愛のある批評

「天才的なアイドル様」に寄せて

2023年12月31日の紅白歌合戦で、YOASOBI「アイドル」のパフォーマンスが大きな反響を呼びました。その直前に初の批評集『女は見えない』を上梓した西村紗知さんは、この演出ではじめて「アイドル」という曲が理解できたと言います。芸能界に急激な変化が訪れるなかで求められる、真の「天才的なアイドル様」とは誰なのか? ここ数カ月のニュースを思い出しつつお読みください。

1.昨年末から最近にかけての話
 故・ジャニー喜多川元ジャニーズ事務所社長による性加害問題に関する報道が本格的に過熱して以降、芸能界のハラスメント問題が世間を騒がせ続けている。昨年9月に宝塚歌劇団の団員が亡くなった件で、当初の方針から一転、親会社の阪急阪神ホールディングスはパワハラなどがあったことを認め、遺族側へ謝罪する意向を固めたという。ジャニーズ、歌舞伎界、宝塚に続き、お笑い界にもこの流れは及んでいる。昨年12月27日には「週刊文春」が、2015年に松本人志とスピードワゴン・小沢一敬らが飲み会を開き、女性に性的な行為を迫ったなどと伝え、直後吉本興業は「法的措置を検討していく予定です」と声明を発していたが、1月24日に公式サイトで発表された「週刊誌報道等に対する当社の対応方針について」には、「今般、私的行為とはいえ、当社所属タレントらがかかわったとされる会合に参加された複数の女性が精神的苦痛を被っていたとされる旨の記事に接し、当社としては、真摯に対応すべき問題であると認識しております」とあり、対応を変更している。松本が文藝春秋と週刊文春編集長を相手取って損害賠償を求めた裁判の、第1回の口頭弁論は3月28日に東京地裁で行われるという。
 被害者の救済は一刻も早く適切に実施されるべきだ。そのことは間違いない。ただ、筆者の関心は、被害者でも加害者でもない人間の方、例えば特定の「アイドル」が毀損されたり居なくなったりしたのちの現実の方にも向いている。それで、新しいものの波にのまれそうになったり、古いものにきっちり蓋をするように抑圧して忘却しそうになったりして、そういうギリギリのバランス感覚のなかで生きる人間のために『女は見えない』という本を書いた、つもりである。声を上げる人にとっても、告発される人にとっても、耐えきれず反動形成に踏み切る人、そして進歩的な価値観の人にとっても、結局どの立場の人の意見を補強するものにもなっていないはずだ。
 他方、現実に目にする意見の多くは、ほとんど直情的でなおかつあらかじめ立場が区画整理されているがごとくで、かといって首尾一貫した思想がそこにあるかといえば個人的にはそういうふうにも見えない。この原稿を書いているまさに今、目下『セクシー田中さん』の問題で議論が活発に交わされている。SNS上でトラブルが発現したのちその当事者のひとりが亡くなった、そういう極めて悲痛な事態があったときは、せめてのこと、黙祷を捧げ一日SNSをやらないことくらいできないものかと思うのだが、そういうものでもないのだろうか。俳優の三浦春馬が亡くなったときにも似たようなことを思ったが、曖昧な、大きな「権力」を根元的な悪とみなすようにして、人々の間で共通了解の出来上がっていくスピードが凄まじい。一人一人の人間が動いたり働いたりして物事を決定している、という当たり前の現実が等閑視されて、得体の知れない悪の組織がそこにあるかのような、そういう世界像にたくさんの人が安住しているようにみえる。物事を問題視する行為自体が、問題に直面した際の不安解消の術となってしまったら、そこから抜け出すのは難しいのかもしれない。世の中のほとんどの問題は、解消に時間がかかるものだ。
 芸能界・カルチャー界隈に異変が起こったり、「アイドル」に傷がついたり、居なくなってしまったときの人々の動きに、気持ちの上では共感できるような気もするが頭がついていかない。頭がついていかないながらも、もうちょっと真面目に考えないといけないとは思っている。

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