笙野頼子

小谷野敦著『現代文学論争』をめぐって 第3回 告発と検証・完結

小谷野敦博士、『現代文学論争』、における名誉毀損、事実誤認、無取材、不勉強、資料未読、奇妙な憶測、言語不明瞭、明らかな誤読、不当省略等、百箇所以上に関して

 第三回です。少しお休みしている間に、世間が変わり果ててしまいました。
 室内にまだ本が三百冊ほど散乱しています。余震の度に崩れるので放置してあるのです。蛍光灯の笠がひとつ外れ、冷凍庫と冷蔵庫は壊れつつある。佐倉は震度五強。ガラスが指に刺さり、掛け時計二個が落ちて壊れ、繋いでないプリンタも落ち、キーボードの線も抜けて。余震後は書斎の戸が閉まらなくなりました。
 坂の下では陳列ケースが壊れたり食器も沢山、割れたそうだ。市内さえ家の全壊二十八戸、断水も広くあったという。隣人のひとりが、うちのなんざ被害のうちに入らない、と。私も、と当然に答えました。猫飼いの人々も心配でならず……。
 落ちついてから見たツイッターに私の生存確認があって(某掲示板にも)、恐縮しました。
 水道の出が悪くなり買い占めが始まると、余震も怖かったけど世間が怖かった。ふいにマイナス三度の予報が出て、急な強風や寒さも異常のせいに思えた。余震と地震酔いで夢が歪み、見えないものに不安が増大した。リフォーム詐欺が夜来た。生まれて初めてする教える仕事は、地震で延期になるのかもしれないと気になった。
 何よりも、現場の方や深刻な災害に遭った方々のモラルの高さに驚嘆すると同時に、言葉にしてはいけないと思う程の申し訳なさを感じました。会社内部しか見ない人々が、出世する「21世紀」に恐怖をおぼえた。疎開したらと言われたけど、今は千葉で。
 百年未来の読者のため、と前回約束しました。約束を守ります。少し遅れたけど。
 連載の原稿料、実はウェブの通常の五分の一しか出ないということです。だけど、三回分、枚数はありますので、少し足し、せめて、カンパします。
 百年未来? こんなマイナー作家の論争の訂正に? と、せせら笑う人はいると思います。しかし本文はマイナー作家の訂正であると同時に迷惑言説と、それをかばうシステムへの批判である。だって風説は怖い伝聞は怖い。おとぎ話と現実を混ぜてはいけない。
 学問を井戸端会議にしてはならない。分かりやすいだけで事の真相を「隣のおばさんヒステリー、ほら旦那の浮気さ」とまとめてどうする。そんな説明では人類が退化する。
 百年の後、人が残るのなら言葉も残る。百年後の自衛隊は反戦救助隊になっていて欲しい。環境を守り命を救う彼ら、称賛され頼られる彼らを未来の定位置に。また地震に弱く石油のない国で戦争なんか出来ない。軍事費がなくなり救助や防災、エネルギー開発に使われている百年後に、少しでも現場が報われる世界に、通じる方向に私は書きたい。

