「本をつくる」という仕事

「よい校閲者になるには酒を飲むべし」!?

校閲はゲラで語る 第1回(全3回)

1月刊、稲泉連『「本をつくる」という仕事』から1章分を3回にわけて掲載します。 昨年ドラマでも話題になった「校閲」とはどんな仕事なのか?何をやっているのか? ノンフィクションでお届けします。 

第三者の鋭い目

 手元に置かれたビールを一口、二口と飲むと、矢彦孝彦さんは寝不足の赤い目を擦って、
 「いや、昨日はある作家の校正刷りの締切日でしてね。これがなかなか手強い仕事で……」
 と、言った。
 「いや、本当に参りました」
 そう穏やかな調子で続けてから、また一口、二口とビールを美味そうに飲む。
 「この二日間、著者が真っ赤にしたゲラと格闘していましてねえ。彼が『真っ赤っかにしてやったぜ』と言っていたので、僕は『真っ黒くろにしてやったぜ』とゲラを編集者に渡してきたところなんです」
  一つの仕事を終えたことがいかにも清々しいという感じで、彼は話した。校正人生四〇年、仕事を楽しむということを知っている人なのだ、とぼくは思う。
 二〇一二年の六月に新潮社を退職した矢彦さんは、同社の校閲部に定年まで勤めた人だ。
 若い頃は『小説新潮』などで司馬遼太郎、水上勉、松本清張、五味康祐――といった錚々たる作家たちの生原稿を読み、後年は塩野七生著『ローマ人の物語』の校閲を担当した。その塩野氏からは「会社を辞めても私の本を続けて見てほしい」と依頼されたというほどだから、編集者だけではなく作家からも厚い信頼を寄せられているのだ。
  彼は現在も社外の校閲者として複数の版元から仕事を依頼されており、「会社を辞めてから、かえって忙しくなったみたいで」と言う。それは彼の校閲の高い技術を他の編集者が放っておかないからだろう。
  校正・校閲とは、著者の書いた原稿を印刷された「ゲラ刷り」と読み比べ、誤りを正す作業のことを指す。厳密にはゲラ刷りが原稿通りになっているかをチェックするのが校正、内容の事実確認や正誤を含めて調べ、全体の矛盾などを洗い出すのが校閲、ということになろうか。
  単行本や雑誌が印刷されて世に出るまでのあいだに、著者は編集者を通して原稿のやり取りを何度も行なう。そこで内容に関する様々な疑問を解消したり、構成や文脈、文法上の誤りを正したりするわけだが、その過程で入る第三者の「目」――それが校正や校閲と呼ばれる仕事である。彼らの目を通して初めて見つけ出される誤字や脱字、思い込みやうっかりしたミスからなる表現上の誤りも多いため、今も昔も出版物の価値を高める上で重要な仕事の一つだ。
 大昔に遡れば、校正は「価値」どころかその出版物の存在意義そのものを左右しかねない重要な役割を担っていた。そのことを表すためによく紹介される例に、「姦淫聖書」というただならぬ気配を感じさせるこんな逸話もある。
 一六三一年に英訳された聖書に、とんでもない誤りがあった。問題となったのは旧約聖書の「出エジプト記」で、モーセの十戒の「汝、姦淫するなかれ」=Thou shalt not commit adulteryのnotが書かれていなかったのだ。これでは「汝、姦淫せよ」となってしまうというわけで、この聖書は大部分が焼き捨てられた。校正者には厳しい処分が下された――というから命がけの仕事でもあったのである。
