ちくま文庫

「時刻表」への招待

『鉄道エッセイコレクション――「読み鉄」への招待』編者解説エッセイより

鉄道エッセイ/短編の名作を、『旅と鉄道』誌の統括編集長の解説エッセイとともに収録した本書。「各駅停車/蒸気機関車/夜行列車/駅/駅弁/時刻表/鉄道員」など、各章に編者解説エッセイが付いています。ここでは、「時刻表」の編者解説を公開いたします。阿川弘之、宮脇俊三、西村京太郎などのいずれ劣らぬ名作品を収録したこの章を、鉄道マニアならではの眼で読み解きます。

 ある時高校生対象の講演会の場で、
 「もし無人島にひとり残されることになったら、一冊の本は何を選ぶか?」
 と質問したところ、『聖書』『ローマ人の物語』『源氏物語』などと東西の名著が挙げられたが、なかに『時刻表』と答えた生徒がいた。なるほど、と思った。時刻表が一冊あれば、日本中の空想旅行ができるし、一本々々の「スジ」を辿ることにより、各地の車窓風景や土地柄が想像できる。ことに古い時刻表があれば、新幹線開業や青函トンネルの完成など日本の現代史を知る資料ともなる。広告を見れば、その時代の気分も伝わってくる。
 確かに時刻表が一冊あれば、相当の時間、退屈しないで済みそうなのである。
 時刻表はかつては職場には欠かせない一冊で、経理担当者のデスクの上には必ず置かれていた。旅程の計画や出張の旅費算出には欠かせないものだったからである。IT情報の豊富な今では重厚な電話帳と同じで、もはや無用の長物と化しているか、と思いきや、書店のレジ近くにはJTB時刻表とJR時刻表がいつも平積みで売られている。まだまだ需要があるようなのだ。
 昔の時刻表には、扉をめくると最初に「時刻表のやさしい使い方」というページがあり、そこには暗号と数字のかたまりのような時刻表の記号の説明が書かれてあった。
手元にある昭和39年10月号「全国ダイヤ大改正号」を見ると、「いろいろな記号の説明」があり、東海道線の四本の列車が例として掲げられ、例えば、12時57分発の修善寺・伊豆急下田ゆきの準急「第1あまぎ」は列車番号が801M(Mは電車の意味)、ホームは12番線、入線時刻は12時37分、全席指定車で終着の修善寺には15時27分、伊豆急下田には15時50分に着くことがわかる。
 現在の時刻表でも主たる表示はさして変わらないが、古い時刻表にはさらにこの区間の情報として、難読駅=国府津(こうづ)、函南(かんなみ) 、特殊弁当=横浜─シウマイ弁当(150円)、名産=東京─雷おこし(100円)が表記されている。
 特記すべきは、各駅にある設備が記号で表されており、医療班、赤帽、洗面所、駅弁、電報取り扱い駅というような駅でのサービスを明記していることだ。
 また、ケイタイが普通になった今では、考えられぬことだが、昔は走行する列車の乗客に電報を送ることができた。
 昭和30年代のこと、名古屋から母親と上京したことがあった。当時の新型準急電車「東海」に喜々として乗って行ったが、横浜駅で伯父の急変を電報で知らされて、とんぼ帰りしたことがあった。当時は時刻表がそんな急場にも対応していたのである。

