あなただけの物語のために

1 問いと答え (1)

ベストセラー小説の作家という地位を築いた著者にも、道に迷った時代があった。その頃を思い返しつつ、生きづらさを抱え今を生きる若い人たちに贈るメッセージ、連載のスタートです。

 もう何十年も前になるけれど、わたしにも“少女”とか“若者”とか呼ばれるころがありました。今となっては、本人のわたしでさえ半信半疑なのですが、確かにあったのです。
 そのころのことを振り返って、何を感じるか?
 ああ、懐かしいな。
 若くて何でもできると信じていたな。
 まさに青春、きらきらと眩しい一時だったな。
 ……でしょうか? いえいえ、とんでもない。あのころから半世紀以上が経った今も、自分が少女と呼ばれていた日々を思い返せば、きらきらとも万能感とも懐かしさとも無縁の、苦くて痛い想いがよみがえってきます。
 わたしが物書き、作家になりたいと本気で考えるようになったのは、中学生のときでした。それまで、小学生のときには、友人たちと「マンガ家になりたいな」なんて屈託も臆面もなく話していました。当時は、日本が世界に誇るマンガ文化がこれから隆盛を迎えようかという時期。まだ若手ながらその後(のち)、大スターになっていく天才マンガ家たちが綺羅星のごとく現れ、次々と傑作を生みだしていた時期だったのです。子どもたちが口にする「マンガ家になりたいな」は特別のことではなく、ほとんど合言葉みたいになっていました。
 SNSは当たり前ですが影も形もなく、テレビのチャンネル数も少ない。ゲーム機もなければパソコンもない。そんな時代、マンガは新しい表現方法、新しい娯楽、そして、新しい文化の最先端に立っていたのです。あくまで、わたし個人の認識なのですが。
 だから、みんな、マンガが大好きで、マンガの世界に引き込まれ、「マンガ家になりたいな」と語り合っていたのです。
 小学校5年生の終わりか、6年生に進級したばかりのころ、わたしと幼馴染の友人たち数人は、マンガ雑誌を作ることを思い立ちました。
 マンガ雑誌といえば聞こえはいいのですが、そこは小学生のお仕事。画用紙にめいめいが好きなようにマンガを描き、誰かが表紙をつけ、ホッチキスで止める。それだけのものでした。画用紙の大きさをちゃんと揃えようとか、ホッチキスよりパンチで孔をあけてリボンで結ぼうとか、締め切りを決めようとか、どうでもいいけれど実に可愛らしい話し合いをしたこと、わたしの家(両親が共働きだったので、様子を窺ってくる大人がいない)の2階に、みんなで集まって色鉛筆で作業したこと、そのうち飽きて、おしゃべりの時間ばかりが増えていったこと、それでも何とかホッチキスで閉じるところまでこぎつけたこと(もしかしたら、孔をあけてリボン結びにしたかも)等々、思い出されます。それなりに楽しい記憶として。
 ただ、わたしはすぐに、自分がマンガ家としての資質など小指の先ほども具えていない現実に気がつきました。というか、気付かされました。
 限られた範囲の小さなグループの中にさえ、わたしよりずっと絵の上手な子が何人もいたのです。その子たちの描く絵は動いて見えました。走っているように、笑っているように、跳び上がっているように見えました。
 何の表現もできていないわたしの絵とは、まるで違いました。
 それで、わたしは自分の資質のなさを悟ったわけです。“マンガ家”は、わたしの未来の選択肢から、儚く消えてしまいました。
 それでも、さほど辛かったわけでも、落胆したわけでもありません。わたしは、わりに打たれ弱く、いつまでもぐじぐじと引きずる、つまり、厄介な性格ではあったのですが、このときは意外と平気だったのです。
 それは、自分が楽しいと感じたのは、マンガを描くことではなくストーリーを考える方だったと、思い至れたからなのです。わたしも友人たちも既存のマンガの二番煎じ、三番煎じといった作品を描いていました。もちろん、それでいいのです。
 既存作をなぞろうと、そっくり真似しようと、アイデアを借りてこようと、小学生が自分たちでペンや鉛筆を動かして作っているものなら、それは立派な創作活動です。創作活動を楽しめる時間と仲間がいるのは、すてきなことですからね。
 ただ、わたしの思考はときどき脱線しました。いや、脱線というより横道に入り込んで、あらぬ方向にふらふらとさまよってしまうのです。
