ちくま学芸文庫

いまだ到来しない世界へ
納富信留『新版 プラトン 理想国の現在』解説

近代日本に「理想」という言葉を生んだプラトン哲学。その主著『ポリテイア』の核心を読み解き、哲学という営みが切りひらく最良の地平を描いた納富信留『プラトン 理想国の現在』が、このほど新版として文庫化されました。本書の問いかけを納富氏の足跡のなかに位置づけ、その哲学的意義をクリアに示した、熊野純彦先生による「解説」をご覧ください。

 もう20年もまえのことになる。2002年の2月、北海道大学の千葉恵が最初の単著を出版した。『アリストテレスと形而上学の可能性』と題された大冊である。千葉とわたしとのあいだには、1990年にともに北大に就職したという所縁があった。本を贈られたこともあり、たしか神田の学士会館の一室で開かれた合評会に足をはこんだ。
 野矢茂樹も北大の教養部で哲学と論理学とを講じていたことがあり、ほんの半年のことだったとはいえ、わたしとも同僚であった時期がある。野矢もまた、かつての研究室の隣人の著書を検討する席に顔を見せていた。野矢とわたしは二十代の時分から見知っていた仲である。そのころ野矢は科学史・科学哲学研究室に所属して、大森荘蔵に師事する院生で、わたしは本郷の倫理学研究室に籍を置きつつ、駒場で開講されていた廣松渉のゼミナールに潜りこんでいた学部生であった。わたしが北大に赴任してから、野矢が東大教養学部へと転出するまでの、ほんの6カ月というみじかい期間であったとはいえ、わたしはこの年長の友人とあらためて親しく交流する機会を持ったことになる。
当日の合評会はわたしたちにとって数年ぶりの邂逅の機会だったけれども、休憩時間のことであったかと思う、野矢はなぜだか嬉しそうな笑いを浮かべながら、いきなりわたしにこう問いかけてきた。「あのさ、快と不快とがひとりの人間のなかで同時に生起することがあると思う?」
 問答のゆくえについては、この小文の末尾であらためてふれることにする。ここではとりあえずふたつだけ注意しておきたいことがある。ひとつは、野矢そのひとについていえば、こうしたふるまいはべつだん珍しいものではなかったということである。野矢茂樹と会話をしていると、とつぜん哲学的な対話が開始されることがあった。そういうとき、哲学者はいつでも、世にも幸福そうな笑顔を見せたものである。もうひとつは、野矢の問いが、他方ではいかにもその日の会合にふさわしい、いわばギリシア哲学的な問いかけでもあったということだ。納富信留の著書『プラトン 理想国の現在』を解説すべきこの場で、わたしがおなじくギリシア哲学研究者の千葉の著書をめぐる合評会の一挿話から語りはじめ、野矢茂樹という独特な哲学者の横顔にふれたことは、たんなる筆のすべりではない。
 わたしがはじめて納富信留の顔を見たのも当日の合評会の席上のことである。新進気鋭のプラトン研究者として、わたしなどもそのなまえを聞きおよんでいた。やがて本書の著者となる哲学者にもそのころ喫煙の習慣があったのだろうか、当時は廊下の一隅に設(しつら)えられていた喫煙スペースで初対面の慌ただしい挨拶を交わしている。納富はなぜかひどく周章したようすで、一本目のタバコの上下を逆に咥(くわ)えて、フィルターに火をつけてしまったのをふしぎと鮮明に憶えている。現在の納富の、いかにも冷静沈着な風貌からはちょっと想像もつきかねるものであるかもしれない、これも20年もまえの、いまだ年若かった哲学研究者をめぐって記憶している最初のできごとである。
 ちなみに千葉恵が、オックスフォード大学に「カバン一つ持って、武者修行にでかけ」た(千葉前掲書、「あとがき」)のは1985年、その4年後の秋には、博士論文“Aristotle on Explanation: Demonstrative Science and Scientific Inquiry”を提出している。納富信留が、ケンブリッジ大学に滞在したのは1991年から96年までで、おなじく博士論文“The Appearances of the Sophist”が、1995年の4月に提出された。ふたりの日本人がそれぞれアリストテレスとプラトンにかんして執筆したPh.D.論文のあいだには、およそ5年余りの歳月が流れている。わたしはたまたま縁あって前者のアリストテレス研究書の合評会に参加し、後者とはその日はじめて知り合ったのであるが、当日の会合の三次会が居酒屋に流れ、その場で納富そのひとから聞き知ったところでは、後輩のプラトン研究者にケンブリッジ大学での修学を強くすすめた先輩研究者のひとりは、アリストテレス研究によってオックスフォードで学位を取得した千葉恵であったそうである。
 以下、本書へといたるプラトン研究者の足跡をごくおおまかに辿りなおして、そののちに本書がこの哲学研究者本人、否むしろこの哲学者自身にとってもつ意味を考えておくことにしよう。わたしはいまふたたび哲学研究者と書きかけて、それを哲学者と言いかえたけれども、そのことの意味についても、やがてふれられるはこびとなるはずである。

