ちくま新書

ナショナリズムと建築

五十嵐太郎さんによる『日本の建築入門』の紹介をPR誌「ちくま」より公開します。


 新国立競技場の問題は、コンペの仕切り直しとなってから、日本らしさがデザインの要項に加えられたが、やはりイメージ源は過去に求められた。近代とはナショナリズムの源流となる国民国家の意識を形成した時期だが、建築においては世界各地で同じ意匠と構造形式を共有できるモダニズムが誕生した。
 興味深いのは、その国らしさという考えとデザインは結びつき、古建築を素材とした議論を通じて、建築デザインを進化させたことである。例えば、十九世紀のゴシック・リバイバル。イギリスでは倫理的な美学、フランスでは構造合理主義、ドイツでは民族主義と結びつけながら、中世の大聖堂を再評価したが、それぞれの思考はモダニズムの基本的な態度を準備したことが、デヴィッド・ワトキンによって論じられた。また二十世紀は、ロバート・ヴェンチューリらが、アメリカの原風景としてラスベガスのロードサイド建築を分析し、ポストモダンのデザイン理論を導いた。
 今回上梓した『日本建築入門――近代と伝統』は、まさに日本的なデザインとは何かをめぐって、近代と伝統が格闘した建築の歴史を振り返るものだ。具体的には、明治以降の国会議事堂や皇居の造営、万博やオリンピックを通じた建築による国家の表象、瓦屋根を近代的な構造にかぶせた帝冠様式をめぐる議論、そして戦後の建築雑誌を賑わした伝統論争、丹下健三ら日本の著名建築家達の日本建築論などをとりあげている。
 改めてそうした歴史を振り返ると、ただの技術や海外の流行として単純に新しいものに飛びつき、導入したわけではなく、いかに過去の建築と向きあいながら、独自のデザインをつくりだそうと努力してきたのかが分かる。逆に木さえ表層的に使えば、安直に日本的だとみなす現在の言説が、いかに劣化しているのかがうかがえる。言うまでもなく、木を使う建築は日本の専売特許ではなく、アジア圏はもちろん、ヨーロッパやアメリカでも普通に存在していた。
 たまたま今年の三月に中国と台湾の建築史のレクチャーに関わる機会を得たが、印象的だったのは、いずれにおいても政治と建築が抜きさしならぬ関係をもっていることだ。中国の建築史家、梁思成と妻の林徽因は、二十世紀初頭に唐代を理想的な過去とし、ゴシックと重ねて構造的な合理性を説きながら、モダニズムとの類似を論じている。だが、中華人民共和国の成立後、帝冠様式のデザイン手法とよく似た一九五〇年代の十大建築のプロジェクトなど、国家の方針に翻弄されていた。
 台湾も戦後の建築史をひもとくと、政府によってモダニズムよりも中華風のデザインが優先されたことが浮かびあがる。例えば、西洋でモダニズムを学んだ王大は、故宮博物院のコンペで一等になりながら彼のシンプルな案は実現されず、国父紀念館でも屋根の造形をめぐって蒋介石との妥協を迫られた。アメリカや日本の建築が自由に参照されたのは、一九八七年に戒厳令が解かれてからである。
 三月末に訪れたインドネシアでも、一九九八年にスハルトの長期独裁政権が崩壊し、民主化してから新しい建築の動きが起きている。感心したのは、記号として昔風の屋根をつけるのではなく、暖かい気候を生かし、モダニズムを独自に変容させるデザインが登場したことだ。例えば、完全に密閉しない半屋外の空間が多いこと、勢いのある植栽に覆われた屋上庭園、陰だまりの居場所をつくるピロティである。トロピカル・モダニズムというべき手法は、合理的なデザインであり、省エネにも貢献するだろう。
 アジアでは建築のデザインも政治に振りまわされたのに対し、日本の建築はあまり直接的に影響を受けなかったことはひとつの特徴と言える。そうした状況において戦後の伝統論争は、民衆のための建築という考えにつながったことも『日本建築入門』では論じた。さて、メディアや文化も管理することに熱心な現在の政権は、建築にも手出しするのだろうか。世界レベルで高く評価されるようになった日本の現代建築は、いま大きな岐路に立たされているのかもしれない。

(いがらし・たろう 建築史)
 

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