 どこかで読んだストーリーから外れて、わたしが主人公ならこんな恋はしないだろうなあ。それより、彼を振ってこっちの少年を選ぶかも。それより、家を飛び出して旅に出たらおもしろいなあ。それで、見知らぬ世界に迷い込んで、そこで不思議なお婆さんに出会って、そのお婆さんは実は百年後の主人公なんだけど、主人公はそんなことは知らなくて……などと、思いきり息を吹き込まれた風船のように、どんどん膨らんでいくのです。むろん、膨らんだものをストーリーとして纏める能力もマンガに落とし込む画力も、わたしは持っていませんでした。膨らむだけ膨らみ、しゅるしゅるとしぼみ……それっきりです。何の形にも姿にもなりません。
 でも、頭の中で好き勝手にストーリーを膨らませていくときの快感をわたしは、はっきりと意識しました。
 これこれ、これがおもしろい。
 でも、集まって雑誌を作ろうという試みは、一度きりで終わりました。みんな、わたし同様に自分がマンガ家にはなれないと悟ったようです。子どもって、わりと冷静に己を見極められたりするのですよねえ。
 マンガ家熱も冷め、マンガを描くことにも飽き、わたしたちは中学生になりました。
 わたしが本格的に読書にのめり込んだのは、この時期です。それまで、本に夢中になった経験など一度もありませんでした。
 母が教師だったからなのか、家には大きな本棚があって、少年少女世界文学全集なんてものがずらっと並んでいました。
 ガラスの戸のついた本棚も箱入りの文学全集も、どことなくよそよそしく、意地悪に感じられて、わたしは手を伸ばそうともしませんでした。読んでもいないのに、マンガの方が百倍もおもしろいと決めつけていました。決めつけてそっぽを向いていました。
 マンガはおもしろいです。
 物語もおもしろいです。
 そのおもしろさは時に重なり、時に全く異なるものとなります。よく似た、まるで違う快感を読む者に与えてくれるのです。
 10代に入ったばかりのわたしは、まだ、その真実を知らずにいました。
 知ったのは中学生になって……どのくらいが経ったころでしょうか。
 わたしは、海外ミステリーに夢中になりました。そのきっかけ等については、また、後でゆっくりお話ししますね(機会があれば)。ともかく、ともかく、夢中になったのです。
 コナン・ドイル、エラリー・クイーン、アガサ・クリスティー……海外ミステリーの古典とも呼ばれる作品群に夢中になり、読み漁りました。中学生、高校生として過ごした六年間がこれまでのわたしの人生で一番、本を読んだ時期だったと断言できます。
 本を読んでいると、物語にのめり込むと、心を飛ばすことができます。
 霧に包まれた19世紀末のロンドン、1960年代のニューヨークのビル街、イギリスの荘園、ラズベリーのパイや焼き立てのスコーン、石造りの館。そして、奇妙な事件と探偵と犯人。次第に深まっていく謎、謎が解けたときの驚嘆。
 わたしにとって、全てが未知の経験でした。
 時代も国境も現実も超えて、その本、この一冊の世界に浸れるのです。それは、わたしには大きな救いとなりました。ある意味、現実からの逃避だったかもしれません。現実とは全く別の世界、場所に逃れる。読書はそのための最高、最強、最適の方法だったのです。
 いえ、別に、当時、わたしは虐待を受けていたわけでも、イジメに遭っていたわけでも、他の苦難や苦痛を背負っていたわけではありません。飢えることも、凍えることも、死の恐怖に苛まれることもなく日々を過ごしていました。ごく普通の、ごく平凡な10代の日常を生きていたのです。
 失ってみて初めて、普通の暮らしの大切さがわかると、人は言います。何気ない一日一日こそが貴くて、愛しいのだと。
 ほんとうにその通りです。
 戦争、自然災害、事故……。当たり前にあるはずの日常が一瞬にして崩れてしまう。わたしたちは、その現実を何度も目にしました。耳にしました。あるいは、たくさんの人たちが我が身のこととして引き受けざるを得なかったのです。
 だから、ほんとうにその通りだとしか言えません。ごく普通の何の代わり映えもしない、退屈で平凡な日々こそが大切で貴くて、愛しいのです。それを誰にも奪われてはなりません。自然災害は別として、他人の手によって無理やり奪われても、壊されてもならないのです。わたしは、わたしからわたしの日々を力尽くで奪い去ろうとするものに怒りを覚えます。その場になってみないとわからないけれど、たぶん、きっと、震えながらも抗うと思います。細やかに抵抗すると思います。いや……どうだろう? そんな、勇気を振り絞れるだろうか? 抗い続けられるだろうか? 
