ちくま文庫

私とちくま文庫――『内田百閒集成』に助けられる
ちくま文庫30周年記念

 当てもなく本屋さんをぶらぶらしている時、ふと気づくとちくま文庫のコーナーの前で立ち止まっている。もちろんラインナップの充実ぶりがそうさせるのだが、背表紙の独特の肌色に引き寄せられるということもあるかもしれない。主張しないあの上品な色合いは、つい手に取ってみないではいられない心地よさをはらんでいる。読書に没頭している間、何か大きなものに包まれているような幸福感をもたらしてくれる、その包みの色は、もしかしたらちくま文庫の肌色をしているのではないだろうかと思ったりする。

 当然、我家でも、ちくま文庫はかなりのスペースを占めている。中でも特に存在感を放っているのは、全二十四巻の『内田百閒集成』である。この一かたまりは、刊行がスタートし無事全巻がそろって以降、現在に至るまでずっと、家中あちらこちらにある本棚のうち仕事机に最も近い、最も手をのばしやすい段に納まっている。

 私が初めて選考に関わった賞は、岡山県郷土文化財団が主催する内田百閒文学賞だった。他の選考委員は、阿川弘之さん、瀬戸内寂聴さん、三浦哲郎さん、飯島耕一さんという畏れ多いメンバーで、私はひたすら圧倒されていた。ただ、選考委員も財団の関係者も編集者も、その場にいる人たちが皆、内田百閒を敬愛する気持にあふれているのが伝わってきて、より百閒文学が好きになれる選考会だった。

 いつの時だったか、阿川さんがしみじみとおっしゃった言葉が忘れられない。

「一仕事終えて、何でもいい、百閒さんの本を一冊抱えてベッドに寝転がる。これほどの至福はありませんよ」

 全くその通りだ。テーブルを囲む全員がうなずいた。

 阿川さんの本棚にあるのが、どの出版社の本かは分からないが、ベッドに抱えて持ち込むならやはり、ちくま文庫が一番適切であろう。一人の作家の尊い文学が、ぎゅっと凝縮されているその密度。二十四冊全部まとめても、両腕で抱えられる安心感。そこに手をのばしさえすれば、百閒さんに会えるという親しみ。そしてひとたびページをめくると、阿房列車に乗り、ノラを膝に抱っこして、冥途の果てまで旅ができるのだ。

 実は私は、一仕事終えたあとではなく、むしろ仕事に行き詰まった時、『内田百閒集成』に救いを求める場合が多い。小説でも随筆でも日記でも、何でも構わない。偶然手に触れた一冊を開き、目に入った数行を読む。それだけで言葉の持つ奥深い魔力に触れることができる。ああ、やっぱり自分も書きたいと素直に思い、再び言葉の海に潜るエネルギーがよみがえってくるのを感じる。人生の豊かさとはつまり、そういう作家に出会えるかどうかにかかっているのかもしれない。

 以前、クラフト・エヴィング商會と一緒に『注文の多い注文書』という本を作った。有名な小説の中に登場する品物を、依頼人がクラフト・エヴィング商會に注文する。それをクラフトさんが実際に見つけてくる(創作する)。そんな仕事だった。ボリス・ヴィアン『うたかたの日々』、肺に咲く睡蓮。川端康成『たんぽぽ』、人体欠視症治療薬。J・D・サリンジャー『バナナフィッシュにうってつけの日』、バナナフィッシュの耳石……等々、いろいろと依頼品を考えるのは楽しかった。いよいよ最終回となり、締めくくりに相応しいとびきりの注文品は何か、あれこれ思案した。迷う中でたどり着いたのが、『内田百閒集成』の並ぶ本棚の前だった。やはり百閒は、ものを書く人間にとてつもない何かをもたらす作家であった。ちくま文庫のこの集成を自分が持っていて本当によかったと、心から私は思った。

 百閒のどの作品から、どんな品物が注文されたかについては、『注文の多い注文書』で確かめていただければ幸いです。これはまだ、ちくま文庫にはなっていませんけれど。

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