ちくま文庫

ドラマは生きものです

「でっかい青春」「俺たちの旅」「太陽にほえろ!」など多くの名ドラマをてがけた脚本家・鎌田敏夫さんが、岡田晋吉『青春ドラマ夢伝説』に解説をご寄稿くださりました。

 岡田さんは、青春の人です。

 年齢は関係ありません。

 青春ドラマを数多く作られているからでもありません。

 なぜか?

 

 岡田さんがテレビの仕事を始められたときテレビそのものも青春前期でした。

 アメリカ映画の日本語版を担当したときの苦心が、この本に書かれています。完成プリント一本送ってくるだけで、台本もくれなかった。当時のアメリカは日本のテレビなんかどうでもよかったのです。機材もなかった時代に、いいかげんな思いつきで危機をくぐり抜けたり、失敗したり成功したり、それこそ青春です。

 

 日本のドラマのほとんどが、スタジオで作られた時代に、岡田さんは、テレビ映画に進出します。映画に陰りが見えていた時代ですが、映画人にはまだまだ誇りがあって、テレビ映画は見下されていた頃でした。岡田さんは、テレビ独自のドラマを作ることで、それを撥ねのけていきます。それが、青春ドラマであり、刑事ドラマでした。

『青春とはなんだ』『これが青春だ』といった岡田さんが初期に作られていたドラマに、ぼくの師匠・井手俊郎氏も参加しておられた。「青春ドラマには水が必要だ」というのは、師匠の名言だったと、岡田さんが書いておられます。流れていく川、遠く果てしない海が、青春には欠かせないという意味です。

『飛び出せ!青春』が、岡田さんと組んだ最初の作品でした。単発ドラマを何本か書いただけの新人のぼくを、長いドラマ(その頃の連続ドラマは、半年、評判がよければ一年というのが定番でした)のメインライターにしたのは、勇気のいることだったと思います。

 そのとき、岡田さんに言われたことがあります。「一〇〇人の人間が、あなたの脚本で一年間食っていくことになるのだから、それを心に刻んでおいてくれ」。スタッフ、キャスト、そのマネージャーも入れると、そのくらいの人間がドラマに参加しています。家族も含めると、もっと多いかもしれません。その後、何本も連続ドラマを作ることになるので、この言葉は心に残りつづけます。

 プロデューサーには二つのタイプがあります。上に言われたことを、下に押しつけてくる人、下の苦労を上にぶっつけていく人。現場には現場の苦労がありますが、プロデューサーには現場には見えない苦労がある。岡田さんは、それをスタッフに見せる人ではありませんでした。

 刑事ドラマを作っているときに、岡田さんは何度も警視庁に呼ばれたと、この本に書かれています。ドラマの中で実弾を使ってしまったこと。これは、ぼくの作品でした。ガラス越しに部屋に飛び込んでくる銃弾。迫力ある乾いた音。ぼくにも分かったくらいですから、警察の人間にはすぐに分かったのでしょう。警察に呼ばれたりしたら、その後は用心した作りになるはずですが、岡田さんには、そんなことはありませんでした。

 山手線の乗客をライフルで狙う。そんな脚本を書いたことがあります。今でいう無差別テロです。普通のプロデューサーなら、脚本の段階で却下になったと思います。「真似をする人間が出てきたら番組が吹っ飛ぶ」と言いながら、岡田さんは、どうすれば実現するか考えてくれました。乗客をマネキンにして、衝撃を和らげたのです。面白いドラマを作ることで、岡田さんは搖るぎなかった。

 ドラマが評判になると他局からも仕事の依頼がくるようになりました。青春ものをやっているかぎり賞から遠ざかると、岡田さんも本のなかで心配してくれています。それを吹き飛ばしたのが、面白いものを作ることを簡単にはあきらめない、岡田さんの青春の心でした。

『俺たちの旅』の企画会議で、大学生ものは当たらないと岡田さんに執拗に言ったことを憶えています。大学生には、高校生のフレッシュさはないし、大人の人生の深さもない。断るために言ったのではありません。やるという前提でマイナスなことを並べただけです。

 それが分かっていたから、岡田さんも生意気な若手の言うことを聞いてくれたのだと思います。当時、大学生は日本のドラマを見なかった。見るのは映画と、せいぜいアメリカのテレビ映画でした。見ないのなら見せてやろうと、岡田さんは大学生ものを企画したのだと、ぼくは思いました。

 この本にも書かれていますが、何十年か後のトークショウで、「このドラマは女性蔑視ではないのか」という声が飛んだのを憶えています。心の底に澱んでいた女性蔑視が、つい表に出たのではありません。狙ってやったことです。下手な言い訳はなしに、若い男が当然持っているエゴイズムを全開にする。そのことで、人を傷つけ、自分も傷つく。その切なさを描こうと思いました。青春を、そんな視点で描いたドラマは初めてだったと思います。

 岡田さんに感謝しているのは、齋藤光正監督に会わせてくれたことでした。男のエゴの持つ切なさを心に持っている人とではないと、このドラマは作れなかった。俳優の足先の動きに、後ろ姿に、理屈ではない切なさを監督が表現してくれたからこそ、心に残りつづけるドラマになったのだと思います。

『俺たちの旅』は、作り手と視聴者の心に刻み込まれたドラマでした。一年間のドラマが終わってからも、『十年目』『二十年目』『三十年目』とスペシャルドラマを作って、それから何十年もの間、数えきれないほど再放送されてきました。

 今、テレビ局は、すべて立派な高層ビルに入っています。立派なビルのなかには、レストラン街もコンビニもあり、立派な会議室もあって、局員は街に出なくてもすみます。コンプライアンスなんて言葉も、よく聞くようにもなりました。ドラマは生きものです。スタッフ全員が育て上げていく生きものです。管理する心、管理される心からは、面白いドラマは生まれません。

 

 もう、説明はいらない。

 岡田さんは、青春の人です。