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十六世紀フランスの食事と「料理書」――コンポート、薬草入りワイン、仔牛のロースト
『食卓の世界史』より本文の一部を公開!

人間はどんな時代でも、何かしらのものを食べて生きてきました。古今東西それぞれの食卓に現れるそれぞれの環境、歴史と伝統、さらには食べる人間の個性を描きだす『食卓の世界史』より本文の一部を公開します。

カトリーヌ・ド・メディシスの「伝承」あるいはイタリアとフランスの交流

 フィレンツェ発のルネサンス文化の到来という文脈で、カトリーヌ・ド・メディシス(一五一九~一五八九)の「伝承」が世界中で広められています。曰く、イタリアからフランスへ食文化が流入し、フランスの食文化が発展。そのきっかけを作ったのがカトリーヌだ、というものです。しかし、事実はそれほど単純ではありません。

 カトリーヌが一四歳で数多くの付添人を伴ってフランスに渡ったことや、そこに料理人、ペストリー職人、砂糖菓子職人らも加わっていたこと、パセリ、アーティチョーク、レタス等の食材、そしてフォークや陶器の皿などが持ち込まれたことは事実でしょう。しかし、宮廷の作法や食卓の変化からフランスでの味覚革命が起こり、フランス宮廷料理がイタリア流もしくはフィレンツェ流の香辛料を抑制した料理に変貌したというのは、伝承の範疇であると言わざるをえません。

 実際、中世以来、欧州の国々は料理の技術や食物の交流が活発で、宮廷では各国共通の料理術やレシピがありました。イタリアとフランスの間の料理のアイディアと知識の交換も一三世紀より活発で、ナポリの料理書に「フランスのやり方に従った」肉料理、「ガリア風」のエンドウ豆スープ、フランスの料理書には「ロンバルディーア(イタリア北西部にある内陸地域)風」ソテーやパイ、ポタージュなどの記述が見られます。そのため、カトリーヌが嫁いだ一五三〇年代からフランスの料理がイタリアの特徴をとらえて一気に変貌を遂げたということはありませんでした。

 一六世紀当時フランスで出版された料理書は、依然として中世の偉大な料理人タイユヴァン(一三一〇頃〜一三九五)が著した『ヴィアンディエ(料理人の書)Le Viandier』(一三九二年以前に刊行)の増補版が中心でした。イタリアからの影響としては、プラーティナ著『真の喜びと健康について』のフランス語版の出版が挙げられます。

 前述の通り、プラーティナの料理書のレシピは素材の味を生かしたシンプルなもので、香辛料を薬の代用品と捉え、薬の効果を期待するなら少量で十分としているのが特徴です。

 ところが、一六世紀のフランスの味の嗜好については、『ヴィアンディエ』の再販が最も多かったことからもわかる通り、前世紀から多用されたスパイスと酸味が好まれました。味つけと料理法は中世からの伝統を踏襲していたと言ってよいでしょう。またフランスでのプラーティナの翻訳版への興味・関心はイタリアとは異なり、健康と食事の関係性に限定されました。

 では一六世紀のフランス食文化の発展が何だったかというと、知識階級の栄養学に対する関心の高まりと、食事が宮廷儀式の一つと見なされて工夫が凝らされるようになったことから礼儀作法の教えが浸透し厳格に守られたことなどが挙げられます。

一六世紀のフランス料理書

『ヴィアンディエ』増補版と『真の喜びと健康について』以外に、一六世紀のフランスで出版された料理書は幾つかありました。一五三六年に数名の料理の達人が出版業者ピエール・セルジャンのために著した『料理の作り方に関する小論』が刊行されます。セルジャンはこの本に二〇〇以上のレシピを追加して一五三八年に『極めて便利かつ有益な料理書』として出版します。本書は中世には見られないレシピを集めた意欲作でした。

 続いて、一五四五年に作者不詳の『あらゆるジャム、コンポート、薬草入りワイン、ミュスカデおよびその他の飲み物』という本が刊行されました。内容は、コンフィテュール(果実の砂糖煮込みという意)に関するものでした。そして、日本でも有名な医者であり占星術師であるミシェル・ノストラダムス(一五〇三〜一五六六)が一五五五年に通称『化粧品とジャム論』という二部構成の書物を刊行しました。第一部は美と健康に関する論考で、第二部はハチミツ、砂糖並びにマスト(ブドウ果汁を煮詰めたもの)を加えたジャムやシロップ煮や砂糖漬けなどのレシピをまとめたものでした。これはノストラダムスが医師や占星術師として様々な技術を実践する中で得た、健康の保持と促進に役立つ処方の数々を提示しており、美食術の知識を獲得したいと思う全ての人に向けて著わしたものです。

 また、料理書ではありませんが、作家で医師のフランソワ・ラブレー(一四八三〜一五五三)が一五五二年に著した『第四之書パンタグリュエル物語』には、食事関係の描写や当時の食材や料理名が随所に書き記されています。一例を挙げると、粉砂糖を加えた仔牛の腰肉のロースト、豚の骨付き背肉オニオンソース添え、アンドゥイユ〔豚、仔牛の内臓などを詰めたソーセージ〕などが作品内の肉のリストに並んでいました。当時の料理を知る上での貴重な資料となっています。

フランスの食文化への貢献

 カトリーヌのフランスの食文化への貢献は、宮廷での祭典の浸透による食事の考え方の変化と祭典の中での礼儀作法の順守、そしてそれに伴う食事様式「コラシオン」の登場とその拡散が大きいのです。「コラシオン」とは、食後に供される軽い食事のことで、マジパン、甘いお菓子、砂糖漬け、果物、冷製のパテなど、出される食べ物のほとんどが冷たく甘いものでした。コラシオンは、正規の食事とは区別され、また調理場に隣接したデザートを作るためのオフィスと呼ばれる場所で準備されました。



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