 現時点で、笙野論を書こうとする若い人のためにとも私は言いました。大学が始まるし手紙をくれた沖縄の読者もネットを見ているはず。完結させないと……とはいえ、この連載を終える事自体に実は不安があります。
 今までの予測パターンだと、こうして事実誤認を告発させてくれる事は良いとしても、結局私の連載は会社側の「禊ぎ」に使われて終わり、その直後に批判はリセットされたりする。また前もって私に何か書かせすぐ後でさらなる嘘を引っ提げ論敵登場、でも反論の欄は使った後というケースもある。他には、「もう訂正は終わりました」という形式の下に、誤植だけを直した「現代文学論争」が増刷となる、可能性も。
 読んでくださった方の中には、会社側の笙野への実質的な謝罪なのか? という人もいました(?)。煽り商法疑惑も、この「広告塔」作家があまりにも地味すぎまして……。
 ひとつの希望はウェブの連載が終わっても文がネットのどこかには残るだろう事。でも彼の行いは既にこの筑摩書房という会社を超え、公的に問題になるレベルに達している。
 口封じ訴訟に内容証明乱発。煩わせれば相手が黙ると、思っているの?「裏取引」なんか応じないよ。無責任だから出た身勝手だろう。それが罷り通るのなら世の中変わらん!
 博士と付き合いの長い編集者は「ネット見てません」というだけです。或いは「ネットの彼と現実の彼は違う存在だ」と。でも行為が法に触れる彼も、「別人」なのか?
 彼を使う雑誌、個人やネットを黙らせて、得をしているとは思わないんですか?
 この文はネットだけど校閲を通ってるよ。社内事情も事実確認した。
 一方、佐藤亜紀氏(tamanoirorgとjenaiassez)がツイッターを駆使して、博士の事実誤認を素手で粉砕するのにも私は敬意を払う。美に通じた作家が、オリジナル側が、嘘を書かれてもきちんと応対した。妙なのは、彼女と私、対立も違いも随分あるのに、博士の攻撃法が同じという事。結局彼、ただひとつの「幻」に怯えてるだけなのか。対象が変っても反応は一定で。
 さて、前回は博士の点在する間違い。今回は彼の間違いの流れを見ます。その流れとは、例の平板な反応です、「幻」相手の戦いに使う「定型」。研究者には稀でもデマ等にはありがちなこの展開を仮に「小谷野様式」と命名して、ABC順に構成を示します。
 まずA最初に、無取材のまま作家や学者について、贋のエピソードを作ります。「当人しか知りえない事実」の捏造ですね。方法は簡単、誰かの年表の空白に妄想を描くだけ。

 特徴的なのはその際、A1「でもあろうか」、等言いながら推定で論を進めること。また、年表の空白を保たないと捏造がばれるため、A2主要資料の主要部や基本設定を使わずにすませます。参考文献は隠す。こうすると、A3「ある」ものを「ない」という事が可能になり論争の理由や、出ている反論を消すことが出来ます。また、佐藤氏御指摘の通り、A4単に言及がないだけで「ない」と、言う事も可能になります。
 B次に、Aで生じた偽のエピソードB1を事実と仮定しそれを根拠に批判を展開します。或いはこのB1を結論のところに置き、B2ここに向けてさらなる沢山の空白から捻り出した、嘘のエピソードを繋げていきます。後者なら、彼の批判は全ての偽のエピソードを飾る事が可能になります。但しどっちにしろその批判の内容は彼のB3自己ルールに反する部分を指摘するのみという単調さです。捏造を「主観」で論じた「徹底批判」です。
 この、「小谷野様式」はまた、元々資料や知識のないところに、結論から逆算して作り込むせいで、B4細部の維持が大変困難です。また博士の自己ルールが、自分に甘い人の自己都合だけなので、B5人間像、視点の維持等困難です。これの具体化がCって事。
 さてそのCとは、C1、話題が唐突に出たり話がそれる。C2、対象への批判内容に矛盾が含まれる(ブログと活字の齟齬等)。また細かい不整合性の連続が続くとC3社会性文学性のある因果関係を構成出来ず、おとぎ話的理由付けが出現する。Cの最大の問題点は、敵の人間像が過度に「明晰」になる事。これ故にC4敵が次々と「狂人」化します。
 さて、ネットでは、私が小谷野氏の資質を「明晰」と評した点に疑問が出ています。ええ「仰せのとおり」。「現代文学論争」にも不毛なくどくど文が点在します。
 但し、C5博士の「明晰」さが隠れるのは、隠したいことを告白せざるを得ない時じゃないのですか? だって彼の「明晰」さは三分の理を全部に押し通すための大切な武器。細かく喋るのはばれてはまずい大事を隠すためでしょう。
 つまり博士の正体は庶民的方法を使い、専門知識で書くべき本を大量に間違え、その間違いで生じた「分かりやすさ」を売る人である。この「現代文学論争」、大塚ひかり氏も「流し読み」だとツイート。面白い「真実」を好む人程、快い「判定」に身を委ねるって事か。さてこのAからCの流れを基本として、「深み」と「広がり」が加わります。
 それは、D先のA、Bに対しさらに時系列の間違いを加えるの。ほら、「文学史レベル」の「深み」が出ます。年表の空白はここでも「生きる」。鏡の影の年表にもやったね、博士。

