ちくま文庫

〈もの言わぬ看板〉を10種類に分類してみました。
『無言板アート入門』第一章より

無言板――それは、誰かがなにかの目的で立てたはずなのに、雨風や紫外線の影響で塗料が落ちたり印刷が褪せたりして文字が消えてしまった看板たち。
そんな「無」の看板を10種類に分類できると著者の楠見さんは言いますが、それってどういうことですか――?
ナンセンスを楽しみ尽くすちくま文庫『無言板アート入門』より、第一章の一部を公開します。

もの言わぬ看板

《言うことなしの公園》 Say nothing park

 私は以前3年間余にわたって公共彫刻やモニュメントのフィールドワークのために日本全国を回っていました。私が研究対象とした公共彫刻とはマンガやアニメのキャラクター像で、そのときからすでに元来役に立たないとされてきた下位文化をまちおこしや観光資源として役立てようとする社会システムに関心があったわけですが、各地の妖怪やヒーローやロボットなどある意味奇怪な新興銅像の調査撮影の合間に、街で見つけたもっと奇妙な古看板にもカメラのレンズを向けていたのです。

 それはかつて誰かがなにかの目的で立てたはずなのに、雨風や紫外線の影響で塗料が落ちたり印刷が褪せたりして文字が消えてしまった看板でした。看板は読めなくては意味がありません。だとすればこれほど無意味な存在はないでしょう。文化の範疇にも入らないナンセンスの塊がそこに立っていました。

 英語では黙っていることをsilent(沈黙)やmute(無口)やquiet(静か)のほかにsaynothing と表現します。「無を言う」という言い回しは、実に「無言」と同じです。

 文字のない白い看板を見ていたら、ふとこれをsay nothing board と呼んだらどうかと思いつきました。日本語にすると「無言板」。昔よく駅の改札口の横にあった「伝言板」と字面も似ていて好対照になると思いました。

 ものは名付けられて初めてその存在を主張し始めます。

 不思議なもので、「無言板」と心の中で名付けてみたその日から、近所のあちこちや駅までの道すがら、そして、初めて歩く土地でもすぐにその姿が見つけられるようになりました。何の役にも立たない能力ですが、路地に野良猫との出会いがあるように、街中に無言板との出合いがあると思えば、街を歩くことだけでもなにか可能性のあることに感じられます。

 都会の片隅に潜む無言板が雑草のようにたくましく、ときとして野草のように可憐なのは、人の手や意識を離れたところで放置されているからでしょう。本来なら新たに文字板を作り直して付け替えたりすればいいものですが、立てた人は忙しいのか、忘れているのか、結果的に無言板は当初の目的である指示や警告や注意喚起の役から解かれ、ただ無地の板切れとしてそこにあるのです。

関連書籍

楠見 清

無言板アート入門 (ちくま文庫 く-34-1)

筑摩書房

¥990

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入