愛のある批評

「天才的なアイドル様」に寄せて

2023年12月31日の紅白歌合戦で、YOASOBI「アイドル」のパフォーマンスが大きな反響を呼びました。その直前に初の批評集『女は見えない』を上梓した西村紗知さんは、この演出ではじめて「アイドル」という曲が理解できたと言います。芸能界に急激な変化が訪れるなかで求められる、真の「天才的なアイドル様」とは誰なのか? ここ数カ月のニュースを思い出しつつお読みください。

4.これからの「天才的なアイドル様」へ向けて
 近頃のコンテンツ産業では、ドメスティック志向が主流なのかもしれない。最近、Netflixでアジアのコンテンツ統括を務めるキム・ミニョンが、インタビューで、グローバルヒットを狙わずローカル戦略を重視する姿勢を語り、話題になった。地域ごとに戦略を立てて計画通りヒットを生み出すのが重要、という彼女の主張をみて、筆者はかつて2000年に浅田彰が言っていた「J回帰」について思い出す。「90年代に不況の中でグローバル化の波に晒された日本が、文化のレヴェルで自閉しようとする」傾向を浅田は「J回帰」と批判的に捉え、言ってみれば、内外の文化的交流から生じるある種の緊張感が喪失している状況を憂えていたものだったが、この状況判断自体が無効になったわけではないにせよ、そこに含まれざるを得ないであろう「日本は世界に目を向けていない」という批判の型はどこか古びたものとなってしまった。
 だが、ドメスティックなものをそのままグローバルに発信できる状況にはない。このまま、この業界でハラスメントに関する裁判がいつ生じるかわからない状況が続くとなれば、過去の遺産をそのままパッケージして国内外で流通させるのは、一層困難だろう。新たに制作されるものであっても、国際的なポリティカルコレクトネスの基準をクリアしたものでないと、難しいだろう。
 若い世代への期待は、もはや重荷になるほど否応なしに高まっている。実際にYOASOBIは2023年に大きな成果を上げた。Billboard Global 200の年間チャートである「YEAR-END CHARTS Billboard Global 200」で「アイドル」はJ-POPアーティスト初となるTOP50入りを果たした。困難な状況下にあって、YOASOBIという若い才能、商業的成功を多くの業界関係者が歓迎していることだろう。彼らの音楽が歓迎されることと、彼らの音楽を聞くこととは、あまり関係がないはずだけれども。
 何か都合の悪いものからの転向と忘却に役立つものは何であっても持て囃されて、その目的のために使われてしまう。免罪の思想が覇権を握る時代なのである。「若者」の本懐の一つは反抗心ではあっただろうけれども、同時に、いつだって上の世代の心理的抑圧を解消するものと受け取られ、新しい時代への鞍替えに利用される存在だったのかもしれない。
 若い世代の行動に真に心が動くなら、そこには二重になった動機が存在する。つまり、「これでよかったのだ」と「このままではいけない」。この相反する二つの気分を併せ持つことが、未来への飛翔の予感であり、この二つの気分両方を背負うことのできるものが、時代を制するだろう。「アイドル」たちがもはや芸能の特殊領域に安んじることが能わず、人々の道徳観念にそぐわないものがこれから一層禁じられるならば、真の「アイドル」とは、「アイドル」への内在的な批判として機能する存在でなくてはならないだろう。
 「これでよかったのだ」と「このままではいけない」、この二つの気分に適った存在が「アイドル」となる。それなら、舞台を華々しく飾った、あの多数の「アイドル」たちよりも、YOASOBIの方が「アイドル」だったのではないか? 海外輸出を前提に含むJ-POPという取り組みを継続している彼ら二人は、まさしく「これでよかったのだ」と「このままではいけない」の両輪で駆動しているとみなされる存在なのではないか。彼らの才能に人々が夢を見るなら、そこにあるのはまさに免罪の思想そのものではないか。
 今の時代、「アイドル」は免罪の思想の形象であろう。これは同時に「天才的なアイドル様」の実体でもあるはずだ。

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