ちくまプリマー新書

高校進学は新入生の心にどんな影響を与える?――「高1クライシス」問題
『高校進学でつまずいたら』より本文を一部公開

人間関係、授業、部活、通学時間……。進学後の新生活で起こりうるさまざまな「つまずき」を扱うこれまでになかった一冊、『高校進学でつまずいたら――「高1クライシス」をのりこえる』が発売されました。この記事では本書第1章の一部を公開します。そもそも「心」や「発達」とはなんなのかを考えてみましょう。

高校進学は心のクライシスになりうる

 学校への進学にはさまざまな環境の変化がともなうので、新入生によっては人生の「ターニングポイント」になるかもしれません。このように言うと少し大げさに聞こえるかもしれませんし、高校進学にネガティブなイメージをもつ人もいるかもしれません。ですが、決してみなさんを驚かせたり、不用意に萎縮させたりしたいわけではないのです。

 私は心理学者ですので、ここから高校進学が新入生の「心」にとって、どのような出来事になりうるかを丁寧に解説したいと思います。

 まず、お伝えしたいのは、「心」の「発達」という視点からみると、高校進学は心の「クライシス」になるうる出来事だということです。ただ、心とは何でしょうか? さらに心の発達とは何を意味するのでしょうか? そして、クライシスとは何を指すのでしょうか? これらの言葉を理解することが、新入生の心と高校進学の関係を考えるためには大切です。

 そこで、まずは「心」「発達」「クライシス」という言葉に着目して、それらを一つひとつ順番に解説していくことにしましょう。

心とは何か?

 心はとても身近にあるような気がしますが、それについて考えれば考えるほど、深淵を覗くような気持ちになるかもしれません。心理学者の私でさえ、実はそうなのです。心のもつ「顔」の多さには、途方にくれるような思いがします。少しだけ歯切れの悪い回答になるので、みなさんをもやもやさせるかもしれません。

 みなさんが日常生活を振り返った時、「これは心にかかわる経験だ」というものがあると思います。例えば、高校の合格発表の日に、ウェブサイト上で自分の受験番号をみつけてとても「うれしい」とかです。この感情、「うれしい」は心(の状態)だと言えそうです。宿題がなかなか終わらなくて「イライラ」する、といった「イライラ」も心でしょう。このように私たちは心を経験的に知っています。

 一見、身近に思えますが、実のところ、心を説明するのは結構難しい問題です。心には、それを説明するさまざまな立場あるいは考え方があります。例えば、心は物質のように実体があるのか、あるいは実体がないようなものなのか、といった考え方です。みなさんはどう思いますか?

 ふだんあまり考えないような問いに、少し険しい顔になった人もいるでしょう。「なんだか哲学っぽいな」と思った人もいるかもしれません。実際のところ、このような問いは、心の哲学と呼ばれる話です。本書を読んで、心の在りかに興味をもった人は、よろしければ、入門書をご覧ください。

 さて、実際に心は目に見えないので、魂や幽霊のように、心を実体がないもののように考える人も多いかと思います。目に見えないものだからこそ大切だ、と考える人もいるでしょう。サン= テグジュペリの小説『星の王子さま』にも似たようなことが書いてありましたね。

 夢のない話(?)になるかもしれませんが、少なくとも現在の心理学研究の世界では、心を魂や幽霊のように考える人は少数派だと言えます。そうすると、心には水や木や鉄のように実体があるということなのでしょうか?

 完全に解明されているわけではありませんが、もっともらしい心の説明は、どちらかというとそのような立場になります。もう少し具体的にいえば、脳の複雑な神経ネットワークが心の一部分を作っているとも言えます。みなさんが知っている心の経験とは違うでしょうか?

 例えば、心に働く薬があります。良く知られたものだと、抗不安薬や抗うつ薬などが挙げられます。実は、私はそれを飲んだことがあるのです。突然のカミングアウト(?)に驚いた人もいるかと思いますが、ひとまず続きをお読みください。

 私が飲んだ薬は、飲むと十数分くらいで、騒がしかった頭の中が静まり返り、まるで「すぅー」っと感情がなくなるようなものでした。これは脳のある神経伝達物質に作用する薬でした。

 これを読んで「ちょっと怖いな」と、表情が暗くなった人もいるでしょう。

 私もショックでした。心は物質(薬)で変化するのだと身をもって体験した瞬間だったからです。私の経験はともかく、「心に元気がない」「気分が落ち込む」といった状態も、つきつめれば脳の神経伝達物質のやりとりが関連していることが、部分的には明らかにされています。

 そうすると「結局のところ、心はすべて脳で説明されるものなのでしょうか?」という疑問が出てくるかと思います。

 確かに、これはもっともらしい説明の一つだとは言えます。投薬など、何らかの物質的な働きかけで心にアプローチできるという点では救いがあるようにも思います。ですが、まだまだ心については分からないことが多くあるのです。例えば、これからの科学技術の発展で、人間と同じ電子的ネットワークをもつロボットが創られた場合、そのロボットは心をもつのか、といった問いです。このあたりの話は、先ほどご紹介した心の哲学の入門書に譲るとして、とにかく、心の状態は、遺伝子や神経伝達物質、あるいは外的な環境など、複雑な要因のやりとりの結果として生まれているようなのです。

 ここまでの解説で、なんとなく心についてイメージがつかめたでしょうか? どちらかといえば、心の在りかを問うのは一筋縄ではいかない、ということがご理解いただけたのではないかと思います。

心の発達とは何か?