 同様にしてE、ここへ人間関係の間違いを加えます。すると「アカデミズム」批判や「文壇」告発に世界が「広がる」のだ。どれも年表の空白が作る「小谷野マジック」です。
 さらにこの流れがあればこそ、ネット上で、博士は佐藤氏に付きまとい、質問三昧。
 彼の批判が、最終的に敵に全てを丸投げしなくては成立しない、証拠ですね。「小谷野様式」の無根拠さと、敵に対するF根本的な依存性の現れです。
 佐藤氏が「属人」的と表現された博士の批判の、根本にこの依存性があると私は思います。この依存性は、(スケールはともかくとして)大塚某と類似しています。
 その上でG間違った前提に戻り、固着して蒸し返す。その度に事実のデッサンは狂ってゆきます。なのに結論は変わりません。さて大きい間違い、虚言を並べます。
 虚言1笙野は狂った政治屋、戦略で小谷真理に近付いた。時期はオルタ裁判の頃D。
 虚言2笙野は狂った論争屋。すべてを黙らせた。最初に反論したのは小谷野敦E。
 虚言3笙野は狂った出世主義者、全ての行動を派閥で説明出来る。津島佑子の侍女E。
 虚言4笙野の狂った行動は全て気に入らない奴を潰すため。公的理由はないA2。
 虚言5笙野の狂った論争のお陰でSF界にまで損失があったA2。
 さあこうして結論が出る。嘘でもなんでも読者は「すっきり」です。  
 虚言6笙野は狂ったブス。美人に卑屈男にやつあたり、論争の原因はブスだからA2。
 あと、ついでに「私小説のすすめ」というのに入っているもの。
 虚言7笙野は大塚に黙殺され、「おかしく」なり「滅」んだ作家である。狂って「滅」んだD、E。
 ちなみに典型的笙野研究家と笙野読者各一名に「現代文学論争」について尋ねたら両者とも「定価ですぐ買ったけど、間違いだらけに呆れて放置してある」と(では1から)。
 真実1私、笙野頼子が小谷真理氏と会ったのは実はオルタ裁判よりはるかに前、活字の証拠があるのは1995年7月3日、国際文化会館において。ラリイ・マキャフリイ夫妻との初座談会の時、華奢な彼女が方向音痴の私の手をひき喋れない私に通訳してくれた。
 でも新潮45の批判から博士は既にAとDを発揮、引用「さすがの笙野も、ひとりで戦いつづけるのは苦しくなったようで、冒頭の小谷真理とタッグを組んだらしく」とA1。

 誤前提Aから導いた脳内笙野B1へのB3自己ルール批判を続行する。
 P333 誤A、B1、D×2、E またこのあと、笙野は次第に、小谷真理、佐藤亜紀などを「盟友」としていくことになる。
 P334 誤A、D、E 笙野としては、戦略的に手を組んだとしか思えないところがあり
 P334 誤A、B1、D この頃から笙野は、立場にズレを見せ始める
 P335 誤A、D、E、C4 ここに「被害妄想三人組」とでも言うべきグループが成立するが
 九〇年代前半、硝子生命論の頃からSFと純文学、異端カルチャーの関連を私は考えていた、ワールドコンで明言したように巽氏との交流は氏の助教授時代から。ただ巽氏は今英文学、SF全体に目配りする立場。小谷氏もミクシィなら私の敵数名と親しいです。上野千鶴子に対するスタンスも違う。それでも新しい方向性の純文学について考える時、今も私は彼らと共にいる。お互い忙しく交際は本の贈呈のみであっても。
 佐藤氏とは面識なきままに活字のニアミス、会って好きになる。「事件」のずっと前ね。
 小谷野氏の人間関係理解は貧しく硬直的だ。「盟友」、「同情」、「裏取引」、「師弟」等、利害や上下関係の中に不自然な感情が空転する。「三人組」という言葉も定型であり、デマ的であるC4。人間をカテゴリーで分けるだけの人。例えば別件。赤坂氏との対談について。
 P330 誤AとA2とE 当初笙野は、女性の純文学作家とはなるべく親しくすることにしていた
 ぷ、私はロボットじゃないよ。赤坂真理もそう。お互いにひとつの個性。仲良さはそこから自然に湧いてくるもの。そもそもこの笙野三十五以前に、女の純文学二人と大ゲンカ(有名な話さ)しとるしねw。
 「現代文学論争」出版以前、2009年6月18日negative‐dialektikコメント欄においても博士は、笙野が東批判をしていないと誤認したまま、その理由は小谷真理に遠慮しての事と発言しています。その後、私の東批判を発見し、本人ブログでは訂正を出したものの、コメントをした場所を忘れたと称している。で、本が出たら。
 P339 誤A、D、E この頃から笙野は、小谷との関係もあって、フェミニズムを前面に出すようになる
 こと私に関し、「この頃」と「フェミニズム」と「関係」って出てたらこの博士は全部間違っています。フェミというなら、むしろ私の文学の「母」、猫の師匠でもある故三枝和子なのに。哲学と仏教に加えてフェミニズムを使う。

