ちくま新書

なぜ「家庭」が問題となるのか

イエ、家族、夫婦、ホーム、ファミリー・・・・・・、これらを語る際に避けて通れない歴史を描いた『「家庭」の誕生』。こちらの序章の一部を公開しますので、ご覧くださいませ。

   あなたは、「家庭」という言葉を聞いて何をイメージするだろうか。
 家族と過ごしたあたたかい思い出だろうか。外で疲れたときにやすらぎをくれる家のリビングだろうか。それとも親しい人といつかは築きたい場所のことだろうか。
 あるいは、つらい記憶や、できることなら関わりをもちたくない人と過ごした過去のことだろうか。
 おそらく、この答えは人によって千差万別だろう。人と人とがそれぞれ異なるように、「家庭」のあり方や思い出もそれぞれ異なるだろう。「家庭」という言葉には、楽しい思い出やそうでない思い出も含めて、それぞれの記憶に応じたイメージがあるはずだ。
 とはいえ近年の日本社会において「家庭」は、こうしたそれぞれの思いを離れて、きわめて政治的なテーマのひとつになっている。そこでは「家庭」とはかくあるべし、ともいわんばかりの声も聞こえてくる。

こども家庭庁をめぐって
 その一例としてあげられるのが、2023年4月に発足した「こども家庭庁」のネーミングをめぐって起きた近年の一連の動向である。政府によればこども家庭庁は、子どもが健やかに育ちやすい環境づくりを目的として創設された。少子化や虐待、子どもの貧困などへの対策を念頭に置き、これまで各省庁が個別に行っていた子どもに関する政策を一元的に担っていくことが目指されているという。
 しかしこども家庭庁の発足にあたっては、「家庭」という言葉を冠した省庁ができるということで、その言葉の使用の是非が問われた。「家庭」という言葉を使うことは国家が公式的に子育てと「家庭」を結びつけることにならないか、あるいは望ましい「家庭」の姿を押しつけることにならないか。こうしたことが政治的な立場を超えて、さまざまな論者によって議論された。
 そもそもこども家庭庁には、「子ども家庭庁」から「こども庁」に名称が変わり、そこからさらに「こども家庭庁」となった経緯がある。まず「子ども家庭庁」から「こども庁」に変わった背景には、被虐待経験者たちの声があった。2021年2月から開催されている自民党有志の勉強会で、被虐待経験をもつライターの風間暁が「家庭」という言葉に苦言を呈したことがそのきっかけである。
 風間によれば、虐待を受けている子どもたちにとって「家庭」という言葉は、「毎日生きることに必死な戦場を指す言葉」である。そのため、あたたかなイメージがあるその言葉と自分たちが置かれた現実とのギャップに苦しむ子どもも多い。一人ひとりの子どもに寄り添うのであれば、「子ども家庭庁」ではなく「こども庁」に名称を変えるべきではないか。
 この発言に自民党若手議員たちは心を打たれ、「子ども家庭庁」から「こども庁」に名称を変更することになったという(なお、「子ども」が「こども」となったのは、当事者である子どもが読むことができるようにという配慮のため)[山田太郎公式HP 2021]。
 しかし「こども庁」は「こども家庭庁」として発足することになった。この名称変更には自民党保守派への配慮があったといわれる。『共同通信』の報道によれば、「こども家庭庁」への名称変更は、「伝統的家族観」を重視する自民党内保守派に配慮した結果であったという[『共同通信』2021年12月14日]。
 また『朝日新聞』によれば、「こども家庭庁」の名称にこだわった議員らは、「青少年が健全に育つには家庭がしっかりしている必要がある」、「子どもは家庭でお母さんが育てるもの。『家庭』の文字が入るのは当然だ」などと発言していたという[『朝日新聞デジタル』2021年12月20日]。
 こうした事態に対して、「こども庁」に名称を戻すべきという反対意見も沸き起こった。さきにもみた風間は、オンライン署名収集ができるウェブサイトで「『こども庁』のネーミングは、単なる名前ではありません(…)家庭が地獄である子どもでも、家庭が大好きな子どもでも、家庭が存在しない子どもでも。逆に、さまざまな事情で子どもがいない家庭のことを考えても」、「こども庁」に戻すべきであるとうったえた。このキャンペーンには、2022年7月時点で3万人を超える署名が集まっている[change.org 2021]。
 また「家庭」という言葉を冠することで、子育てをめぐる責任が「家庭」に押しつけられやすくなるのではないかということも危惧された。保育事業を手がけるコンサルタントの中村敏也は、「こども家庭庁」について、「親の無償の愛が大切で、家庭こそが子育ての中心であり、大切だという昭和的な価値観」が今後も続くのではないかと述べている[中村 2022]。
 ほかにも次のような批判もある。そもそも「家庭」という言葉を付さなければならないこと自体が、子どもを「個人」として尊重していないことなのではないのか、と。作家の山崎ナオコーラは、「『家庭』という二文字が入ったとたん、子どもも、親も、個人としての存在が消えてしまったように思いました(…)家庭も親も子も、ひとつとして同じではありません。でも、『家庭』を名前に入れた理由が、『子育ての基盤は家庭にあるから』なんて言われると―。勝手に描いた『家庭』というものに合っているかジャッジし、『足りないところは補ってやろう』という傲慢さを感じてしまいます」と述べている[『朝日新聞デジタル』2022年2月22日]。
 ひとくちに「家庭」といってもその内実はさまざまであり、すべての子どもにとって「家庭」が理想的な場であるとは限らない。また子どもと「家庭」を結びつけることは、子育ての責任を「家庭」に押しつけることや、子どもや親たちを「個人」として尊重しないことにつながらないか。「こども家庭庁」への名称変更に対しては、単なるネーミングの問題を超えて、このような懸念の声が寄せられた。
 こうした批判に対し、「こども家庭庁」の名称変更を支持した教育学者の高橋史朗は、「虐待という一つのことを以て家庭そのものを危険視するのはいかがなものか」と述べつつ、重要なのは、「崩壊しつつある家族の絆や親子の絆を、どうやって取り戻していくかということ」であり、「名称に『家庭』を入れたからといって、家庭のことだけを議論するのではない」と主張している[高橋 2021]。ちなみに高橋は、「家庭」の養育責任を強調する「親学」の提唱者としても知られ、自民党保守派への影響も強いといわれる。
 こども家庭庁が実際にどのような役割を果たしていくかは、これから明らかになるだろう。とはいえこの名称変更をめぐる議論は、あらためて「家庭」のイデオロギー性を浮き彫りにさせたといえる。「家庭」とは、母親中心の子育ての場であり、いたずらに「個人」の権利を唱えることのない情緒的な空間である。そしてこのようなあり方こそが日本の「伝統的家族観」なのである。「家庭」はこのように、保守的なキーワードとして影響力を強めているようにみえる。また「家庭」という言葉は、特定の宗教団体(世界平和統一家庭連合[旧統一教会])を連想させるものとしても注目をあびたことは記憶に新しい。