 うう、だんだん自信がなくなってきました。でも、抗い続けられる者でありたいとは望みます。抗い続けられる者であるために、どうすればいいか考えねばとも思います。
 ただ、ただね、みなさん。
 わたしやみなさんの日常がとても貴いこと、当たり前に過ごしている時が愛しいこと、それは確かなのです。が、だからといって、その日常、その暮らしの内に苦しみや悲しみや憤りや、その他さまざまなマイナス(と、世間的に言われる)感情がないわけじゃない。ここから逃げ出したいと思うことも、こんな日々、うんざりだと感じてしまうこともあるはずです。
 わたしは、たくさんありました。
 飢えないでいられること、戦火から逃げ惑わなくてすむこと、酷暑や厳寒にさらされなくていいこと等は、むろん幸せなのですが、それを盾にとって、大人たちが「おまえたちは幸せなんだぞ」「〇〇の人たちと比べたら、ずいぶんと恵まれているんだ」などなど、押し付けてくるのは嫌ですよね。身震いしてしまうほど嫌です。
 自分の幸せ不幸せを、他人に審判なんかしてもらいたくありません。10代のわたしは自分が何を幸せとするのか、不幸せとするのか、よくわかっていませんでした。いや、今もよくわかっていません。
 テストの点数で一喜一憂するし、友人たちとおしゃべりしていたら楽しいのに、友人たちの何気ない一言に心が傷付くこともありました。自分が何にもできない役立たずに感じたかと思えば、未来に漠然とした希望を覚えたりもしました。
 傍(はた)から見れば、「ああ、若さの自意識過剰ってやつだ」と決めつけられるかもしれませんが、そんな一言で片付けられるほど単純ではないのです。
 ほんとにねえ……どうして人って、こうも何もかもを決めつけたがるのでしょう。
 幸せはこういうものだ。
 10代(あるいは20代とは、30代とは、60、70代etc.)とはこういうものだ。
 いい生き方とはこういうものだ。
 摑もうとして摑み切れない人の有り様を、一つの型に当てはめて語ろうとする。21世紀も4分の1ちかくを過ぎたのに、まだ、こういう決めつけが横行しているなんて、質(たち)が悪過ぎます。以前ほどあからさまではなく、人の意識の底に潜り込み、やっている本人でさえ気がつかぬまま、“こういうものだ”と断じてしまう。
 ある程度、大人になると抗う術も身に付くのでしょうが、若い人たちはそうもいきません。と、これも決めつけの一種かもしれませんね。
 大人になったからといって抗戦術が身に付くわけでもないし、器用に生きられるわけでもありませんから。
 ただ、わたしは、わたしなりにやり過ごせるようになった気はしています。曖昧に笑ったり、聞こえなかった振りをしたり、黙り込んだりして……。
 でも、そんなふうにやり過ごしたからといって何にも解決しないんですよねえ。何一つ変わらないし、変えられない。このごろ、やっとそれに気がつきました。
 では、どうすればいいのか。
 この本を書き上げることで、それを探っていけたらと密かに考えています(と書いちゃったら、もう、密かにじゃなくなりますね)。
 えっと、ごめんなさい。話があちこちしてしまいました。