金田淳子

round.2 『バキ特別編 SAGA(性)』

漫画・アニメ・小説・ゲーム……さまざまな文化表象に、萌えジャージにBLTシャツの粋なフェミニストが両手ぶらりで挑みます。うなれ、必殺クロスカウンター!! (バナーイラスト・題字:竹内佐千子)

 突然ですまないが、私は昨年の夏ごろから、マンガ「刃牙」シリーズ(板垣恵介、1992~、秋田書店)に今さらハマっている。それこそ両手ぶらりの状態で、ウェブコミックサイトで無料部分を9冊分ほど読んだところ、思いがけず激しいBL描写(個人の感想)に正中線を連打され、いつのまにか全巻を購入していたのだ。
 すでに読者の間に「第二回でもうネタ切れか」「ついに刃牙のことしか語れない身体になったか」という空気が漂っていると思うが、待ってほしい。個人的に、このタイミングだからこそ、あえてとりあげたい題材なのだ。その理由は後述する。
 
『バキ特別編 SAGA(性)』(以下『SAGA』)は、「刃牙」シリーズの第二部である『バキ』の挿入話(第15巻の出来事)として、2002年に『週刊ヤングチャンピオン』で連載され単行本化された。タイトル通り、主人公・範馬刃牙(はんま・バキ)と、恋人・梢江(こずえ)の「性」の始まり=初体験を描くもので、単独のエピソードとしても読むことができる。なお、よかれと思って私に献本する方々がいたため、私の家には『SAGA』が3冊ある。
 私は昨夏まで「刃牙」未読だったが、インターネットで当時、『SAGA』が話題になっていたことは記憶に残っている。その騒がれ方は、残念だが当然というか、「ネタ」「ギャグ」として楽しむものであり、私も愚かにも「そういうものなのかな」と思い込んでいた。

 今回『バキ』を第15巻まで読みすすめ、精神統一してすべての憶断を消し去り、両手ぶらりで『SAGA』を読んだわけだが、私はこれを「ネタ」「ギャグ」ではないと思った。もちろん板垣恵介ならではの過剰な表現もあるがそれも含めて、相手を思いあい、対等に影響しあうコミュニケーションとしてのセックスが描かれていると思った。
 
『SAGA』で私が特に注目したいポイントが三つある。 

 一つ目は、性行為について双方の「合意」がしっかり描かれていること。実はTL(ティーンズラブ)、BLなど女性向けエロ表現でも、「初回は強引に、または雰囲気に流され~」という構成は(紙幅の問題でそうなっていることが多いと思われるが)しばしば見うけられる。それに対し『SAGA』では(本編も含めて二人がどういう経緯で互いを好きになったのかはほとんど描かれていないのだが)二人とも性交を望んでいることを前提として、刃牙は梢江に「きみとセックスをする」とはっきり宣言し、その後、梢江も「二人は……ここでするの……? ………セックス」と確認している。

 二つ目は、女性または「受け」の身体ばかりが「見るに値するもの」「読者へのサービス」としてクローズアップされることなく、双方の視点と感情が描かれていること。二人は最初、梢江の提案で「よく見せ合お……」と裸身で向かい合うが、刃牙が見る梢江の身体、梢江が見る刃牙の身体、ふたりの感想がほぼ等分に描かれる。特に男性向けエロマンガでは性行為中に、男性の身体が透明になったり、だんだん顔が描かれなくなったりする表現が好まれている(1)が、『SAGA』ではそうした表現は一切ない。双方の身体、顔、感情を等分に描いていくこの技法は、あえていえばBLのセックス表現に近いものであると思う(2)