 ついで、A3「ある」ものを「ない」という彼の特徴、ここに並べます(ブログ含)。
 誤笙野は東浩紀を、津島佑子を、斎藤美奈子を、美人作家を、――批判していない、以上間違いA3に分類。但し。
 この中で「現代文学論争」において消えているもの。東浩紀、津島佑子、斎藤美奈子。誰かを笙野が批判していない事、これこそが博士の自己ルールにおける政治屋笙野の根拠なわけですが。その根拠が(自己ルールに過ぎぬものさえもう)ぼろぼろだ。
 他、A2を使いB3を広げる手掛かりとして、小谷氏オルタ裁判への誤認も拡大させている(P333に提訴の経過、証人の構成等の誤認あり)。
 真実2小谷野博士にはオリジナリティがない。ただ抜きんでているのは自分に甘いところ。自分が最初に笙野に反論したと強調する。見出し引用です。
 「初めて反論する相手に出会った」――あり得ない。夢でも見たのかね。
 一番ひどいE、私の論争の前期と後期の間を分けないで論じた点。何年も開いているのに見出しも区分もなし。理由は単純、だって私の論争を前期後期に分けると後期が世間で大塚・笙野論争と呼ばれ相手の名が大きく出る。「公認の敵」になるからね。前期は確かに相手方記者が出てこなかった。だけど途中から噂の真相が追っ掛けて、私は毎日新聞で広めた。都市部と業界では知ってる人もいた。博士本人もプロレス呼ばわりしていた。他、私後期の追放劇に関する時期も大きく間違え、あちこちEで破綻しまくっています。平野氏関連の間違いEも複数です。ま、それはともかく。
 後期の一番要約的な文「私の純文学闘争十二年史」において小谷野氏は、これが私から複数の人々への応答である事を飛ばして紹介している。
 そもそもこの一文は新潮45コラムにおける洪詠大氏に答えたもの。栗原裕一郎の批判もあるが中の要注目は永江朗氏である。博士が? 初めて? その他、内容はともかくきつい言い方のものなら塚原尚人等、等、前期終了後はありました。
 中でも一番目立ったのは大塚氏と同時掲載されてしまった私の論争文について、「わからない」としつつ批判する記事を、当時群像に書いた永江朗氏。二十世紀から私の批判を彼はしていたわい。
 掲載は宝島社2000年3月発行の「いまどきの『ブンガク』見開き二十九回私をブスと呼びつけ、ブスの剣幕に人は黙る故、「論争ではかならずブスが勝つ」とした短い「作家論」だ。立派にブスと論争を結び付けているね。但し永江氏は私のブスを演技と評した。
 小技を効かせた小狡い永江氏、一方同趣旨でもこれを本当にブス、と単調化してしまった平板な後追いが、小谷野の「ブス文学論争」。発想の、借用? なんですかねえ?

