単行本

知りたいことが書いてある

平川克美著『移行期的混乱 ――経済成長神話の終わり』

 平川さんとは何度かお会いしたことがある。ぼくと同じ年代、というか同じ学年で、いつも微笑みを絶やさぬ紳士だ。その佇まいが感じ良すぎて、突っ込んだ話をしたことがない。だって、雑談してるだけで楽しいんだから、それでいいじゃないか、と思う。でも、この本を読んで、しまった、と思った。もっとちゃんと話しておけばよかった、と思った。ぼくは、この本に書かれているようなことが、ずっと知りたかったからだ。
「この本に書かれているようなこと」、もしくは「ぼくがずっと知りたかったこと」を、簡単にいうと、こうなる。
「いまは、どんな時代なのか」。
 ずいぶん、当たり前の設問、よくある疑問のように思える。ぼくだって、そう思う。だからといって、答えやすい問題ではない。いや、こう質問されて、即答できる人がいるだろうか。たぶん、質問された人は、こう答えるんじゃないだろうか。「たいへんな時代だよ」と。
 この回答も紋切り型というか、しょっちゅう見たり、聞いたり、読んだりするものだ。そして、ぼくたちは、まあそんなものかと納得してしまうのである。でも、ほんとうは、ひそかに心の中で、この程度で納得してる場合ではないと考えてはいるのだが。
 平川さんは、この、あまりに本質的であるが故に、答えにくい質問に、真っ向から答える。それは、ぼくたちが聞かされてきた回答(のようなもの)とは、ひどく違う。
 さて、「いまは、どんな時代なのか」という問いに対する、平川さんの回答は、端的にいうと、「現在は、千年に一度の、いや、もしかしたら有史以来初めてといってもいい、大変動の時期である」というものだ。さらに、付け加えるなら、「だから、過去の経験則をもとにしたどんな対処法も有効性を持たない」というものだ。
 具体的な例をあげよう。
 平川さんは「戦後日本の経済成長」が三段階にわたって変化してきたことを、資料をもとに提示する。最初の二十年の経済成長率がおよそ9%、次の二十年がおよそ4%、そして、現在に至る二十年がおよそ1%。これはおそるべき数字といえるだろう。そして、現在、われわれが目の前にしている経済成長の「停滞」こそ、これから永遠に続くかもしれない、日常の光景である可能性が高い、というのである。
 もう一つの例をあげてみる。
 人口動態の変化だ。平川さんは、ここでも、人口学者エマニュエル・トッドの研究を紹介しつつ「民主化が進展し女性の識字率が向上していくと、あるところから人口増大にブレーキがかかる」という。ご存じのように、二○○六年から、日本の人口は減り始めた。これは有史以来初めての事態だ。つまり、これは、誰も経験したことのない時代が始まったということに他ならない。
 思えば、「人口は増え続け、経済も成長し続ける」という感覚は、ある年齢以上の世代には(ぼくや平川さんも、その中に当然含まれる)共通のものだった。というか、信仰に近いものだった。おそらく、いま、経済や政治の世界でリーダーと呼ばれる人びとの大半も、心の奥底では、経済が停滞し、人口が減少してゆく「現実」を受け入れることを拒否しているのではないだろうか。なぜなら、それは、「経験則」に反するからだ。
 かくして、一方に、過去の経験に頼って(内心では自信もないままに)、かつての経済成長の夢よもう一度と叫ぶ人びとがいて、もう一方には、「坂道を下ってゆく」現実に立ちすくむ人びとが出現するに至ったのである。
 では、どうすればいいのか。平川さんは、こういう。「わたしたちに判っているのは、文脈的移行期においては、どう考えればよいのかという手近な回答には意味がなく、(中略)どう考えてはいけないかという原理的な問い返しをすること以外に、わたしたちの立ち位置を確認することができないということである」
 原理的に考えよ、と平川さんはいう。それは、要するに、自分の頭で考えよ、ということだ。それもまた、有史以来初めての事態なのかもしれないのだが。

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