 三つ目は、女性または「受け」の身体だけでなく、男性または「攻め」の身体の感じやすさ、繊細さも描かれていること。『SAGA』での性行為は、相手をさわる・舌でなめるなどの行為をまず刃牙から行っているが、その後、梢江の側からも同じことを行う。特に乳首や性器を刺激されたとき、刃牙は梢江がされたときと同じかそれ以上に大きな反応を見せ、「ヤラれるッッ」と激しく狼狽する。刃牙の感じやすさは、これまたBL表現の、受けキャラクターに近いと言っていいほどのものだ。
 本編での刃牙の肉体は、非現実的なほどの頑丈さ、攻撃力、自己制御能力を持った、いわば「男性らしさが過剰な肉体」であり、それゆえに、ともすると全ての挙動が「ネタ」「ギャグ」として読まれてしまうことは避けられないと思う(これは地上最強生物である範馬勇次郎において極限に達している)。しかし『SAGA』では、ぶ厚い筋肉に覆われた刃牙の肉体がヴァルネラブル(脆弱)でもあること、他者の影響を受けやすい繊細なものであることが描かれた。世間的に『SAGA』が(本編以上に)「ギャグ」として読まれがちであるのは、セックスが格闘のように描かれていることと、刃牙の「強いのに弱い」というギャップによるものだと思うが、ここでの刃牙の弱さは、決して笑い飛ばすべきものではない。男性の肉体が脆弱さを抱えたものであることを笑うのは、それこそ、男性に男性らしさを過剰に求める身振りである。

 二人のセックスの初回から以上の三点を備えており、かつ行為内容がつまびらかであるセックス表現は、実はなかなかに少数派なのではないかと私は思っている。我田引水ながら、最も見つけやすいジャンルはBLではないかと思うが、それでも一点目・三点目で惜しくも選から外れる作品は多い。

 さて、突然このようなことを言い出したのは、他社のサイトを使って「刃牙」シリーズの布教をしたかったからではない。1月28日発売予定の雑誌『現代思想 特集・「男性学」の現在』(青土社)で、畏友・澁谷知美さんと対談をさせていただいた時のことだが、メディアに溢れるセックスのイメージが暴力的すぎて、「彼女にあんなひどいことをしたくない」と、セックス恐怖症になっている若い男性がいる、という話を聞いたことがきっかけだ。
 そこで、「暴力的、一方的行為でなく、相互の対等なコミュニケーションとしてセックスがつまびらかに描写されており、男性身体もしっかり描かれている、できれば全年齢向けの作品」をがんばって紹介しようとしたが、私が異性愛に詳しくないこともあり、女性向けジャンルも含めて異性愛作品がほとんど思いつかなかった。ほとんど唯一、オススメできる作品として思いついたのが『SAGA』だったのだ。そこで、対談ではそのように述べさせていただいたが、世間的にはギャグとして読まれている傾向が強いため、どこかで詳しく説明しなければ私の意図が伝わらぬだろうと思い、この場をお借りしたわけである。

 もちろん、もっとPC的に見れば、そもそも『SAGA』には、避妊またはセーフセックスの描写がない(コンドーム描写がない)という決定的な難点があるのだが、現代日本では他のジャンルの作品でも一般的に描写が希少である(3)。『SAGA』冒頭あらすじの「梢江を俺の物にする」という文が本編内容からズレており、難があるのも事実だ。また個人的に「刃牙はともかく、さすがに梢江のフィジカルが強靭すぎるのではないか」という違和感を覚えるが、もうこれについては、強靭なんだと思う。さらに細かいことを言えば、舌でGスポットを探るのは無理があるのではないかという人体の不思議、そして刃牙ハウスの窓にカーテンがないため、通行人に覗かれるのではないかと気が気でなかった部分がある。

 そのような諸々のポイントを差し引いても、『SAGA』はセックスを描いた良作として、オススメできるというのが私の結論だ。
 とはいえ、異性間のセックスを描いた作品で、これしかオススメできないというのは、さすがに私の教養が貧しすぎると思う。「初回のセックスから、金田さんが提示した三点をクリアしてる作品、ここにたくさんありますよ」という達人が現れてほしい。今回はその期待もこめて、両手ぶらりで終わりたいと思う。



(1)牧田翠、2017、『13歳でもわかるエロマンガ統計 2007-2017 10年総まとめ本』サークルでいひま(同人誌)、pp70-71。
(2)牧田翠、2015、『BL統計』、サークルでいひま(同人誌)、pp42-43。
(3)牧田翠、2018、『エロマンガ統計2018』、サークルでいひま(同人誌)pp52-53によれば、2013年の男性向けエロマンガ調査ではコンドーム描写は希少であったが、2018年には平均8%ほど見られるようになったという。ただし避妊やセーフセックスのためという描写は十分でない。なお、金田が牧田氏に伺ったところによると、TL、BLジャンルについての牧田氏の過去の調査でも、コンドーム描写は希少であったため集計基準に盛り込めなかったとのこと。(知見を授けてくださった牧田氏に御礼を申し上げます。)
参考頁 https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=72191312

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