富野由悠季論

序 「アニメーション監督」としての富野由悠季を語りたい

機動戦士ガンダム、伝説巨神イデオン、Gのレコンギスタ……。数々の作品を手がけて熱狂的ファンを生み出してやまない富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて、本論の一部を連載します。  (バナーデザイン:山田和寛(nipponia))

アニメーション監督として語るための2つの切り口

 アニメーション監督・富野由悠季について考えたい。ここで重要なのは、この言葉で比重がかかっているのは「アニメーション監督」のほうで、決して「富野由悠季」個人のほうではない、ということだ。富野由悠季という「アニメーション監督」は、その存在感の大きさに比して、十分に語られないうちに長い時間が経ってしまった。

 富野は、TVや新聞雑誌などマスメディアに登場することが多いアニメーション監督だ。人気者といってもいいだろう。書籍に関しても、批評家らと語り合った『戦争と平和』(徳間書店)や、各ジャンルの専門家との対談集『ガンダム世代への提言』(全3巻・角川書店)、人生相談をまとめた『富野に訊け‼』(徳間書店)などが出版されている。しかしそうしたインタビューや書籍は、重心が‟文化人・富野由悠季”に偏っている。メディアで人気者であるがゆえに、「アニメーション監督」として語られていない部分が残ってしまった、というふうに見える。その部分に、いささか愚直かもしれないアプローチで改めて迫りたいのだ。

 富野は1964年に大学を卒業すると、手塚治虫が主宰するアニメ制作会社・虫プロダクションに入社した。国産の本格的TVアニメ第1作『鉄腕アトム』で演出家としてデビューして以来、『機動戦士ガンダム』(1979)を筆頭に様々な作品を世に送り出してきた。2019年からは大規模な展覧会「富野由悠季の世界」も、全国8カ所の美術館で開催され、2024年の今年は、業界生活60年周年に当たる。現時点での最新作は2022年に完結した映画『Gのレコンギスタ』全5部作で、現在も新作の準備を進めているという。

 アニメーション監督としての富野を考える時にポイントとなるのは「演出の技」と「戯作者」という2つの切り口だ。

演出家・富野由悠季の技

 富野は『映像の原則 ビギナーからプロまでのコンテ主義』(キネマ旬報社、改訂版が2011年に出版)という書籍を著している。同書は「映像は感性だけでは撮れません」と本文中にある通り、どうすればちゃんと伝わる映像作品になるか、という「仕事の技」(同書より)について記されている。映像で何かを伝えるには、ちゃんと‟てにをは”を意識する必要があり、それを富野は「映像の原則」と呼んだのだ。

 富野にしてみれば、ここに記したことは演出家にとっての常識であって、当たり前のことであろう。これは同時に富野がこうした「常識」をいかに身につけ、使いこなしてきたのか、という疑問を浮かび上がらせることにもつながる。富野由悠季はいかにして「演出の技」を手に入れ、演出家となったのか。これが、アニメーション監督・富野の語られていない第一のポイントだ。

「作家」ではなく「戯作者」であるという姿勢

 また一方で富野は、自分の仕事を語る時に「戯作者として」とか「戯作というものは」という言い回しを使うことが多い。戯作とは、江戸時代から明治初期にかけて書かれた、通俗小説などの読み物の総称だ。富野は戯作者という言葉を「エンターテインメントの作り手である」というニュアンスで使う。これは、しばしば繰り返される「僕には作家性はありません」という発言と表裏一体のものと考えるとわかりやすい。

 この言葉遣いには「鋭い感性によって自己の世界を表現する=作家」のではなく、「仕事の技」を駆使して「お楽しみ」を提供するのが自分の仕事である、という姿勢が見て取れる。ただし、ここで注意しなくてはならないのは「戯作」と自ら語る富野作品は、しばしばシンプルなエンターテインメントの枠組みからはみ出しているという事実だ。

 2009年に富野は、ロカルノ国際映画祭で名誉豹章を受賞した。TV作品が主戦場の富野が、国際映画祭で表彰されることは大変珍しい。受賞理由は「ロボットに、それまで見られなかった悲哀感を持たせるなど、ロボットの表現に革命を起こした」(2009年8月11日付読売新聞朝刊)というもの。この評価からもわかるとおり、富野は自らを「戯作者たらんとする者」として語るが、それを裏切るように強烈な個性——それはつまり‟作家性”と呼ばざるを得ないなにか——を感じさせる作品を世に送り出しているのだ。

なぜ富野作品は個性的なのか

 なぜ富野作品に強烈な個性が宿るのか。その理由は、大雑把に理念のレベルと実務のレベルに分けて考えられる。

 理念のレベルでとらえるなら、それは「ありきたりなことはつまらない」という富野の基本的な姿勢の表れである。筆者の取材経験からしても、富野は「習性になった仕事」を嫌う。「いつもと同じでいいだろう」というルーティーンに甘えた姿勢で仕事に臨むのは、富野にとって退廃的な姿勢なのだ。この厳しい視線は、当然ながら自分の仕事にも向けられている。そのため富野は常にそれまでの殻を破って、新しい何かを提示しようとする。このひとつのところに留まることを許さない運動が作品に得難い個性を与えているのは間違いない。

 実務のレベルでいうと、富野が手掛けてきた作品が基本的に原作のないオリジナル作品であることが大きい。富野は作品の立ち上げにあたって、大きな世界設定を考え、キャラクターを配置し、さらに各話の内容についてもメモを執筆する。作品の文芸的な要素の根幹を自分でコントロールしているため、いわゆる‟手癖”に見えるものも含め、富野自身の思考が作品に色濃く投影されることになる。

 「演出の技」と「戯作者」。文化人の側面から富野の思想に迫るのではなく、この2つを入り口にし、その相互関係に迫ることで、アニメーション監督・富野由悠季の姿に迫ることができるのではないか。

  本連載では、「演出の技」がいかに形成されていったかを追い、そこを踏まえつつ、さらに後者の「戯作者」としての富野の変化を追いかけたいと思う。こちらは描かれた物語の内容だけでなく、それがいかに「仕事の技」を通じて語られているかもひとつのポイントになるだろう。

 まずは前提として、そのキャリアを概観するところから始めたい。

 

次回「〈1〉富野少年はいかにしてアニメーション監督になったか」は5月10日(金)更新予定です。

2024年4月19日更新

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藤津 亮太(ふじつ りょうた)

藤津 亮太

1968年生まれ。アニメ評論家。新聞記者、週刊誌編集を経て、2000年よりアニメ関連の原稿を本格的に書き始める。現在は雑誌、パンフレット、WEBなどで執筆を手掛ける。主な著書に『増補改訂版 「アニメ評論家」宣言』『ぼくらがアニメを見る理由』『アニメと戦争』『アニメの輪郭』などがある。

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