    *

 納富の博士論文は、改訂と拡充を経て、1999年にかの地の大学出版局から上木されている。題名も変更されて、“The Unity of Plato's Sophist: Between the Sophist and the Philosopher”となった。日本人研究者が、英語によるプラトン研究書を海外で上梓することは、今日からかえりみても、きわめて劃期的なできごとであって、同年の春には読売新聞と朝日新聞がそれぞれこの“事件”を報道している。わたし自身も後者(東京版夕刊)によりこの件を知って、それ以前にも谷隆一郎と清水哲郎というふたりの中世哲学研究者から耳にしていた、古代哲学研究者の名をあらためて記憶にとどめた。
この英書を、邦語の思考の文脈に沿って書きなおしたものが『ソフィストと哲学者の間 プラトン『ソフィスト』を読む』(2002年、名古屋大学出版会)であって、同書が納富にとってはじめての日本語による著書となった。この邦語版によって、納富信留のプラトン研究の出発点を確認しておく。
 対話篇『ソフィスト』は、哲学的思考の密度において、プラトン哲学の頂点をなすものともいわれている。当の対話篇の解釈は、とはいえ、哲学者・研究者によって区々さまざまであり、その全体にわたる理解はいまだ示されたことがない、と問題の一書は語りはじめる。一篇は古代からルネサンス期にかけて、主として「ある」と「ない」、存在と無とをめぐるプラトン存在論の中軸をなすものと考えられてきた。対話篇に含まれる議論は他方でまた、哲学の方法論、論理学からはじまって、芸術論にいたるまで影響を与えている。そして今日におよぶまで、『ソフィスト』篇は部分と断片へと切りつめられ、その全体が問われたことがない。とするならば、英語版の原題にあらわれていることばを使うなら、一篇のまさしくunityこそが問われなければならない。プラトンは「ソフィスト」の名を冠したこの対話篇で、どのような問題を提出し、探究しようとしているのか? それが問題なのである。
『ソフィスト』篇は、伝統的にその副題を付されてきたように、たしかに「ある」を問い、また「ない」をめぐる問題と格闘している。一篇は他方ではプラトンのディアレクティケー(対話術)の方法、とりわけいわゆる「分割法」について、その範例を示しているようにもみえ、また「像」をめぐるその検討、ことに「似像制作術」と「現像制作術」との区別は、永く芸術理論に影響を与えてきたばかりではなく、たとえばドゥルーズによる“再発見”このかた一般にもよく知られるにいたっている。さらには有名な、一見したところ「無」や「否定」にかんする「解決」と見なされる対話篇の所説は、哲学の歴史のなかでも珍しい、いわば決定的“解決”として繰りかえし言及されてきた。「無」をめぐる、一例を挙げればサルトルの議論すら、その反覆にすぎないとされることもある。かくて、プラトンが遺した最高の対話篇ともされる思索の軌跡は、さまざまな思考の破片へと解体される。だが、そうだろうか? 一篇の「序論」ともされる部分を虚心坦懐に見なおしてみるかぎりでは、問題はむしろ単純である。ソフィストという標題を冠せられたこの対話篇はその題名のとおり、ソフィストとはなにかを問うているのだ。あるいは、『ソフィスト』一篇の課題はまさしく「哲学者をソフィストから区別するために、ソフィストを定義すること」なのである。
 結論からいえば、ソフィストとは「知者を模倣する者」のことである。それでは哲学者とはなにか? 対話篇は「ない」をめぐる問題を展開していた。その考察を前提としていえば「哲学者」とは「ソフィスト」ではない・・者のことである。とはいえ、これははたして哲学者をめぐる定義と言うことができるのだろうか?
 できるのだ、と納富信留最初の著書『ソフィストと哲学者の間』は答えていた。それは、第一にソフィストを定義しようとする過程において、ほかでもない哲学的な探究が示されて・・・・いるからである。第二にはまた一篇は、対話のみちゆきがディアレクティケーの典型をも示すことで、それ自体として哲学者のなすべき仕事を示して・・・いるからだ。さらに第三には、ソフィストを定義するという課題そのものが哲学者の卓越した仕事だからであり、哲学者とはまさにソフィストではない・・者であるからにほかならない。
 納富にとって最初の著書がソフィストと哲学者との「あいだ」を問題としていたことは、この哲学者にあって、きわめて重大な意味をもつ。ひとつには、引きつづき公刊され、現在ちくま学芸文庫に収められている『哲学の誕生』と『ソフィストとは誰か?』との二著が、ともに「ソフィスト」と「哲学者」の関係を問いつづけているからである。あるいはソフィストとの関係で哲学者の誕生を問題としていたからだ。とりわけ後者についていうならば、同書は、1941年、つまり日米開戦の昭和16年に刊行された、田中美知太郎の『ソフィスト』以来の主題的なソフィスト研究書であって、そのなかで納富はより端的に、哲学者は「ソフィストではない・・」というかたちでのみ規定されうる一方、ソフィストの存在が意味を持つのは哲学者への挑戦であるかぎりにおいてだけである、と宣言する。たしかに、ソクラテスそのひとも同時代人にとってひとりのソフィストであった。とはいえ、納富によれば「プラトンは対話篇で、彼が「ソフィストではない・・」という形で「哲学者である」ことを論証した」のである。プラトンは、と納富はつづける。もしかしたら、ソクラテスはソフィストだったのではないか、という疑いに付きまとわれていた。プラトンはその知的生涯においてこの問いと戦いながら、「自ら哲学者である生を選んでいった」のだ。
 かくてソフィストの存在は、哲学そのものにとって、一箇の「底知れぬ深淵」にほかならない。哲学者を名のる者は、もしかしたらじぶんはひとりのソフィストなのではないか、という問いから決定的に逃れることができない。哲学史家も、哲学史とはあるいはソフィストの歴史であったのではないか、という問いから目を背けることができない。ソフィストとの対決には、哲学自体の成立がその賭金としてかけられつづけている。ソフィストとはだれか? したがってまた・・・・・・・哲学者とはだれのことなのか? 哲学そのものであるこの問いは、同時にまた「私たち自身の生の選択」それ自身なのである。――納富はこの問いを問いつづけることにおいて、一箇の哲学者・・・である。哲学とはなにかと問い、哲学者とはだれかという問いを引きうけつづけることが、哲学そのものの課題にほかならないからである。

