士の存在に光を当てた。リンカンのゲティスバーグ演説同様に、出来事の「文脈」がもっとも重要だと考えたからであった。

 入隊したブルックリンまでそれぞれ別にたどり着いた日本生まれの二人とは誰か。本書では数多の史料を検証したものの、二人の本名、出身地などの解明には至らなかった。しかし人物像を絞りこむことは出来た。現時点での推論は、開港前後の日本から移動した/移動せざるを得なかったもののうち、漂流者、密航者、使節団からの脱落者のいずれかであったというものである。なかでも漂流者ならびに使節団から脱落した人物であった可能性が高いように思われる。

 南北戦争に従軍した日本人を追究した本書では、日本人漂流者・密航者・使節団たちが遭遇し、同じ場所で同じ景色を見た時があったことや、日本人漂流者の孤独と絶望とに思いを馳せ、光を当てた。日本史とアメリカ史を名もなき人々を通じてつなぎ、環太平洋の移民・移住史を包括的に描いた本書を書き終えた今、少なくとも南北戦争時のマイノリティの置かれた状況――その過酷な一断面――を描くことはできたのではないかと感じている。(すが・しちのへ・みや アメリカ史)
 

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