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思い通りにならないことに耐えられない子どもたち――現代の不登校の背景にあるもの
『「叱らない」が子どもを苦しめる』より本文の一部を公開

現在、不登校状態の子どもは小中学校合わせて約30万人。これまで主流であった「無理させず休ませる」支援だけでは改善しない事例が増えていると、現役スクールカウンセラーが警鐘を鳴らす『「𠮟らない」が子どもを苦しめる』より本文の一部を公開!

思い通りにならないことに耐えられない子どもたち

 最近の、学校で現れる子どもたちの不適応の特徴の一つとして「思い通りにならないことに耐えられない」ということがあります。

 これだけではわかりにくいと思いますから、いくつか例を示しましょう。

【事例1:授業時間が長いから学校に行かない】

 小学校1年生の男子。小学校入学後しばらくしてから登校を渋るようになる。理由は「授業時間が長いから」と話す。学校としては、親に送り出してほしいという思いはあるが、「本人が嫌がるので」と親は子どもに言われるがままである。五月雨式の登校は続き、学年が上がってもその傾向は変わらず、もともと学力には問題がなかったにもかかわらず、徐々に学力の低下が起こり、それがまた登校の難しさにつながるという悪循環になっている。

【事例2:都合が悪い状況で「いじめ」と主張する男子】

 小学校4年生の男子。同級生とのやり取りで自分の要求が通らない状況や否定的な場面で「いじめられた」と主張する。例えば、自分がやりたい遊びができないとき、ドッジボールで当てられたときなどにそういった発言が見られる。親は男子がいじめられていると考え、対応や謝罪を学校に要求する。

 この二つの事例の印象はずいぶん異なるものだと思いますが、共通しているのは「思い通りにならない場面」に対して不満や拒否感を抱えているということです。事例2の「やりたい遊びができない」などの「思い通りにならない場面」は、学校をはじめとした社会的な場で活動する上では避けられないものですが、近年、増加している不登校や学校で不適応を示す子どもたちの中には、こうした状況に対する拒否感が中核になっている場合があるのです。

 どうして彼らはここまで「思い通りにならない場面」に対して不快を覚えてしまうのでしょうか?

「思い通りにならないことを受け容れる」ために必要な経験

 子どもが生まれてから1歳くらいまでは、外の世界とあまり積極的に関わることはせず、親子はべったりとした関係性の中で過ごすことになります。この間、子どもは親から大切にされることで基本的信頼感(世界に対して安心できるという実感)を育むと同時に、子どもの行い一つひとつに親が反応し、対応することで能動的な力の感覚(積極的に世界に働きかけていく力。自信の萌芽でもある)を身に付けていきます。

 子どもが1歳を過ぎるころには、歩けるようになるなどの身体的発達が見られるようになります。こうした身体的発達に、基本的信頼感や能動性の高まりが加わることで、「安全な親から離れて、外の世界に働きかけても大丈夫」という安心感をもって「外の世界」と関わるようになります。

 このように1歳を過ぎたあたりから、子どもは「外の世界」と本格的に関わり始めるわけですが、まだまだ分別がつかない子どもですから、やってはいけないことをたくさんやってしまいます。回っている扇風機に指を突っ込もうとしたり、階段から落ちそうになったり、高いところに登ろうとしたり、とにかく親がハラハラしたり、びっくりするようなことを平気でします。

 こういうことを子どもがやりそうになったときに、親を中心とした「外の世界」に求められるのは、子どもの行動に対して適切に「押し返す」ということです。この「世界から押し返される」とは簡単に言えば、叱られる、止められる、諫められるといったことになります。

 現代の世の中には「自由にさせてあげた方が良い」「叱るのは可哀想」という風潮があることは承知していますが、適切に叱られる、止められる、諫められることによってもたらされる「子どものこころの成熟」も理解しておいてほしいと切に願います。

 子どもが社会的な存在として成熟していくためには、こうした「世界からの押し返し」を経て、現実に合わせて自分を調整するという経験が絶対に必要なのです。

 心理学の世界では、乳幼児を育てるときの母親の在り方として「ほど良い母親:Good enough mother」が重要とされています。この「ほど良い」とは、子どもに対して100%上手く反応できていなくても大丈夫、ほどほどで良いんだよ、という意味です。

 乳幼児期の子どもは泣くことで色んな不快を訴えてきます。でも言葉をしゃべることができないので何が不快なのかわかりません。親は、こうした子どもの泣きに対して、「お腹すいたのかな?」「オムツが気持ち悪いのかな?」などアタリをつけて対応していくことになります。この予測が当たることもあれば、当然、外れてしまって余計泣いてしまうということもありますよね。

 乳幼児期の子どもを育てる親に伝えたいのは、こういった「子どもの気持ちを推し量ろうとして、でも間違ってしまう」という体験は「あった方が良い」ということです(「あっても良い」のではなく「あった方が良い」ということが大切ですよ)。一生懸命、子どものためにやろうとしたけど子どもの思いとズレてしまうことは、絶対に無くすことはできないですし、そういう体験があった方が「子どものこころの成熟」にプラスになる面が大きいのです。

 親が子どもの要求にすべて完璧に応えられてしまうことがあってしまうと、子どもにはいつまでたっても「自分の欲求」と「環境が与えてくれること」の差によっておこる欲求不満に耐える力が身につきません。こうした差を適度に体験することが、「子どものこころの成熟」を促し、むしろ子どもの現実認識(現実を現実として適切に捉える力)を高めてくれます。

 こうした「自分の思い」と「環境が与えてくれること」の差は、言わば「子どもの思い通りにならない」という体験なわけですが、こうした体験を経験することの重要性も含めて「ほど良い母親:Good enough mother」であることが大切と言われているわけですね。



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