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 以上あしばやに垣間見てきたような、著者・納富信留の足跡に照らしあわせてみるなら、本書『プラトン 理想国の現在』はひどく驚くべき一書である。ひとつには、ソフィストとプラトンのあいだで、哲学とはなにか、哲学者とはだれのことか、を問題としつづけてきたこの哲学研究者が、『ポリテイア』というプラトンの大著をあらためて検討の俎上にのせるにいたったことへの驚きがある。プラトンの中期を代表するこの長大な著作は、一般にプラトンの政治思想をもっとも詳細に展開した作品と考えられてきたうえ、とりわけ近代以降ではその主著とも見なされている雄篇である。見てきたとおり、納富自身のプラトン研究は『ソフィスト』篇に出発するもので、その政治思想研究とは一見したところ距離があった。納富信留の文献研究がつよく一定の政治性を帯びたものとは、おそらく多くの者は考えていなかったにちがいない。ただし納富にはべつに『プラトン 哲学者とは何か』という著書があって、これは《シリーズ・哲学のエッセンス》の一冊として2002年に日本放送出版協会から公刊された小著であるが、一般向けの一書であるとはいえ、プラトン哲学の政治的ないわば根底性、語のほんらいの意味でのラディカリズムを剔抉しようとするものだった。わたし自身は当のシリーズの編輯責任の一端を担っていたけれども、納富のプラトン書を仮刷で一読したさいには、当初やや意想外の念を覚えた記憶がある。
 そればかりではない。本書で納富は、プラトンの、とりわけその標題がかつて『理想国』とも訳されてきた対話篇が、この国の近代でどのように受け入れられてきたのか、その消息をめぐって周到な検討をくわえている。あらためて強調するまでもなく、納富信留そのひとは国際的なプラトン学者であって、2007年から2010年にかけて国際プラトン学会会長をも務めている。ケンブリッジ大学に提出されたその博士論文いらい、納富のプラトン研究は国際的なプラトニック・スタディーズの文脈のなか、それじたい国際的な視野と水準を伴って展開されてきた。いいかえるなら、その研究は、極東のこの島国におけるギリシア哲学研究の歴史的な脈絡から切断されたところで深化してきたかに見えたということだ。そのような哲学/哲学史研究者が、日本近代におけるプラトン研究の、またプラトン受容のコンテクストに目を向けて、周密な理解を示してみせたことは、あえていうならば、ひとつのスキャンダルですらありうる事件なのであった。――なぜスキャンダルなのか? この国の哲学研究は、すくなくとも近年にいたるまで、一般には自国における個別研究(たとえばプラトン研究であり、あるいはカント研究である)の蓄積に対してひどく冷淡で、日本語で書かれた研究書、そればかりか哲学書そのものに対してすらも、きわめて不公正なまでに無関心を装ってきたからである。
 本書の第Ⅰ部で納富はまず、プラトンの『ポリテイア』(国家篇)が、20世紀の後半にどのような議論を引きおこして、いかなる批判を呼びこんだのかを吟味する。ポパーによる批判などは、ヘーゲル研究者ならこれを黙殺し、マルクス主義者たちも嘲笑して、プラトン研究者諸氏は上品に目を背けてきたものである。それらの反応にポパー側にも責任がないではなかったのではあるが、納富信留がそれをあらためて正面からとり上げている消息はやはり注目にあたいする。プラトンに対する「全体主義」というレッテルを再検討したあとに仄見えてくるのは、かえって現代正義論が抱えこんでいる或る狭隘さである。