 さて、この「校正・校閲」という作業について語るとき、多くの書き手から信頼されているのが、矢彦さんが部長を務めていた新潮社の校閲部だ。近年、出版社ではコストカットを理由に校閲専門の部署が閉鎖され、外部の業者に依頼するようになっている流れにおいて、同社は社内の「校閲部」を意識的に保ち続けている出版社の一つだからだ。
 例えば、同社から多くのノンフィクションや小説を上梓している作家の石井光太さんが、ツイッター上でこの校閲部の仕事の細やかさを紹介し、ちょっとした話題になったことがあった。そこで彼は〈新潮社の校閲は、あいかわらず凄い。小説の描写でただ「まぶしいほどの月光」と書いただけで、校正の際に「OK 現実の2012、6/9も満月と下弦の間」とメモがくる。 このプロ意識!〉と書いていた。
 また、筑摩書房から出ている『誤植読本』を読むと、直木賞作家の藤田宜永氏もこう指摘している。
 〈(新潮社の校正は)実に細かいチェックをやってくれる。パリの通り名もすべて調べてある。ちょっとした季節の差に対しても疑問を投げかけてくれる。単純なミスだけではなく、内容を熟知していないと探し出せないミスにも疑問符がついていた〉
 作家たちのこうした体験に触れると、自分自身、同社から『命をつないだ道』という本を出版した際のことを思い出さずにはいられない。
 東日本大震災の「道路復旧」をテーマとしたこの本は、三陸沿岸を貫く国道四五号でその作業を担った人々の姿を描いたノンフィクションだった。登場人物は多く、内容は大津波警報が出された日時や天気、復旧にかかった時間、土地の歴史的な経緯などが複雑に入り組んでいた。受け取った校正刷りにはそのシーンの一つひとつにチェックが入り、ときには先のような指摘が資料とともに書き込まれ、「事実」の整合性が確認されていたものだ。
 当然、著者は自身の原稿に誤りがないよう細心の注意を払うべきだけれど、ケアレスミスや思い込みによる間違い、そのための矛盾点というものが初校の段階では数多くある。「姦淫聖書」のように焼き捨てられはしなくとも、推理小説であればそれがトリックそのものの成立にかかわるものかもしれないし、ノンフィクションもある一点の「事実」の間違いが後世までそのままにされたり、致命的な欠陥となったりすることも大いにある。その意味で著者にとって、校正・校閲を緻密に行なってもらえることほど有り難いことはない。
 しかし、著者は校正者とゲラ刷りのやり取りをするだけで、実際に顔を合わせることも名前を知ることもないのが普通だ。
 前述の『誤植読本』の中で、編集者の鶴ヶ谷真一氏は〈校正とは、ひとつの誤りもなく成しとげれば、人に気づかれもせず、誤植という誤りがあれば、ことさら人目にたつという、実に割に合わない仕事である〉と書いている。
 まさしく彼らは一冊の本の価値を支える陰の立役者であり、普段は読者が意識しない出版文化のインフラのような存在なのだと思う。
 では、そんな彼らはどのような現場で働き、どのような思いを抱えながら仕事をしているのだろうか。
 それを知りたいと思ったのが、矢彦孝彦さんのもとを訪れた理由だった。

