筑摩選書

研究者の目から変革期の台湾政治を理解する
若林正丈『台湾の半世紀――民主化と台湾化の現場』書評

本書の前半部分にあたる第Ⅰ部は、多言語サイトnippon.comの連載「私の台湾研究人生」を改稿したものです。ウェブサイトの編集を担当した野嶋剛さんに、連載のきっかけについてご寄稿いただきました。本書誕生の裏話をご覧ください。(『ちくま』1月号より転載)

 本書の著者である若林正丈氏は名書『台湾の政治――中華民国台湾化の戦後史』など、台湾政治研究において揺るがぬ金字塔を打ち立てた人物であるが、彼がどのような経緯と覚悟で、台湾研究を行なってきたのか、世代の近い研究者仲間は知っていても、二十代、三十代の若手・中堅にとっては「歴史」に類するような話で知らない人も多いはずである。
 若林氏は、日本社会全体が台湾に対して「不感症」ともいえる無関心を示していた時代の一九八〇年代から、党外と呼ばれる民主化運動の人々と語り合い、民主化への胎動を始めた台湾政治とともに研究者人生を歩んできた。その長期にわたる努力を詳らかにする本書は、一人の優れた研究者の目を通して台湾政治史そのものへの理解を深化させる意義を持つ。
 本書が誕生するきっかけの一部についての個人的経緯を語ることをお許しいただきたい。
 筆者はかつて朝日新聞社の記者時代に台湾留学を希望し、愛読者ではあったが、面識はなかった若林氏に台湾の留学先の紹介をお願いする手紙を書いた。唐突なお願いにもかかわらず、若林氏は快く台湾大学の陳明通教授を紹介してくれた。台湾で面接を受け、合格して大学院への入学が許可された。
 ところがその直前に、朝日新聞社の上層部から「中国政府を刺激する」との理由で留学先を中国に変更するよう命令が下った。そのことを伝えた際、若林氏から「それもまた台湾の現実を示しているのでしょうね」という寂しそうな返答があったことを覚えている。一九九七年のことである。その後、二〇〇八年になって朝日新聞社の台北支局長として台湾に派遣され、思う存分、台湾報道に従事し、私の無念は晴れていたが、唯一、若林氏への申し訳ない思いが残っていた。
 二〇一六年に朝日新聞を退社し、ジャーナリスト活動を始めると同時に、多言語サイトnippon.comから繁体字版の編集顧問を任された時、真っ先に企画として通したのが同サイトで連載された「私の台湾研究人生」であり、本書の第一部の内容の骨格になったものだ。
 若林氏の記録はパイオニアの貴重な経験談として歴史に留められるべきだ。ご本人もおそらくその考えは持っておられるだろう。ならば早いうちに連載という形式で「伝記」の執筆に着手してもらえたら素晴らしい。それが留学断念の借りを一部でもお返しすることにもなる、という気持ちもあった。
 早稲田大学のカフェで若林氏に連載を打診してからは原稿の編集を受け持った。二年近く続いた連載を通して、毎月届けられる玉稿の最初の読者になることの喜びは大きかった。借りを返すどころかさらに借りを作ってしまったような思いである。完成した本書の内容は、連載から大幅に修正・加筆され、自らの研究人生を次の世代の研究者たちに伝えたいという使命感を感じさせる一冊に仕上がっている。
 内容を細かく論じることは紙幅の関係で控えるが、「人として気力体力ともにもっとも充実した時期に台湾現代社会が自由と民主に向かう「最も良い時間」に遭遇した研究者の幸運」と若林氏自身があとがきで書いているように、「天の時、地の利、人の和」のすべてを備えながら、無人の野をいくがごとく、変革期の台湾政治と半世紀にわたり向き合った若林氏の歩みは、かくも豊穣かつ刺激的で、研究者冥利に尽きるものであるのか、読者は感嘆と羨望が入り混じった読後感に包まれるに違いない。