ちくま新書

誰でも実践できる。民主主義を守るための仕組みとテクニック
『情報公開が社会を変える――調査報道記者の公文書道』はじめに

調査報道記者としてこれまで1000件もの情報公開請求を行い、数々のスクープを報じてきた著者が、長年の経験をもとに、情報公開の仕組みと請求テクニックを詳細に記した新刊『情報公開が社会を変える―調査報道記者の公文書道』(ちくま新書)より、「はじめに」を公開します。

 2022年10月下旬、私の元に分厚い冊子が届いた。送り主は茨城県つくば市に住む大石光伸さん。日本原子力発電東海第二原発(茨城県東海村)の運転差し止めを求める民事訴訟の原告団共同代表だ。冊子は直前にあった原告団の総会で配られた議案書の資料編だった。「なぜ私に送ってくれたのだろう?」と、少し訝しく思いながらページをめくっていくと、そこには東海第二原発の避難計画に関する非公開の資料を原告たち自身が情報公開請求していった経緯が書かれていた。それは私が原告団に勧めたことだった。
 水戸地裁は2021年3月、避難計画の不備を理由に同原発の運転差し止めを命じる判決を下した。原発避難計画を理由とする初の住民勝訴判決だったが、約800ページに及ぶ長大な判決文を読んでみると、防災対象範囲とされる原発30キロ圏内の14市町村のうち9市町村が避難計画を未策定であること以外、避難計画を「不備」と判断した理由が見当たらない。要は避難計画の中身にはほとんど触れていなかった。
 まったくの偶然だったが、私は水戸地裁判決の二カ月ほど前から、原発避難計画がいかにハリボテかを暴露する調査報道を毎日新聞紙上で展開していた。避難計画の策定はまず、茨城県が30キロ圏外の市町村にある学校体育館など避難所の面積を調べることから始まった。その後、「一人あたり専有面積二平方メートル」の基準に沿って、避難所面積を2で割って避難先市町村ごとの収容(可能)人数を割り出し、30キロ圏内の全住民が避難所に入れるよう避難元市町村にあてがっていく(この作業は「マッチング」と呼ばれている)。ところで、東海第二原発は30キロ圏内の人口が国内の原発で最多の94万人(当時)で、実効性ある避難計画の策定が当初から疑問視されていた。それでも2018年までに避難元(30キロ圏内)の14市町村が避難先(30キロ圏外)の計131市町村(茨城のほか近隣の福島、栃木、群馬、千葉、埼玉の六県)と避難協定の締結を終え、94万人の収容先は確保された、はずだった。
 しかし私が同僚記者とともに、茨城県が2回にわたって密かに実施した面積調査の資料を情報公開請求で入手して分析したところ、茨城県内の避難先(30キロ圏外)の30市町村の実に半分にあたる15市町村で、トイレや玄関といった避難生活に使えないスペースも含む建物総面積をもとに収容人数を過大算定していたことが判明した。その中には予定していた避難者数を収容できない避難所不足に陥っていた市町村もあった。しかも報道した時点で2回目の調査から2年以上が過ぎていたが、茨城県は問題を一切公表していなかった。そこから感じ取れるのは実効性ある計画を作ろうという姿勢ではない。「ハリボテ」でいいからとにかく作ってしまえという、国策への盲従しか見えない。その先にあるのは原発再稼動だ。
 敗訴した日本原子力発電はすぐに控訴し、闘いの舞台は二審・東京高裁に移った。それから二カ月後、原告団から私の元に講演の依頼が舞い込んだ。「東海第二の避難計画の中身を調べる方法を教えてほしい」という。
 私は2021年6月2日、大石さんが以前に専務理事を務めていた常総生活協同組合(茨城県守谷市)を訪れた。事務所の二階にある会議室に入ると、すでに40人ほどの男女が席に着き、私を待ってくれていた。二審で勝つための材料を少しでも得ようとする熱意がひしひしと伝わってきた。
 大石さんは筑波大学で地球科学と経済学を学び、「生活や地域の暮らしに根ざした仕事がしたい」と常総生協の職員となった。1988年には福島県川俣町の酪農家と協同で山の斜面に牛を放牧する自然循環を基本とする牧場開拓を始めた。ところが、周囲の国有林を購入して開拓地を広げていた2011年3月11日、福島第一原発事故が起きた。牧場のある川俣町山木屋地区にも高濃度の放射能が降り注ぎ、避難指示区域となった。乳牛たちを殺処分するしかなかった。牧場があった場所は高さ二メートルを超える雑草が生い茂り、建物も見えなくなるほど変わり果てている。大石さんは「東海第二で事故が起きたらこうなってしまうと考えました。人生も、家族も、仕事も、暮らしも奪います。そしてもう取り返すことはできません」と熱く語った。
 大石さんによると、結果的に勝訴にこぎつけたものの、一審段階では避難計画の中身について調査が追いついておらず、結審(2020年7月)の直前になって地裁から大量の証拠提出を求められる一幕もあったという。大石さんは「おそらく水戸地裁は避難計画の不備を理由に差し止めを命じる考えを早い段階で固めていたのだと思います。こちらでもっと調査・分析をしていれば、より具体的な認定を得られていたのに、と今は反省しています」と、率直に打ち明けた。
 原発避難計画をめぐる最大の論点は「実効性の有無」とされている。簡単に言うと、福島のような過酷事故がまた起きた時、計画通りに住民が避難できるのか、ということになろうか。しかし原発避難計画は、原子力規制委員会が再稼働の可否を判断する安全審査の対象外で、策定の根拠資料はほとんど公表されていない。つまり外部からは実効性の有無を検証できない。私の調査報道は、実効性の有無を検証されないよう役所が意図的に策定プロセスを伏せている実態を暴いたものだった。
