ちくま学芸文庫

アメリカ憲法史はおもしろい

「合衆国においては、政治問題で、早晩法律問題として解決されないようなものはほとんどない」。一九世紀前半、アメリカを旅して『アメリカのデモクラシー』という古典を残したフランスの思想家トクヴィルはこう述べたが、「アメリカでは、政治問題の多くが、早晩憲法問題になる」とも言えそうである。
 最近、暫定予算と債務上限引き上げを認めるかどうかでオバマ大統領と議会が対立した。政府機関が閉鎖に追いこまれ債務不履行さえ恐れられたこの事件にも、憲法が深く関わっている。
 憲法のもとで大統領は、法律が制定されなければ新しい政策を行う権限がなく、法律があっても予算が通り歳出が認められない限り執行できない。憲法の規定上日本も同じ仕組みだが、アメリカでは特定の政策をめぐる大統領と議会の対立が原因で予算が通らず、政府機関の一部が実際に何度も閉鎖されている。
 今回の騒動の背景には、二〇一〇年医療保険改革法(通称オバマケア)実施への強い反発がある。保守派議員は、国民に健康保険を押しつける憲法上の権限が政府にはないと信じている。昨年、連邦最高裁が僅差でこの法律を合憲と判断したものの、多額の資金を要する同法の実施を延期しないかぎり予算を通さない、債務上限引き上げを認めないと、大統領に楯突いた。
 ただし大統領は稀に、法律の根拠なしで行動を起こす。議会の同意がなくても大統領は債務上限の引き上げができると、今回も一部専門家は主張した。「合衆国の公の債務の効力は、(中略)これを争うことができない」と定める憲法修正第一四条四項の規定により、政府には債務上限を引き上げ借金を支払う義務があり、議会はそれを阻止できないというこの解釈は、オバマ政権内で一時真剣に検討されたらしい。
 もっと身近な現象もしばしば憲法問題になる。二〇一三年六月に連邦最高裁は、結婚の定義を異性間のものに限った連邦結婚防衛法は違憲だという、歴史的判決を下した。四〇年以上連れ添いカナダで正式に結婚したにもかかわらず、その後妻(?)を亡くしたあるニューヨークの女性が、配偶者として遺産税免除を受けられず莫大な税金を課された。これは憲法が定める法の下の平等保護原則に反するとの主張を、最高裁が認めた。
 アメリカ人は憲法を身近に感じている。小学校のときから憲法を学び、公職につくときは必ず憲法遵守を誓う。国立公文書館では、独立宣言と合衆国憲法の原本が展示されている。
 けれども憲法をただ大事にするだけではない。積極的に使おうとする。法律の内容が気に入らなければ憲法違反だと主張し、憲法の内容が気に入らないときには改正しようと呼びかける。保守的なティーパーティーのメンバーも進歩派の運動家も、自分たちの主張を正当化するために、すぐ憲法を持ち出す。
 実際、大学生の呼びかけで憲法修正が実現した例がある。一九八〇年代、連邦議会の議員たちが自分らの給料を大幅に引き上げ、議事堂内の食堂で一銭も払わず食事をするなど、さまざまな特権を濫用して国民の批判を浴びた。そのころテキサス大学のワトソンという学生が、批准の完了していなかった一七八九年の憲法修正案について政治学のクラスでペーパーを書いた。同案は、連邦議会議員の給料を変更する法律は制定後最初の下院議員選挙を経なければ発効しないと定めていた。批准はまだ可能であり、議会のお手盛りへの抑止効果が期待できるとワトソン君は論じる。ペーパーはC評価しか受けなかったが彼はあきらめず、各州の議会に手紙を送り批准を呼びかける。そして度重なる議会スキャンダルを背景に、一〇年後の一九九二年、三八の州で批准が完了し修正第二七条が発効した。
 憲法を使っていろいろな改革の実現をはかるのは、建国以来の伝統である。憲法訴訟や憲法修正、憲法をめぐる論争は、アメリカ国民が二百年以上前から政治や社会の問題を抱え、悩み、対立し、妥協し、解決してきた道のりそのものである。だからこそアメリカ憲法史はおもしろい。文庫版『憲法で読むアメリカ史』の著者は、そう思っている。

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