ちくま新書

日本人が知っておくべきアジアでの戦争
山下清海『日本人が知らない戦争の話』

ちくま新書7月刊『日本人が知らない戦争の話――アジアが語る戦場の記憶』について、著者の山下清海さんにお寄せいただいた記事を『ちくま』8月号より公開します。長年、アジア各地で戦争の記憶に耳を傾けてきた著者が本書に込めた思いとは。ぜひご一読ください。

 1979年、大学院生であった私はフィリピンのマニラのホテル内の通路で、フィリピン人の中年男性客とすれ違った。その途端、「オマエ ドコイクカ!」という声が聞こえた。びっくりして後ろを振り返ると、彼はニコニコしながら、今度は「ニホンジン?」と尋ねてきた。久しぶりに日本人に会って、日本占領下で覚えさせられた日本語を急に思い出し、思わず声をかけてしまったようだ。フィリピンを日本が占領していた時期、住民が街を歩いていると、日本兵に「オマエ ドコイクカ!」と、たびたび呼び止められたらしい。
 大学2年生のとき、初めての海外、それもリュックサックを背負って、ひとり旅で東南アジアを歩いた。バックパッカーという言い方も定着していなかった時代であった。そのときから海外に出ると毎日の体験をできるだけ克明にノートに記録してきた。
 大学、大学院で人文地理学を専攻するようになって、そのような記録ノートはフィールドノートと呼ぶようになった。横浜中華街、東南アジアの華人社会などを研究するようになり、華人の出身地である中国、さらに世界各地へフィールドワーク(野外調査)に出かけた。その結果、大量のフィールドノートが本棚を占領するようになった。冒頭で取り上げた「オマエ ドコイクカ!」も、フィールドノートの記録である。
 私の旅のスタイルは、小田実の本のタイトルどおり『何でも見てやろう』(1961年刊)である。世界各地を歩くなかで、予想もしなかったさまざまなできごとに出会った。それらをフィールドノートに記録していくなかで、興味関心が広がり、多くの資料を集め、現場を訪れフィールドワークをするようになった。
 7月にちくま新書の一冊として刊行させていただいた『日本人が知らない戦争の話――アジアが語る戦場の記憶』は、このようなフィールドワークから生まれたものである。東南アジアや中国各地を歩き、現地の人びとと接するなかで、日本人のアジア・太平洋戦争に関する知識・関心の乏しさを痛感した。その結果、日本人が知っておくべき戦争の事実を一冊の本にしたい、しなければならないと強く思うようになったのである。
 本書の概要を紹介しよう。
「第1章 中国侵攻」では、満洲事変、満洲開拓、七三一部隊、満洲映画協会(満映)などについて取り上げる。次に、盧溝橋事件、南京大虐殺、重慶爆撃、ノモンハン事件から南進論への過程をみていく。
「第2章 マレー半島侵攻とシンガポールの陥落」では、1941年12月8日のマレー半島上陸から翌年2月15日のシンガポール陥落までの約70日間の日本軍の行動を、できるだけ現地の視点から追っていく。
「第3章 日本占領下のシンガポールとマレー半島」では、日本軍による華人大虐殺、現地の華人に対する強制献金、皇民化政策を取り上げたのち、現地の教科書では日本軍をどのようにとらえているかを考察する。
「第4章 東南アジア各地への侵攻」では、インドネシア、タイ、フィリピンなどでの日本軍の行動を、現地の人びと、捕虜などに注目しながら捉える。
 最終の「第5章 日本の敗戦」では、中国に残された満洲開拓団員などの残留日本人、戦犯となった日本軍兵士、シベリア抑留者、シンガポールでの華人虐殺犠牲者の遺骨発見など、戦争は1945年8月15日の「終戦」で終わったのではないことを改めて確認する。
 本書を読まれた読者は、今日のロシアのウクライナ侵攻を他人事とは思えないはずである。と同時に、アジア・太平洋戦争時代の日本と、ウクライナ侵攻のロシアとがダブって見えてくるのではないだろうか。