 本書の第Ⅱ部で検討されるのがこの国の近代におけるプラトン受容、とりわけ『理想国』と邦訳されることになった『ポリテイア』受容の様相であり、その基底相にほかならない。「序」で記される、「プラトンの名の下に「理想」に挑み失敗した近代の人々を記憶し、彼らについて語っていくことが、私に課せられた使命である、と信じている」という、この冷静な著者としては例外的にパセティックな一文は、ほとんど感動的であるといってよい。
 一点だけふれておきたい。プラトンをギリシア語から翻訳するためには、日本語のあらたな文体そのものを創りあげなければならない。この国における西洋哲学受容の先駆者でもあった大西祝は、そのことに気づき、そして挫折した。木村鷹太郎訳による最初のプラトン全集は英訳からの重訳である。大正期ともなると、古典語の学習を重視したケーベルの膝下で育った者たちによる翻訳があいついだが、原語からの『ポリテイア』の邦訳は戦後を待たなければならなかった。そうした経緯はさておいたとして、確認しておきたい事情がほかにある。「理想」という語そのものが、プラトンの「イデア」の訳語として造りだされ、もうひとつの翻訳語「観念」とともに受容されていった、ということである。わたしたちがいまでもふつうに使用している「理想」という語は、西洋哲学の移入とほぼ同時に日本語のうちで生誕したネオロジスムであったのだ。――あらたな語彙の導入はときに、すでに存在している現実を照らしだす。真にあたらしい概念の登場はときとして現実を超えたものを照明してゆく。理想・・という単語そのものがそういった経緯からこの国で語りかわされることばとして誕生し、まさに理想・・へ向かう運動そのものを造りだし・・・・、その運動へと照明を当て・・・・・て、現実を見てとる様式自体を変更して・・・・いったことは、悲惨なできごとになら事欠かないこの国の近代にあって、いまなお希望の拠りどころとなりうる歴史的な事実である。そのおなじ事実は、哲学という営みそのものに、未来へと向かう期待を抱かせるものだろう。哲学的な思考は、それが真にあらたな概念を創出する場合には、世界のあたらしい相貌を垣間見させるばかりではない。いまだ到来しない世界へと旅立つ運動それ自体を切りひらく。
 おなじ「序 「理想」を追う哲学」末尾の美しい一文、本書の最終部の課題を予示する一節を引いておこう。「第Ⅲ部では、プラトンがテーマを託した「ポリテイア」という理念を明らかにする。そこに帰せられたいくつかの誤解を退けることで、この現実で「正しいあり方」を実現していく私たち人間の可能性を回復したい」。一段落のむすびが、本書で追求された問題は、ソフィストとプラトンのあいだで哲学を問うという課題とひとつのものであったことをあかしている。プラトンの『ポリテイア』に応答して、「私たちはそれに応えて自ら「理想」を語り、聞くことで、また、書き、読むことで、共に哲学を生きていくのである」。
 本書を上梓したのちにも、この哲学者は『プラトンとの哲学 対話篇をよむ』を岩波新書の一冊として書き下ろし(2015年)、2021年の春には筑摩書房から大著『ギリシア哲学史』をも公刊している。前者はおそらく、プラトン研究の第一人者として、一般読者に対する責務を果たそうとするものであり、後者はまたギリシア哲学研究においてこの時代を代表する哲学史家として、その義務を履行しようとするこころみだろう。本書の著者は、みずからに課せられた課題に忠実な、その知的な誠実さにおいても、同時代の哲学者・哲学研究者のあいだで際立っているように思われる。

