ちくまプリマー新書

秘密を打ち明ける仲間

川添愛『世にもあいまいなことばの秘密』の書評を、言語哲学を研究されている和泉悠さんに書いていただきました。まさに愛とユーモアにあふれる書評です。ぜひご覧くださいませ。

書評依頼を受け取ったのは、ちょうど、私が勤務する大学の学部二年生が、卒業研究を行うゼミを選ぶ時期で、私のオフィスにも学生が面談に訪れていた。私の専門は「言語哲学」というもので、言語学と哲学を合わせたような分野である。やってくる学生は、基本的には哲学・倫理学に興味を持つ人が多いのだが、最近は言語学への関心があきらかに高まっている。

和泉「言語学に興味があるそうですが、何か関連する本などを読みましたか?」

「――そうですね、川添愛さんを何冊か読みました。エッセイも面白かったですし、特に『白と黒のとびら』(『白と黒のとびら:オートマトンと形式言語をめぐる冒険』二〇一三年、東京大学出版会)を読んで、形式的な手法で人間のことばを分析するという発想にすごく刺激を受けました」

和泉「エッセイはバーリ・トゥード(『言語学バーリ・トゥード』二〇二一年、東京大学出版会)ですかね、面白いですよね」

「――あ、そうです! すっごく面白くて、うちの大学に川添愛さんがいたら絶対指導してほしいと思ったんです! でもいないからーもーどうしようって感じで。あーえっと、イズミ先生も本とかなんか、書いていますよね。あのー、えーっと、なんか「悪い」やつ。図書館で借りようと思っているんですけど、まだでー」

和泉「おほほ、そうですかー」

などといういつも通りのやりとり(フィクションを少しだけ含みます)からも分かるように、著者の川添愛氏には大きな影響力があり、著書が全国各地の若者を言語研究にいざなってきた。本書がまたその流れに貢献することは間違いがない。

 本書は言語のあいまいさに焦点を当てつつ、たくさんの事例を紹介することによって、シンプルなことばが無限に複雑な内容を表すという、言語の創造性そのものを体現している。事例へのこだわりこそが、あらゆる言語理論の出発点であるため、言語研究への優れた導入となっているのだ。本書でとりあげられる事例をいくつか見てみよう。

 たとえば、上のやりとりに言語的違和感を感じる読者はいないだろう(言語的には!)。しかし、「川添愛」という単純な表現ですら実はかなり複雑である。学生が最初に「川添愛さんを読む」と言ったとき、学生は川添氏その人をまじまじと見て、内心や行動を読んでいるなどと言っているわけではなく、人物名を用い、その人物に関連する創作物を指示する「換喩」(メトニミー)という言語メカニズムを使用している。一方、二度目の「川添愛さん」の表現は、字義通り人物を意味しており、学生は、本にではなく川添氏自身に指導してほしいのである。

 このように、たった一つの名前にも言語の不思議さをかいま見ることができる。複数の表現を組み合わせればなおのことそうである。書名の『世にもあいまいなことばの秘密』にも、「名詞-の-名詞」という、言語学において長年研究されてきた構造にまつわるあいまいさが含まれている(本書中では、サザンオールスターズ「勝手にシンドバット」の「胸さわぎの腰つき」という歌詞が例として検討される)。

「名詞-の-名詞」は非常に多義的である。「磁石の研究」は磁石についての研究であり、本書はことばについての秘密に関するものと言える。しかしまた、「私の研究」は、普通、私についての研究ではなく、私が持つ/抱える研究というような意味であり、『世にもあいまいなことばの秘密』も、何らかの意味で、ことばが秘密を抱えているのかもしれない。

 読者にとって「秘密」とは「暴く」ものだろうか、「解き明かす」ものだろうか。普段は隠されている言語のメカニズムを、著者がひとつ一つ丁寧に解説してくれるため、秘密はもはや秘密ではなくなる。読者はその明快な説明を楽しめばよい。

 しかし、また同時に、「秘密」は「打ち明ける」、「共有する」ものかもしれない。著者の穏やかな筆致は、秘密を白日の下に晒すというよりは、そっとことばをうながして、打ち明け話をしてもらうかのようでもある。ことばの打ち明け話を一緒に聞くのならば、本書ほどふさわしい仲間はいないだろう。