ちくまプリマー新書

哲学対話、ここにはじまる

苫野一徳『はじめての哲学的思考』

4月刊行のちくまプリマー新書『はじめての哲学的思考』(苫野一徳著)について、哲学者の岡本裕一朗さんに解説をいただきました。

「はじめての~」というタイトルをもった本は、哲学にかぎらずけっこう出版されている。たしかに、この手の入門書では、基本的な知識が説明されたり、易しい言葉で表現されたりしてはいる。しかし、初学者がこうした書物を読んでも、次にどうしたらいいか、たいてい途方に暮れてしまう。

 たとえばフロイトの『はじめての精神分析学(精神分析入門)』を読むと、彼の分析の巧みさに驚嘆するに違いない。とはいえ、彼の「夢解釈」がどんなに見事でも、いざ読者が同じようにやろうとすると、まったく手に負えないのだ。おそらく、著者と読者の差を実感する結果に終わるだろう。こうした経験は、フロイトの本だけではない。その点では、予備知識をほとんど持たない読者に、「はじめての~」を提供することが、いかに困難であるか理解できるだろう。

 それに対して、『はじめての哲学的思考』は、こうした難所を楽々とクリアしている。おそらく、『はじめての~』と銘打った中で、ほんとうに入門できる「はじめての」本ではないだろうか。類書を読んでも次に進めない読者に対して、本書は間違いなくその次のステップを示してくれる。このように見ると、本書は「哲学的思考をすぐにはじめる」ことができる、実践的な指南書と言ってもよい。

 この目的を遂行するため、著者はさまざまな〝奥義〟を教えてくれる。そのいくつかを挙げてみよう。①「一般化のワナ」に注意しよう ②「問い方のマジック」にひっかからない ③相手をいい負かすための「ディベート」はやめよう ④「帰謬法」を封じ込めよう ⑤「自然主義的誤り」に陥らない ⑥インチキな「思考実験」にご用心、などなど。その他、いろいろ説明されているが、ここに列挙しただけでも重要なものばかりだ。それらは、初学者だけでなく、「白熱教室」のサンデル氏をはじめ、多くの研究者でさえ犯しがちな悪癖でもある。こうした指摘は、敵を作る可能性もあるので、きわめて勇気ある態度と言わなくてはならない。

 また、コストパフォーマンスの点から考えても、本書が相当にお買得な書籍であるのは異論がないだろう。「そんなに簡単に秘伝を教えていいの?」と、ちょっと心配な面があるほどだ。それでも、著者がこうした知識を出し惜しみなく披露したのは、対話に対する希望の思いが込められているからである。相手を議論で打ち負かすのではなく、「異なる意見の持ち主たちが何らかの〝共通了解〟を見出し合う点」にこそ「哲学の本領」がある、と著者は考えている。

 さらに、このような哲学的思考の実践として、「恋とは何か?」という問題をめぐって、具体的な手ほどきが行なわれている。評者のような年齢になると、少し恥ずかしさを覚えそうな内容だけれど、思春期まっさかりの青少年にとってはきわめてリアルに感じるはずだ。このあたりは、いつまでも若々しい感性を持ちつづける著者の独擅場のように見える。こんな生き生きとした「恋」の話は、普通の哲学の入門書ではまず望むことができない。この「恋」の話を読むためだけでも、この本を買う価値はある。

 ところで、こうした著者の哲学的思考の原点は、「欲望相関性の原理」と呼ばれ、「世界は欲望の色を帯びている」と表現されている。これが「哲学の基本にして最大の〝奥義〟のひとつ」とされるのだ。たしかに、「恋」の話と「欲望相関性の原理」は、うまくつながっているように見える。しかし、この原理をすべての場面に妥当させることが可能なのだろうか。そのためには、「欲望」の意味を変える必要がありそうだ。そのとき、著者自身が警告した「一般化のワナ」に陥ることにならないだろうか。「原理」を求めるあまり、「欲望」概念を拡張しすぎているように見える。しかし本書は、そうした反論をすでに想定しているに違いない。そこから「哲学対話をはじめよう」と誘っている。まさに、「ここからはじまる哲学的思考」の本である。

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