 次に、心の「発達」に話題を移しましょう。みなさんは発達と聞くと、どのようなことをイメージしますか? これもふだんあまり深く考えないような問いだと思いますので、難しく感じる人もいるかもしれません。

 おそらくですが、発達という言葉からは、子どもであるとか、何かをどんどんできるようになったりするイメージをもつ人が多いのではないでしょうか。確かに、そのようなイメージが一般的ですし、実際にそれも発達の一つの側面です。ただし、実はそれだけでは不完全な説明だと言えます。

 まず、発達は子どもだけを対象にした言葉ではありません。生まれてから死ぬまでの生涯を対象にします。次に、なにかできるようになることだけを発達とは言いません。年齢ともになにか「できなくなること」もあわせて発達と言います。意外でしょうか?

 発達を説明する際によく例に挙げられるのが、知能の発達です。ここで「知能」とは、目的に合うように考えたり、行動したりして、問題を解決する能力であると定義しましょう。この知能には、流動性知能と結晶性知能という二つの分類があります。

 おおざっぱにいえば、流動性知能は新しい情報を獲得したり、処理したりするような能力を指します。一方で、結晶性知能は、長年にわたる教育や学習の経験から獲得されるもので、言語能力や基本的な知識などを含みます。

 これが発達とどう関連するのでしょうか。一般的には年齢と共にできないことが増えていくイメージがあるかと思いますが、結晶性知能は高齢になっても平均的には低下しにくいと考えられています。まさに、長年にわたる教育や学習で得られたものが結晶のように維持されるのです。流動性知能のほうは、そうはいきません。20歳台をピークに徐々に低下することが知られています。おそらく一般的な発達のイメージは、流動性知能のほうに近いでしょう。心の発達には、生涯にわたって、獲得されつづける、あるいは低下しにくい側面もあるのです。

クライシスとは何か?

 難しい話が続いたので、少し疲れた人もいるかもしれません。ここでようやく最後の言葉、「クライシス」の意味について考えます。もともとの説明をおさらいすると、心の発達という視点からみると、高校進学は「クライシス」になりうる出来事だということでした。

 クライシスは日本語だと「危機」ですが、みなさんはこの言葉の意味をご存じですか? おそらく、危機というと、なんだかマイナスなイメージをもつ人も多いのではないかと思います。例えば、なにか良くないことが起こる前触れであったり、今まさに望ましくない状況に陥っていたりするようなイメージかと思います。

 確かに、危機にはそのような意味もありますし、一般的には間違っていません。ただ、英語crisis の語源をたどると、良くなるか悪くなるかの「峠」あるいは「分岐点」を表すようなニュアンスもあるようです。どちらかというと私はこの意味で、高校進学は「クライシス」になりうる出来事だと説明しました。

 つまり、高校に進学することは、良い方向にも悪い方向にも心が変化するきっかけになる出来事だということです。それ自体は良いものでも悪いものでもありません。思いのほか、ニュートラルな意味に感じたでしょうか?

 実際、高校進学をきっかけに、大きくつまずいてしまう人もいますし、その逆で、中学校の時よりものびのびと過ごせるようになる人もいます。また、危機に「なりうる」と言ったのは、学校環境が変わっても、実はその影響をあまり受けない人もたくさんいるからです。

 さて、高校進学はみなさんの心にとって、どのような出来事でしたか? また、これから高校に進学する予定のみなさんには、どのような高校生活が待ち受けているのでしょうか? 以降の章では、もう少し具体的に、高校進学と心の関係についてお伝えしていきたいと思います。

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 学校を卒業し、新たに次の学校に入学することを専門的には「学校移行」と呼ぶことがあります。中学校への入学は「中学移行」、高校への入学は「高校移行」です。学校移行後の「つまずき」やすさを称して、誰が命名したのか、「中1ギャップ」とか「高1クライシス」とか、そのように呼ぶことがあります。ただ先ほど解説したように、本書では「高1クライシス」をもっとニュートラルな意味でとらえています。

 本書では「つまずき」という言葉がたびたび出てきます。これは高校進学をきっかけに、新入生たちが主観的に「うまくいかなくなった状態」やその総称を意味する言葉として用いています。学術的な厳密さを重視するのであれば、心理学の専門用語を使用したいところではありますが、できるだけ平易に読んでいただけるように「つまずき」と表現しました。



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