 偶然に似た趣旨が出てきたと言うのなら、「現代文学論争」において、エッセイ中の永江氏の名をなぜ「ちょっと」隠すのであろう。初めて反論したというのも当然嘘ながら。
 P339 「小谷野様式」A2とA3 栗原裕一郎を俎上に挙げていた。
 ひとまず(「ある」)永江さんを隠す(「ない」)。そして小谷野氏が「初めて反論」した後。
 P342 いつもの罵倒コラムが載っており、斎藤環、永江朗、そして私
 人の後追いまねっこなのに、誰もしてない「私」=小谷野が最初って……。
 真実3笙野の党派性について、だそうです。「初めて反論」した彼のエッセイ(このトラブルの発端になったものですね)には津島佑子氏の名は二度も出てくるね。そして。
 博士ブログ2005年7月10日「配慮怠りない笙野頼子」笙野は出世主義、偉い選考委員批判しないって?
 P336 小谷野様式C5 津島宛の手紙形式で、笠井がいかに悪辣な商業主義者であるかを述べるということもあったが、この文章はなぜか単行本に入っていないC1。笙野の本当の敵はむしろC1笠井ではないか、と思うA1。
 ほら「明晰」引っ込んでC1現象複数。唐突に現れたこの文据わりが悪いわ。ああああ、出ている津島批判をA3にした挙句経過なしでA2の言い訳だけしちゃってさ。本人も薄々間違いを理解したようだ。でもB3で正規の反論文ではないと言いたいご様子。挙げ句話が唐突に二回それてC1×2。笠井潔? その上なんでP310「キーパーソン」なの? これこそGだよね、逆算して作り込んで不合格。敵の元祖は大_某、笠井氏は地味な「SF」だ。後期は笙野追放後にのこのこ群像に来て文句言った、中の上レベルの卑怯者にすぎん。
 さあ、これで博士津島批判あったぜ問題をクリアしたつもりです、そして結局誤Hへと戻る。でもなんで、戻るわけ? 間違っていたくせにねえ。
 P338 誤EとFとGとA2 文壇では大庭みな子、津島佑子らが笙野にとっては庇護者であったらしい
 この庇護者って言葉の使い方。失礼というより、どうかしているわ。この人まさか「庇護者」募集中なの。そのFこそが問題だと私は言いたいね。
 津島氏とはデビュー十年一切連絡なし。野間賞(落)と読売文学賞(落)、伊藤整賞(入)の選考委員です。金毘羅を絶賛した口で水晶内制度を下げています。批判に応えてくれた良い方だが交流はFAX五回程度。一方論争の資料をくれたり直に叱られたりは金井美恵子氏。家を訪問しあったのは故三枝和子氏と他一人。しかし博士は一度誤認すると頭から離れないね。また女は女だけで付き合うというこの発想も女性を個別に見ていない。故大庭みな子氏は故三枝氏と仲良く、故藤枝静男氏を尊敬してられたから。どっちにしろ誰とも滅多に会わないね猫の世話あるから。