人と付き合わない孤独な作業

 お酒を飲みながら話を聞くことになったのは、他でもないその矢彦さんの提案だった。
 「ほら、校閲という仕事は机に向かって原稿をひたすら読むものですから、偏屈とまでは言わないまでも、あまり人と付き合わない社員が多いんですよ」と彼は言う。
 「でもね、僕はそれではイカンとずっと言ってきたんです。こんなふうになるべく人と実際に会って、できればお酒でも飲んで仲良くなりなさい、と」
 良い校閲者になるには酒を飲むべし――その意味についてはあとで再び語ってもらうとして、その前にまずは校正・校閲者という人たちが日々、どのような作業を行なっているかをここで紹介しておきたい。
 校正・校閲とはとても孤独な作業だ。
 傍らに元となる原稿を置き、もう一方にはゲラ刷りを置く。原稿がデータ入稿でない場合、それを突き合わせる作業は「首振り」とも呼ばれ、疑問点があれば各種の辞典や人物事典、インターネットなどで内容を確認していく。
 仕事の進め方は人によって違いがあるが、矢彦さんの場合は次のような手順だという。
 最初に行なうのは、ゲラ刷りを最後まで素読みして全体の内容をつかむことだ。このとき「この原稿では何に注意をするべきか」「どのような調べごとが後に必要になりそうか」をざっくりと把握し、今度はじっくりと内容を読み直す。
 この再読の際に初めてノートをつくる。
 「校閲的な読み方」の基本は書かれた内容の事実確認、文章の矛盾点やストーリー上の齟齬がないかを中心に見ていくことだ。その上でポイントとなるのは、文章中の固有名詞、年代的な記述、季節的な記述、時間的な記述である。それらの項目が出てくる度に、ノートに要素を書き込む。「若葉が茂っている」と書かれていれば「若葉の季節」、「外に出るとキンモクセイの香りがした」とあれば「九月~一〇月頃?」という具合に。
 「若葉が茂っていたのに、その後の時間経過がないまま葉っぱの落ちるような描写があれば、『これは変だ』となるわけです。ポイントになる項目や季節、固有名詞、地名をチェックポイントにしながら、それを押さえて読んでいくということです」
 小説やノンフィクションといったジャンルの違いにかかわらず、このノートと同時につくるのが年表である。
  特に時代小説や歴史小説の場合は大きめの用紙を用意し、土地の名前や時間、登場人物などの要素を事細かに書き込んでいく。例えば「ルキウス」「ハドリアヌス」といった登場人物の一人ひとりについて横軸と縦軸で年齢と出来事を書き並べ、「一〇年後」のような記述の度に年齢がすぐにチェックできるようにするわけだ。そうした人物関連図はそれこそ『ローマ人の物語』のような長大な大河小説となれば、まるで「鉄道のダイヤグラムみたい」になるそうだ。 
 さらにこの基本的な読み方に加えて、新潮社の校閲部では様々な得意分野を持つ部員が、ときにはさらに深いレベルでテキストを読み込んでいくという。
 漢詩や草書が読める者、古典や古文書に造詣の深い者、各種外国語や軍事分野に強い者など人材は豊富で、作品の内容によってそれらの個性が活かされていく。ちなみに矢彦さんは古典文学を得意としてきた。
 「名前は言えませんが、ある小説で遊女の日記を一部、それらしく書きたいという著者からの要望があったんです。著者はそれを現代文で書いてきて、『遊女風に翻訳して欲しい』とゲラ刷りに指定してあるんですよ。そういうことなら矢彦だ、となった。でも、古語辞典というのは古語を引いて現代語にするためにあるわけで、その逆はないのです。そこで私は近松門左衛門の作品や同時期の文献をいくつか必死に読み、遊女の台詞を文体模写することにしました。懐かしい思い出です」
 このエピソードはもはや校閲の仕事の範囲を超えているようにも思えるが、余談として切って捨てるには惜しい新潮社校閲部の底力だろう。
 それぞれの作品はこうした校閲部員によって読み込まれていくわけだが、ぼくが矢彦さんの話を聞いて唸らされたのは、これら個々の技術を前提としながら、新潮社が二重三重に誤りを見つけ出すシステムとして校閲部を機能させていることだった。
 同社では一つの作品に対しては通常、初稿と再校を両方とも読む担当校閲者が一人付き、さらに別の校閲者(社外の人員であることが多い)が各段階でゲラ刷りに目を通すという。つまり一冊の単行本に対して、三人の専門家が合わせて四回、内容をチェックしているということになる。
 また、校閲部は各雑誌、単行本、文庫、企画出版と分野ごとにグループが分かれているので、文庫化の際は単行本とは別の部員が内容を読み込む。「これは新潮社の偉いところだと思うのですが――」と矢彦さんが語るように、雑誌連載を単行本化した作品の場合、連載時から文庫化までの流れの中で少なくとも五人以上の校閲者が入れ替わり立ち替わり、原稿を読んでいるわけだ。
 「畳のホコリと誤植は叩けば叩くほど出る」という格言がある。
 「それだけ読んでもまだ誤植が見つかるのだから、ホントにイヤになっちゃいますけどねえ」
 と、矢彦さんは笑うけれど、こうした一つの作品に対する細やかさは、「新潮文庫」を始めとする新潮社の出版物のブランドを支えている大きな要素なのだ。