 講演の中で私はこれまでの取材経過を説明したうえで、計画策定に関する情報がすべて集まる非公開の会議と調査の資料を情報公開請求するよう勧めた。講演後の質疑応答では次々と鋭い質問が飛び出した。
「30キロ圏全住民の避難先確保を義務付ける法的根拠はありますか?」
「国と自治体が非公開でやっている会議の議事録はどうすれば手に入りますか?」
「情報公開請求は弁護士や議員、新聞記者じゃなくてもできるのでしょうか?」
 二審でも絶対に勝つ、という強い意志を感じ、私が知っている限りのことを答えた。だが一方で、「本当に請求するのだろうか?」といういくばくの疑念を内心抱いていた。これまでにも新聞やテレビの記者たちをはじめ、多くの人々に意思決定過程を記録した公文書を情報公開請求するよう勧めてきた。だが、私の説明が拙かったのかもしれないが、芳しい成果はなく、「伝えても意味がないのではないか」と自信を失いかけていたからだ。
 だが、講演から約一年半後、大石さんが送ってくれた原告団の冊子には、茨城県原子力安全対策課が市町村の担当者を集めて密かに行っている勉強会の議事録と配布資料を情報公開請求したことが紹介されていた。実は私も1年半ほど前に同じ文書を情報公開請求していたが、「公にすると率直な意見交換を不当に妨げる恐れがある」として不開示決定を受けた。その後審査請求したところ、茨城県情報公開・個人情報保護審査会が私の主張を認めて不開示決定の取り消しを求める答申を出してくれた。原告団は私のツイッターをきっかけに、公表された情報公開審査会の答申を読み、同じ文書を情報公開請求していたのだ。
 また茨城県の勉強会だけではなく、国(内閣府原子力防災担当)が主催する「東海第二地域原子力防災協議会作業部会」についても、原告団と一部メンバーが重なる茨城県内の別団体で配布資料と市町村の担当者が上司に提出した会議報告書(復命書)を各市町村に情報公開請求していた。市町村から開示された資料はこれまで公表されていなかったものも多く、策定プロセスがまた一つ明らかになった。彼らの情熱は私の想像を超えるものだった。
 原発再稼働や避難計画に限らず、役所が一方的に決めた政策はまるで災厄のように市民一人ひとりの身に降りかかってくる。最近で言えば、2020東京五輪、マイナンバーカードなどもそうかもしれない。国だけではない。ごみ処理場や工場の建設予定地の選定、子どものいじめなど地域の問題も同様だ。災厄をもたらす歪んだ政策の共通点は、市民にとってのメリットが疑わしく、結論や負担だけを市民に押し付け、意思決定過程が不透明なことだ。
 プレーヤーの不正はアンパイアやルールメーカーに罰してもらえばいい。だが、アンパイアやルールメーカーである役所のアンフェアはなかなか厄介だ。議員や報道が市民の側に立って動いてくれるとは限らないし、警察に駆け込んでも事件にならないから捜査してくれない。最後の手段として、裁判所に訴え出るには、証拠を集めなければいけないが、すべての証拠は相手の役所が握っている。
 役所はすべての証拠を必ず隠し持っている。意思決定過程は後に検証できるよう文書を作成しなければならないからだ。小役人たちは自らの保身のためにも公文書を残しているはずだ。言うまでもなく、役所が保有する公文書は役所の所有物ではなく市民の共有財産だ。だから市民は「隠さずに出せ」と役所に求めることができる。これは役人の温情にすがる「お願いごと」ではなく、また議員や記者など限られた人にだけ与えられた特権でもない。すべての人(国籍も問わない)が法律や条例に基づき行使できる正当な「権利」なのだ。
 だから本音は隠したい公文書も、役所は「これは隠したいから出しません」と言うことができず、例外的に不開示が認められる条文にこじつけるか、あるいは「個人メモ」とか「廃棄済み」とか言い募り、「公文書ではない」という体裁で不開示にするしかない。森友学園への土地払い下げをめぐる財務省の決裁文書改ざん問題や、陸上自衛隊の南スーダンPKO派遣部隊の日報問題が示したように、こうした隠蔽工作は、関わった担当者に過大なストレスを与え、組織全体のモラルを破壊する。そのうえ隠蔽工作にまで手を着けたにもかかわらず、その甲斐なく明るみに出てしまうこともある。突破口を開いてきたのは一通の情報公開請求だ。
 しかし役所が築く隠蔽の壁を突き崩すのは容易ではない。情報公開と公文書管理の両制度に関するある程度の知識に加えて、狙った通りに公文書を請求する技術や、開示された公文書を正確に読み取る分析力も必要だ。もちろん粘り強く解明を目指すモチベーションは大前提だ。それでも運やタイミングに恵まれず、たどり着けないこともあるかもしれない。
 正確に数えたことはないが、私がこれまでに出した情報公開請求は通算で計1000件ぐらいだろう。その経験を通じて、役所が隠しておきたい文書を情報公開請求で入手する方法、そして開示された公文書から政策に潜む冷酷な真意を見抜く方法を市民に伝えることができないかと考えた。
 誠に僭越ながら、長年の経験を通じて得た技術を「公文書道」と名付けた。巧妙な隠蔽をかいくぐって公文書を入手し、核心の情報にたどり着いた悪戦苦闘の記録を楽しんでもらうと同時に、自らが筆者の立場だったらどうするかという野心的な視点でも読んでもらえたらと願っている。そして、もし新たな手法を編み出したらぜひ私にも教えてほしい。そうやって「公文書道」を高め合える同志を広げていくことも、本書を世に出す大事な目的だ。
 

関連書籍