ちくま学芸文庫

未生の造型
工芸とアヴァンギャルド

「美術」を画定する境界とは何なのか。工芸とアヴァンギャルドという二つの存在は、境界の再考とそれ以前の歴史へとわれわれを向かわせます。『増補改訂 境界の美術史』(ちくま学芸文庫)の刊行を機に寄せられたエッセーをお読みください。

 工芸とアヴァンギャルドを美術として如何に論じるか。これは、思いの外の難題である。工芸は美術と工業の境界上に場を定めることで、また、アヴァンギャルドは美術の境界を暴力的に突破してみせることで、それぞれ美術の内と外のあいだに位置しているからだ。もちろん、これらを美術として語ることは可能だし、げんにそのような語りが横行している。だが、それによって曖昧化されるものもある。美術を超出しようとするアヴァンギャルドの意志、そして工芸における純粋美術への違和である。つまり、美術の限界に位置する両者の「よそ者」性がかすんでしまうのだ。
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 工芸とは鑑賞性と実用性を兼ね備える造型のことだが、日本社会において「工芸」というジャンルが形成されたのは明治以後のことに属する。
 江戸時代までの造型は、たとえば襖、屏風、衝立などの建具や調度が絵画の主要な場であったことに示されるように、鑑賞性と実用性を兼ね備えるのが常の姿であり、絵画や彫刻は「工業」という名のもとに実用造型とひとまとめにされていた。当時の工業は手仕事によって成り立っていたから、絵画や彫刻となだらかに繋がることができたわけだ。これが文化遺伝子に規定される伝統造型の基本的在り方であった。
 明治になると「美術」というジャンルがヨーロッパからもたらされ、これによって絵画や彫刻がグルーピングされることになる。工業も、江戸時代までの手工業に代わって工場制機械工業が主流となり、工業における鑑賞造型の居場所は狭められてゆく。その過程で、鑑賞造型と実用造型を峻別しない伝来の造型の有りようが、美術と工業の重なり合う部分として「工芸」の名のもとに捉え返されることになるのである。工芸ジャンルの登場である。
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 20世紀美術の最も重要な出来事はアヴァンギャルドの勃興であった。工業と美術の混成的造型を目指す構成主義や、一切の再現描写を拒否するシュプレマティズムが20世紀初頭に登場し、日本においても1920年代に村山知義が率いるグループMAVOをはじめとするアヴァンギャルドが出現する。それらは近代の美術を否定的に乗りこえることで未曾有の表現を求める運動であったが、そこには美術ジャンルそのものに対する否定の意志が胚胎されていた。そればかりか、アヴァンギャルドは、20世紀末には美術の中心部を占拠することになる。このことは、アヴァンギャルドに的を絞った美術館が1980年代から台頭したことに見てとることができる。
 アヴァンギャルドの勃興は、おそらく造型の歴史性にかかわっている。すなわち、現実と芸術の境界を画定しない文化遺伝子のざわめきがアヴァンギャルドの推進力となったのにちがいない。ただし、これは造型伝統への回帰ということではない。伝統主義とアヴァンギャルドは反りが合わない。アヴァンギャルドが目指すのは、美術でも工業でもない未生の造型なのだ。  美術はこうして、みずからの存立を否定する動きを中心に据えることになったわけだが、当然ながら、これによって美術にゆらぎが生じることとなった。絵画が絵画であり、彫刻が彫刻であり、また、美術が美術であることが困難になってゆくのである。現場の批評から出発した私が美術史的考察に着手したのは、このような時代状況に触発されたからであった。
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 美術が自己解体してゆく眼の前の状況を美術史的に捉えるためには、何よりもまず美術以前へ向けて美術の「学びほぐし」を行うことが課題となる。「美術」を前提とするのではなく、その形成の端緒に立ち戻って、そこから考えを進めてゆかねばならない。その際、アヴァンギャルドの強大化を契機とするこの作業に糸口を与えてくれたのは近代日本における工芸の成り立ち(歴史と構造)であった。美術論の難点は、こうして歴史的考察の重要な観点と化したのである。工業化社会から情報化社会へと大きく時代が動きはじめた頃のことであった。

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