ゲラを通して著者と対話

 そんななか、彼が「良い校閲者になるには酒を飲みに行け」と語り続けてきたのは、校正・校閲という作業が誤植や間違いを見つけ出す「技術」であると同時に、ゲラ刷りを通して著者とやり取りするコミュニケーションだという思いがあるからだ。
 「例えば、ある言葉について『これは辞書にはありません』という疑問を私たちは出すわけです。でも、著者のなかには『辞書にあろうがなかろうが、いまここではこの字を使いたい』という強い思いを持っている人もいる。だから、ただ線を引いて簡単に疑問を出すのは、失礼に当たると私は思っているんです。
 要するに、書かれたテキストと少し距離を置いた疑問の持ち方が大事だということです。編集者と違って私たちはほとんどの場合、著者と顔を合わせないし、相手が僕らの名前を知ることもない。ゲラのやり取りを通して、その人と付き合うのみです。だからこそ、疑問の出し方も一つひとつ、丁寧でなければならない。そして、それは次にその作家がうちの出版社で書いてくれるかどうか、ということにだってつながっているのです」
 それは塩野七生氏の一連のベストセラーが新潮社から出版され、その校閲者として矢彦さんが指名されていることとも無関係ではないだろう。著者にとってゲラ刷りを通してやり取りする校閲者は、ときには編集者と同様にその出版社の代表者なのだ。
 最近もこんなことがあった、と矢彦さんは続けた。それは彼と著者との「対話」が、ときにこのようなやり取りになるという一例だ。
 ある時代小説の校閲をしていたときのこと。ゲラ刷りを読み込んでいると、「萌木色」という言葉に引っ掛かりを感じた。
 「たしか、萌木色というのは『萌葱』と書くはずだぞ」
 そう思った彼は小学館の『日本国語大辞典』――用例の出典と語誌が記載されているため、最も信頼している辞書だ――を開き、「もえぎ」を引いてみた。すると、「萌葱」「萌黄」の他に「萌木」という表記も一応採用されていたが、「もえぎいろ」については思った通り「萌葱色」か「萌黄色」である。手元になる他の辞書でも同様だったため、「葱あるいは黄ではないでしょうか」と疑問を出すことにした(『日本国語大辞典』第二版では、後述の『貞丈雑記』を取り上げ、「萌木色」の用例をあげている。ここでは初版をもとにしている)。
 しかしその後、しばらくして著者からの校正刷りが戻ってくると、他の疑問点についてはほぼ訂正案を受け入れてくれていた一方、「ここは『木』のママにしてほしい。以前に何かの本でこの字が使われているのを見た」とあった。
 校閲者としての矢彦さんの心が燃えるのはこのようなときだ。
 再びこの箇所について調べる際、彼はまず全二〇巻からなる物集高見編『広文庫』(大正五~七年に「広文庫刊行会」により刊行され、昭和一〇から一二年に改めて刊行されて流布した百科辞典)と江戸時代の辞書である谷川士清著『和訓栞』を書庫から取り出した。
 「すると、江戸中期の有識故実研究家・伊勢貞丈が著した『貞丈雑記』に『「もえぎ」を萌黄、萌葱と書くのは誤りで「萌木」が正しい、色も「萌木色」とすべし』という記述を見つけたんです。 これは和綴じ本でして、『広文庫』の記述からそれを繰りました。また、『和訓栞』の方も『萌木色』を採っていました。僕はびっくりして著者に手紙を書きましてね。『萌木色が最も正しいと説いた学者が確かにいました』と」
 そのような発見があったときが、本当に校閲という仕事をやっていて良かったと思う瞬間だと彼は続けた。
 「著者はこの原典を読んだことがかつてあったか、その原典を使った何かを読んだのでしょう。こういうことがあるから、手元にある辞書だけを信じ切って安易に疑問を出してはいけないんです。辞典の編纂者がそれを書かなければ、もう言葉を辿れない。かつては正しいとされていた字が、なんらかの理由で消えてしまっていることもある。著者にその言葉に対するこだわりがあるのだとしたら、やはりそこには何らかの意味があるのだと考えるべきでしょう。
 このように校閲というのはそれぞれの著者の立場に立って、全体を見ていくことが何より大切なんです。字句の統一なんてものは二の次でいい。著者の立場に立つためには、なるべく見聞を広めて、人と話をする日々を送ることです。家と会社の往復だけでは、優れた校閲者にはなれない。だから良い校閲者になる方法を聞かれる度に、私は一言、『酒を飲みに行きなさい』と言ってきたんです」
 では、矢彦さんのこうした「校閲哲学」とでもいうべき姿勢は、どのように培われたものなのだろうか。

            次回は2月2日(木)の更新です。

 

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