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 この小文のはじめにふれた野矢茂樹の“クイズ”の答えにふれておきたい。野矢の示した解答は「ある」というものである。「たとえばさ」、とこの哲学者は言った。いまふたりの料理人が料理対決をして、一方が他方の料理を口にしたときに、とても美味しいその料理は「快」を与えて、また「不快」を感じさせる。「だって、料理はたしかに美味しいけれども、その美味しい料理に負けちゃったわけだからさ」。野矢はそう言って笑ってみせた。
 見てきたとおり、本書の第Ⅱ部は、プラトンの対話篇『ポリテイア』をめぐる近代日本の受容史を跡づけようとするものであった。解説者であるわたしも、この国の近代の哲学的な思考をめぐりいくつかの考察をおおやけにしたことがあり、そのなかではとりわけ哲学史研究、わけても古代哲学の研究を、近代日本における哲学研究そのものの重要な一部としてとり上げたこともある。すこし手をつけたその仕事を再開するべく、ほかの課題に取りくむかたわら、すこしずつ準備もすすめていたところで出現したのが、ほかでもない本書の原本となる単行本であった。
 慶應義塾大学出版会から瀟洒な装幀に包まれて登場したこの一書を読んだとき、わたしは久しぶりに純粋な読書の快楽を味わった。その快にはしかし当初、すこしだけ苦い断念の味が入りまじっていたことを否定しない。問題をめぐって、本書を超えるものなど、じぶんにはとうてい書けないだろう。そう自覚したからである。その経験をわたしはいまふたたびむしろ快く想起し、どこか爽やかな思いとともに反覆している。

 

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