あなただけの物語のために

1 問いと答え (2)

多くがそうであるように、根拠のない自信と劣等感の間で揺れ、何者でもなかった10代の著者。しかしその心に蒔かれていた種はあった。

 中学生のころに戻ります。
 わたしは、大人の決めつけにがんじがらめになっていただけでなく、自分を自分で縛っていたところもたくさんありました。もしかしたら、そっちの方が強かったかもしれません。
 わたしは物書きになりたかったのです。
 中学生のときに、ミステリーのおかげで物語のおもしろさに目覚めたわたしは、どうしてだか、“読む人”ではなく“書く人”になりたいと強く思ったのです。そのとき、友人たちと遊び半分で作った雑誌(?)のことを思い出しました。絵は散々で、みんな同じ顔しか描けなかったのですが、ストーリーを考える楽しさ、おもしろさには触れられた。あの記憶がふわっと浮かび上がってきたのです。
 そうか、わたしは物語を作りたかったんだ。
 改めて思いを巡らせ、気持ちが高揚したものです。
 それは、わたしが初めて摑んだ自分の芯でした。特別に勉強ができるわけでも、取り柄があるわけでも、何らかの才能に恵まれているほうでもない。抜きん出て美しくも、可愛くもない。全て、平均か平均以下だと自認していたわたしが、自分の内にある他者とは違う何かに触れた一瞬だったのです。
 物書きになりたい。物を書く人になって、たくさんの物語を生み出したい。
 心の内に芽生えた想いは、本を読むたびに、根を伸ばし、芽を出し、育っていきました。
 中学生活も終わりに近づいたころには、花も実も付いていないけれど根だけは太く、長くなっていました。雑草みたいなものですね。地表に出ているところは僅かでも、掘ってみると驚くほど広く根が張っている、みたいな。うーん、あまり適切な譬えじゃないかな?
 根はちゃんとあったのです。
 でも、わたしはその根のことを誰にも話しませんでした。いや、違います。誰にも話せなかったのです。
 笑われるのが怖かったからです。否定されるのも、呆れられるのも怖かったからです。
 中学3年生ですから進路についての三者面談はちょいちょいありました。三者、生徒自身と保護者と教師の話し合いです。
 進学か就職か。進学なら、進学希望先と成績とを照らし合わせて、行きたい高校とか行ける高校とかをあれこれ、云々……というやつです。
 わたしは高校進学は決めていました(当時でも9割以上が進学希望だったはずです)。県立高校の普通科です。親もそう望んでいたし、とりあえずはそこにという程度の選び方でした。
 「それで、〇〇高校に入れたとしたら、何をするんだ?」
 面談も終わり近くになって、担任の教師が不意に問うてきました。
 「え? 何って……」
 「何かしたいことがあるんか」
 優しげな風貌の男性教諭はにこにこ笑いながら、さらに問うてきました。おそらく、みんなに同じような質問を投げかけていたのでしょう。高校入学はゴールじゃないよとの意味合いを含ませての問いかけだったのでしょうか。これから先が大変なんだぞ。がんばれよ。とのエールも含まれていたのかもしれません。今になって振り返ってみれば、そう思ったりもします。
 わたしは口ごもりました。
 「え、何って……あの、大学に行きたいと思うてます」
 「そうか。どんな大学に行きたいと思うとるんなら。大学いうても、いろんな大学があるけんな。どこそこの大学ってことじゃのうて、学部とか学科とか考えたりするか」
 「あ……いえ、別に、そこまでは……。あの、高校入試だけでいっぱいで……」
 「そうかそうか。まぁ、そうよなあ。けど、高校に入ったら自分の将来と結び付けて進路を選ばんといけんからな。じっくり考えや」
 「……はい」
 「こういう職業につきたいとか、こういう資格を取りたいとか考えとることはあるんか」
 教師の何気ない質問に、わたしは身体を強張らせました。
 なりたいものは、あります。就きたい仕事は、あります。たった一つしかありません。
 先生、わたし作家になりたいんです。物語を書きたいんです。
 担任と母親の前でそう告げられたら、どれほど胸がすくだろう。たどたどしくても、つかえながらでも自分の想いを語ったらいい。自分の想いは自分の想い。わたしが語らなければ、誰も知らないままだ。
 わたしは教師の顔をちらりと見ました。まだ、笑みが残っていました。隣で母が身動(みじろ)ぎしました。耳をそばだてているとわかりました。
 「えっと……まだ、ちゃんと考えてなくて……あの、でも」
 「うん。でも、なんじゃ?」
 「教育学部とか……」
 「おお、お母さんの後を追っかけるわけか。それもええな」
 教師は母に何か言い、母は笑いながら頭を下げました。
 もう半世紀以上昔の記憶です。本当の所、こんな会話を交わしたかどうか、はっきりしません。おそらく、かなりの部分がわたしの想像なのでしょう。
 でも、半世紀以上前の三者面談で、わたしが自分の希望を偽ったのは事実です。紛れもない事実です。あの時だけではありません。無事に高校に進学した後、目指す方向がより具体的になっていく過程でも、わたしはただの一言も自分の“夢”も“希望”も語れませんでした。教師とか、医者とか、トラックドライバーとか、花屋さんとかパン屋さんとか、そんな世間に職業としてちゃんと認められていて、そこに繫がる道筋が明白で(どんな資格を取ればいいか、どういう技術が必要か、どういう学びをすればいいか等です)、なにより周りが納得してくれるものでないと、怖くて口にできなかったのです。
 物書き、作家なんて突拍子もない未来を語るだけの勇気も、覚悟も、強い意志もわたしにはなかったのです。あえて黙っていたのではありません。明かさぬまま胸に秘めておこうと決めたわけでもありません。ただ、臆病だっただけです。
 笑われる。嗤われる。否定される。呆れられる。
 それが怖かっただけで……いや、まだあります。
 わたしはわたしを信じ切れなかった。
 いつか自分の手で夢を現実に変えられる。そう信じることができなかったのです。わたしの夢を嗤い、否み、呆れていたのは誰でもないわたし自身でした。突拍子もない未来ではなく、みんなに認めてもらえる将来を進みなさい。そう囁いていたのは内からの声でした。
 自分で自分を拒む。何てもったいないことを、わたしはしていたのでしょうか。過去に心を馳せる度に苦くて痛い、そんな感覚に襲われます。