「家庭」は日本の伝統的家族観ではなかった
 実はこうした事態は、近年に特殊な現象である。というのも、「家庭」は1970年代頃までは、進歩的、革新的な論者が用いるキーワードでもあったからである。
 そもそも「家庭」は日本の「伝統的家族観」を指す言葉ではなかった。日本の伝統的家族といえば「家」がそれに該当する。しかし「家庭」は、明治期から戦後のある時期まで、それと対立的な位置にある言葉だった。
 ひとくちに「家」といっても時代、階層、地域によってさまざまなヴァリエーションがあるが、基本的には、農業や商業などの家業(経済活動)と、日々の暮らし(消費活動)が一体化している生活集団である。前近代社会における家族は、今日のように生活の場であるだけでなく、生産の場でもあった(自営業や中小企業を想起されてもよいだろう)。「家」が日本の支配的な家族モデルであった時代、たとえば江戸時代では、農家や商家、武家などさまざまな家業経営体によって社会が営まれていた。
 とりわけ上層階級の「家」においては、家長の権威が強かった。進歩的、革新的とされる論者が「家庭」の意義を論じる際に批判対象として意識していたのは、家長と構成員の縦関係を軸とする、権威主義的な家族のあり方だった。
 対して「家庭」は、夫婦の横関係を軸とした家族のあり方を指す言葉だった。夫婦間の睦み合い、夫が外で働き妻が家で家事をするという性別役割分業、そして母親による愛情をベースとした子育て、これらは「家庭」という言葉とともに広まった、それまでにない新たな生活習慣であった。「家」においては一家総出で働くことが基本であり、家業の継承のために母親よりも父親や共同体の教育役割が重視されていたからである。
 社会史や家族社会学の分野では、こうした家族のあり方を「近代家族」と呼ぶ。このネーミングには、近代社会における家族という意味合いも込められている。農業など第一次産業を中心とした前近代社会においては、多くの人びとは「家」のような生活集団で、一家総出で働く。女性が家事、育児に専念するのは、工業化が進行し、男性が企業や役所などで家族を養えるだけの賃金を得るようになってからの現象である。
 日本において「近代家族」が一部の階層によって営まれはじめるのは、明治、大正時代になってからであり、大衆化するのは昭和の高度経済成長期以降である。つまり、あまり長い歴史を有しているとはいえない。「家庭」の歴史は、ほとんどそのまま「近代家族」の歴史でもある。
 

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