 緊急連絡等する猫飼いの作家が七十代筆頭に八人。千葉在の目上作家若干(二人訪問)。目上対談は加賀乙彦氏、故小川国夫氏。最後の最後まで二十年超、心配してくださった故木下順二氏。名は出さないけれど御遺族との交流もある。他に評論家多数。また最近の私は若い人や流行作家に感謝しています。なのに小谷野氏の空想するのは「党派性」と「文壇」のみ大奥ドラマだね。私だって友人はいるさ! どっちにしろ博士はまたはずれだがね。ここでG別件、をひとつ。清水良典氏の純文章という語への博士の「石頭」。
 誤GとA2、純文学を担保するのが純文章
 清水氏は純文学の担保はしていない、詩でも語りでもなんでもジャンルを超えてよい文章を求めているだけ。でも博士は清水氏が新しく変えた言葉をまた元に戻している。しかも間違えたままで論敵のはずの吉原真里氏に平気で教えている。あー恥ずかし。
 真実4選考委員降板事件について
 会社側新任の管理職が、文学の基準を決定する文学賞選考委員を予告なしに解雇。労働問題以上にそれは文学の自立性の問題であった。で、記者会見で抗議。すると博士は。
 誤A2とC3、C4もはやこの辺りから、内容のある論争ではなくて、ただ笙野が気に入らない人間相手に荒れ狂うさまでしかなくなるのだが
 「となりのおばさんヒステリー」とまとめる博士。でも記者会見は新聞記者複数に要請されて開きました。まあ自分達で開くのだがね。なおかつ、こういうケースを「事件」にしようとすれば、複数の委員の賛成が必要です。私ひとりだけでは無理なのだよ。言い出しっぺ私、顔出しひとりでもね。同意二名。差し替えの新メンバーとすら多くは友情発生。博士は社会的行動が理解出来ないね。この記事を赤旗のだけでも(短いから)引用しておきます。他、確認出来たのは毎、東、読、産。
 「仮に、選考に資本の論理が横行することになれば、文学自体に悪影響を及ぼすことになりかねません」――赤旗。
 真実5作家は作品を書いている。博士は「読まない」。研究者についても、「知らない」。
 P349 誤A2とE、C3、C4 「純文学擁護」とSFはどのように結びつき、また齟齬するのか、きちんと議論すべきだったろうが、それは結局笙野の凄まじいブチギレ方によって不可能となってしまった。
 真実1にあるように巽氏との出会いがある。後期論争は近未来小説にほぼ生かされる。外国でも一部だが、私のアヴァンポップ作品は研究されてます。笙野だってラリイ・マキャフリイと対談、ワールド・コンで海外の研究者と議論。論争文でも始終SFに言及。そもそも前期論争はSF論争史の年表にのっています。日本の研究者も笙野頼子とSFってテーマは選んでます。ていうか博士本人も書いているよねえ「水晶内制度は、問題作である」ってC2。ついで、この批判の根拠にされた読者について。

 P349 誤A2、D、E、他 木村カナを始め、初期の笙野ファンは、純文学というより、ファンタジー、いわゆる「腐女子」志向があって、
 「腐女子」とファンタジーを繋げるのがB3。かつ木村カナは都立大学卒同大学院修士課程中退、修論に予定したのは平塚らいてうと森田草平の事件。金井美恵子氏、尾崎翠、森茉莉、蓮實重彦氏の読者。また笙野初期作品とは八十年代の近代文学的文体のもの。木村氏の笙野体験は二百回忌から。作品の時期から読者層から間違ってなおかつ、批判それ自体が言いがかりの博士。
 では次にP350 誤AとBとE、C3 次々と美人作家が率先して受賞していったが笙野が本当に苛立っていたのは、その事だったのではないか
 「となりのおばさん美人に嫉妬くやしいくやしいヒステリー」と纏める博士のC3です。
 真実6同性であれなんであれ、違う人は違うコース行くだけです。ていうか女同志だけが賞競争をする、という博士の大奥願望は病的だね。金毘羅は読売落ちの時受賞松浦寿輝氏、野間本賞落ちの時村上龍氏。水晶内制度、素数長歌と空は、谷崎川端共に堀江敏幸氏。三冠で既に、笙野「一生分よ」という説もある。
 十年本も出ずに親泣かせて止めなかった。もし人と比べてたらそこで筆折ってます。
 真実7訂正の簡単な間違いです。大塚・笙野論争って名前がある以上応答はあったのだ。大塚は文学を「捨てて」いる。私はここにいます。私が文学だ。その他「滅」んでから伊藤整賞受けて特集も次々出た。大西巨人氏やアカデミーの評価さえ変ってないはずです。
 これで終わりです。まだ半分以上訂正は残ったけど、でもどうせ博士はまたどこかでやらかすでしょう。そして三月の新刊には間に合わなかったけれど、私は以後の自分の本にはこう書こうと思います(う、主人公の名前までもP331「沢木千本」は間違いだ)。
 「該当の書物は笙野頼子研究にお勧めできません。著者の不法行為や無数の事実誤認については下記をご覧ください。ここのURL、図書館様各位」ひとつ、「現代文学論争をめぐって」というのは私の題名ではなく、コーナーの見出しです。
 どうか皆様ご無事で、復興する福を信じて、ともかくも今、眠れますように。

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