本書は、大坂を舞台に、近世の巨大都市を生きた民衆の視座から叙述される、著者渾身の一書であり、全体史の達成である。内容は10章からなり、これらを「巨大都市 大坂――社会と空間」、「孝子褒賞と忠勤褒賞」、「都市民衆の諸相――生業と扶助」の3つの部に区分し、序章と終章を付して構成される。気軽に手に取ることができる新書の体裁ではあるが、質はずしりと重い。書店の歴史書コーナーなどに平積みされる書籍の多くが、時流に乗ろうとしたり、気を利かせたキャッチコピーだけで中身がなかったりする「商品」(まがい物)であるように見受けるが、本書はそれらとは全く別次元にある、重厚な本物の歴史叙述である。スマホ中毒となって無内容かつ厖大な情報の渦に身を委ねる読者にとって、本書は知性のアクセルをめいっぱい踏み込まなければ、容易に読み通せないかもしれないが、枯渇した知性を蘇生させるきっかけにはなるような気がする。
大分以前の話であるが、あるところで、研究者志望P君の研究報告を聞いたときのことをふと思い出す。その報告は、江戸幕府の重職どうしの意思疎通をめぐる興味深い内容であった。私は、配付されたレジュメ報告に添えられた史料に出てくる茶坊主のことが気になり、「江戸城内で重職などの意思疎通を担う茶坊主について、その実態も併せて見ると、もっといろいろ論点が広がっておもしろくなるのでは」などと意見を述べた。その時P君はいやいやと手を振りながら、「僕は「下の方」には興味ないんで」と応答した。そうか。大名・旗本とかで権力中枢にいる連中には関心を持つが、「下の方」の歴史はどうでもいいんだと、その「率直さ」に妙に感心したものである。
歴史研究の対象に何を選択するか、そして過去の何を明らかにしたいのか。卒業論文や修士論文といった歴史研究の入口で、何をテーマにどのような視点で研究に取り組むのかということと、大学や大学院で学ぶ以前の、20年余りの人生とはおそらく相互に深く関連しているのだろう。
卒論で江戸の非人をテーマに取り組んだ著者塚田氏は、本書執筆の土台にある厖大な基礎研究の中で、つねに近世社会の「下の方」、なかでも、疎外し尽くされた人々――えたや非人、遊女や芸能者たち――に寄り添い、その実態を克明に掘り起こし、研究し、叙述し続けてきた。P君とはちょうど真逆のスタンスである。しかし本書からも窺えるように、氏は「下の方」に視座を据えながら「上の方」にも十分目を行き届かせている。幕府や大坂町奉行といった、権力や特権的な位相を見ること、また社会の中間的な部分についても、「下の方」の実態を明らかにする上で、きちんと解明すべき大切なこととして位置付けている。
厖大な古文書を残した日本の近世社会ではあるが、民衆の実態を明らかにできる史料はそう多くはない。都市の下層民衆においては尚更である。本書で著者は、孝子や忠勤者に関する褒賞事例の精緻な分析を基礎に、ふつうの人々の生業、老いや病などのライフサイクルなどを辿りつつ、都市下層民衆の実態に迫り、巨大都市大坂の全体像を立ち上げて行く。全体史というものが、「下の方」に視点を据えることで、はじめて豊かなものとして達成できる、ということを、本書は証明している。
この過酷な現代社会を生きる「99パーセント」に属すふつうの市民が、本書に登場する過去を生きたふつうの人びとと親しく接する中で、自らがおかれる現実とその拠って立つ社会のしくみと土台、そしてこうした現実を生み出してきた歴史を見つめ直し、一方で、かけがえのない家族や仲間とともに誠実に働き暮らす中にこそ、一番大切なものは宿るということに思いを巡らすきっかけが得られることを希望したい。
下からの全体史
PR誌『ちくま』2018年1月号より、塚田孝『大坂 民衆の近世史』(ちくま新書)について、歴史学者の吉田伸之先生による書評を公開します。