 昭和の文豪にして、論壇家という阿川弘之(1920─2015)は、いまでこそ法学者の阿川尚之、エッセイストの阿川佐和子兄妹の父上と説明したほうが、通りがいいかもしれないが、自他ともに認ずる内田百閒の衣鉢 を継ぐ〝文壇一の鉄道王〟であった。
 昭和34(1959)年発行の、鉄道関連のエッセイを集めた『お早く御乗車ねがいます』(中央公論社)のなかで、「時刻表を読む楽しみ」を綴っている。
  「いい年をして、汽車が好きだとか、時刻表を愛読しているとか云えば大抵人が笑う、馬鹿にする」と、自嘲しながら、当時あった時刻表のなかの「交換室」という欄のことを述べている。新聞紙面でいえば読者欄のようなページで、全国各地のあらゆる職業、あらゆる年齢の読者からの忠言や喜びを掲載しており、当時の交通公社の『時刻表』編集係では、この欄に掲載しきれない膨大な数の投書を集め、ガリ版刷りのパンフレットまで作っていたという。(今も「たいむたいむてぇぶる」として続いている)
 例えば、網走から鹿児島までの全駅名をすべて暗記している人、隣り合った駅名が「萩玉江」(山陰線)、「金野千代」(飯田線)、「朝倉旭」(土讃線)、「高橋武雄」(佐世保線)などと人名となるケースを二十数例挙げてきた人などの手紙である。
 さすがの阿川もこうした方々には脱帽の様子で、自分の小説の中で戦時中の関釜連絡船の下関到着時分を正確に記そうと苦労したが、こんな人を知っていればどんなに便宜を計ってもらえたか、と舌を巻いている。
 阿川弘之は太平洋戦争中の昭和17(1942)年、東京帝大を繰り上げ卒業し、旧帝国海軍が士官候補生を養成する目的で創設した海軍予備学生になる。その経験を生かし、『山本五十六』『米内光政』『井上成美』など、当時の提督を主人公にした伝記小説を描いて文壇にデビューした。
 鉄道関連の代表作には、百閒センセイが及ばなかった海外の鉄道紀行を「南蛮阿呆列車」としてまとめた。また岡部冬彦(画家)と共著した絵本『きかんしゃ やえもん』は、50年以上を経たいまも読み継がれるロングセラーとなっている。

 阿川弘之の『お早くご乗車願います』は、実は後の鉄道紀行作家として名を馳せた宮脇俊三(1926─2003)が担当編集者であった。
 宮脇は東京・青山に育ち、幼いころに渋谷駅で〝忠犬ハチ公〟を実際に目にしていた世代にあたる。
 東大理学部から文学部に転部し、卒業後、中央公論社(現・中央公論新社)に入り、辣腕編集者として活躍した。北杜夫を〝どくとるマンボウ〟でデビューさせたり、中公新書の立ち上げに携わったり、『世界の歴史』『日本の歴史』シリーズをヒットさせたりと、名編集者の道を着実に上り、中央公論社の常務取締役に就任した。
 しかし、宮脇の鉄道好きは止まらない。管理職の宮脇は自分の趣味世界と会社経営の板挟みとなって呻吟するが、それまで休日を利用してこつこつと続けていた〝国鉄全線完乗〟を、足尾線(現・わたらせ渓谷鐡道)間藤駅でついに達成。『時刻表2万キロ』を河出書房新社から発行することで、〝けじめ〟として中央公論社を退職した。
 以降の紀行作家としての活躍は、周知の通りである。宮脇は鉄道旅行や時刻表の楽しみを、それまでのマニアから一般読者に広めた貢献者で、文壇でいえば、内田百閒、阿川弘之の志を継いだ第三の〝鉄道紀行作家〟といえるだろう。
 そんな宮脇の著作の集大成とされるのが、平成9(1997)年に発刊された『増補版 時刻表昭和史』である。なかでも「米坂線109列車──昭和20年」は、屈指の佳品である。
太平洋戦争末期、新潟県村上町に疎開していた宮脇は昭和20(1945)年8月12日、代議士を務めた父が経営に関わっていた炭鉱視察に同行して、山形県大石田町へ向かった。そして、村上へ帰る日、米坂線今泉駅で8月15日を迎える。
  「いいか、どんな放送があっても黙っているのだぞ」という父親と一緒に今泉駅に向かった。駅前広場は真夏の太陽が照り返してまぶしく蝉時雨が止まなかった。人びとが集まってきて、机に置かれたラジオを半円形に囲む。12時ちょうどに〝玉音放送〟ははじまった。しかし、雑音がひどいうえにレコードの針の音が邪魔をして、よく聞き取れない。文語文なので難解である。放送が終わっても人々は棒のように立ったままだった。
 昭和20年8月15日正午という、予告された歴史的時刻を無視して、日本の汽車は時刻表通りに走っていたのである。列車は何事もなかったかのようにホームに進入し、機関士はいつものように助役からタブレットの輪を受け取っていた。
 宮脇は玉音放送のショックよりも、そんな非常時にも列車が約束通り正確に走っているという日常性に心打たれた。宮脇は車窓から風景を見やる。

