単行本

その視点
『耳をすませば』(チョ・ナムジュ 小山内園子訳)書評

『82年生まれ、キム・ジヨン』著者チョ・ナムジュのデビュー作はエンタメ小説だった。ページをめくる手が止まらなくなる本書の発するメッセージとは?

 よく小説やドラマで「誰にもその人なりの道理があり、どちらかが悪いわけではない」というテーマの作品があるが、よくよく見てみると、やっぱりどちらか一方に偏っているように思える作品も少なくはない。
『耳をすませば』にも、抜群の聴覚を持ちつつも発達障害のために周囲にも家族にも「バカ」とか「バカじみた」と言われている少年のキム・イルとその家族、衰退する市場をなんとかしたいと考える総務のチョン・ギソプ、テレビ局を辞めて制作会社を作るも、年々仕事が減っているPD(プログラムディレクター)のパク・サンウンという3つの立場の人々が登場するが、誰がいいのか悪いのかは、最後まで見えない物語である。
 彼らは、それぞれに〝人間的〟である。キム・イルの両親は、息子の聴覚が鋭いことを利用して、やってはいけないことに手を染めたこともあるし、チョン・ギソプは家の商売は妻にまかせっきりで、いつも市場の商人会に入りびたり、古い知り合いの女性に「オッパ」と言われることでわずかばかりの浮気心と虚栄心を満足させたりしている。パク・サンウンは、かつては社会派ドキュメンタリーを作って注目を浴びたこともあったが、そこに正義感などがあったわけではなかった。
 こうした〝人間的〟(と言っても誰にでも利己的な部分もあるという意味である)な登場人物たちは、ひょんなことからケーブルテレビ局のサバイバル番組『ザ・チャンピオン』で人生が交わることになる。
 しかし、そこでおこわなれるゲーム自体に賭博性があり、参加者に限度なく賭金を募ったり、参加者たちの人間ドラマをテレビの制作陣が過度に消費したりしているようなところがある。そんな杜撰な計画は当然、うまくいくはずもなく……。
 しかし、ある出来事をきっかけにネットで大論争が起こり、あることないことを想像でSNSに書きこまれ、悲劇に発展していく。テレビ局などの権力によって弱い制作会社や番組参加者が搾取されてしまう構造なども描かれていて、まるで今の日本を見ているようでもあった。
 作者のチョ・ナムジュというと、『82年生まれ、キム・ジヨン』があまりにも有名で、フェミニズムについての著作のイメージがあるが、本作は主に「おじさん」世代と子供の話なのも意外であった。しかし、彼らが決して「正しい」わけでもなく、また極端に「間違って」いるわけでもないのである。
 彼らが一度は失敗して、ネットで話題の人物となり、社会的に抹殺されかけるが、それでもめげずに立ちあがろうとする場面には、良い意味でも悪い意味でも、韓国の力強さ、無謀さ、都合のよさも感じた。
 良い意味でいうと、一度の失敗で社会的に抹殺されるほどの打撃を一方的に受け続けるのは耐えがたいことであるし、生きる気力を失ってしまうことがあるから諦めないことは大切だ。しかしその無謀なチャレンジが誰かを傷つけることだってある。
 物事は解決しないどころか、また同じことを繰り返してしまう可能性だってあるが、だからこそ、この登場人物は、誰が悪いとも書かれていない。どの人物もちょっと悪いところもあれば、魅力的なところや愛嬌もある。
 冒頭で書いたように、物語が「誰にもその人なりの道理があり、どちらかが悪いわけではない」となるためには、人間的な多面性があるだけでは不十分だろう。「個人の問題」だけでなく、どんな社会の構造が彼らをそうさせてしまったのかということが必要なのではないかと思えた。その点、『耳をすませば』には、その視点があるし、その視点が『82年生まれ、キム・ジヨン』には色濃く出て海を越えて日本でもベストセラーになったのだろう。
 そして、その視点こそが、韓国の作品には当たり前のようにあって、日本の作品にはなかなか足りない部分だと感じてしまう。
 チョ・ナムジュによる「日本の読者のみなさんへ」を読むと、失敗をしてしまった彼らの「悪あがき」の部分にも、ちゃんとメッセージがあるのだなと感じられた。
 

 

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