──日本の国土があり、山があり、樹が茂り、川は流れ、そして父と私が乗った汽
車は、まちがいなく走っていた。

  『時刻表』の存在をさらに世に広めたのは、推理作家・西村京太郎(1930─)だろう。西村の500冊以上に及ぶ〝鉄道ミステリー〟の功績は見逃せない。東京府立電気工業学校を卒業し、国の組織である臨時人事委員会(現・人事院)に勤務ののち、さまざまな職種を経て文筆活動に入った。
 昭和53(1978)年、はじめての〝鉄道ミステリー〟となる『寝台特急(ブルートレイン)殺人事件』を発表。『時刻表』の誌面からはうかがい得ないトリックを駆使した筋立ては、読者の心をとらえ、ベストセラーとなった。
 主人公の警視庁捜査一課・十津川省三警部と、第2作『消えたタンカー』からレギュラーとなった亀井定雄刑事の人物設定の妙もあり、〝十津川警部シリーズ〟は大人気となって、多くがテレビドラマ化されている。
 西村は、自らの創作活動の裏話を綴った「時刻表から謎解きを」で、『寝台特急殺人事件』執筆のきっかけを語っている。ちょうど国鉄の「いい日旅立ち」のキャンペーンがヒットしていたから、昭和の浅草とブルートレインの二つの企画を考えた。自分としては浅草の方が本当は書きたかったのだが、編集者がブルートレインを推した。その通り、編集者から「増刷しました」と電話があった。初めてのベストセラーで、思いもよらないことだった。
 と、記している。その後、西村は『終着駅(ターミナル)殺人事件』『再婚旅行殺人事件』など、多くの〝鉄道ミステリー〟作品を発表していく。
 鉄道トリックの基本をアリバイ工作にあるとする西村のこの文章は、日本の鉄道の特質をよく表している。
 日本では『時刻表』通りに列車が来るのは当たり前のことだ。ローカル線での駅ならば一分停車が普通だ。ところが時刻表に五分、六分の停車となっていれば、そこに何かしらの理由があるはずだ。そこにトリックの仕掛けられる可能性が生まれ、アリバイ(不在証明)が成立するかもしれない。また西村は『時刻表』を読み込むうちに、たとえば外房線の上り特急「わかしお」の東京駅着時刻が、土曜・休日は平日に比べて一分遅いことに気づく。調べたところ、平日は地下の京葉線ホームに着く「わかしお」が、土曜・休日に限って地上ホームに到着するためだと、わかった。この到着時刻の一分の違いから、短編ミステリーが一作、書けるかもしれない。
 こうして松本清張、鮎川哲也、そして西村へと続く〝鉄道ミステリー〟の系譜が、書き継がれていくことになった。
 インターネットやスマートフォンなどの乗り継ぎ検索、運賃計算ソフトの普及により、〝紙〟の『時刻表』の存在意義は、以前に比べてずいぶん低下している。しかし、そこからはミステリーは生まれない。時刻表の裏側に隠された〝不可解なこと〟をそこでは見つけ出すことができないのである。
 ちなみに日本のような1000ページを超えるような時刻表は世界のどこを探しても見当たらない。先進国の欧米でも国内時刻表を一冊にまとめたものはなく、発着駅中心のタイムテーブルの小冊子が置いてあるだけである。月ごとに改編し、最新情報を網羅する時刻表こそ日本人の宝であり、移りゆく時代の証言者でもある。


 

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