ちくま文庫

夢で逢ったよう
『魚味求真――魚は香りだ』書評

稀代の名人として知られた寿司職人、浅草「紀文寿司」四代目親方関谷文吉氏。その仕事をこよなく愛した落語家の柳家小満ん師匠に、文吉親方の遺著『魚味求真――魚は香りだ』を、書評していただきました。

 あたしが浅草の〈紀文寿司〉を知ったのは『魚味礼讃』(関谷文吉)の出版直後であったから、平成二年の秋頃であったと思うが、紀文寿司のご常連のご紹介であった。以来月に二、三回だが心踊らせて通わせて戴いた。
 あたしの前座時代は桂文楽の内弟子であったが、師匠は折々、朝から一献傾けることがあり、平目の刺身で舌鼓を打った後で、あたしの掌にも一切れ乗せてくれて「味わってお食べよ」と云い、「旨いと思ったら、それが芸ですよ」と云って、あたしのセコ頭を悩ませてくれた。掌の一片は勿体ない程に有難いのだが、実のところ何がどう旨いのか分からなかった。その日は日がな一日、平目の味を反芻してみたが、淡白で霞のような味とでも言うほかなかった。それから三十年、師匠が亡くなってから二十年も経って、紀文寿司で出された、一切れの平目の旨さに、思わずあたしも舌鼓を打った。薄く長ァく引かれた刺身に煮切りをさっと刷いた、その一切れの平目の醍醐味に、これぞ名人芸と唸った。
 紀文寿司へは殆どかみさんと行ったが、あたしの一献の間には、肝や腸を小鍋でさっと煮てくれたり、鯛の中骨だけの潮椀を出してくれたり、鱈ちりが出たり、河豚ちりであったり、夏場の涼味たっぷりな水貝なども初めてで、噺の中で使ったこともある。白魚の握りには、芝海老のおぼろが忍ばせてあり、江戸の夕景色が偲ばれるようであった。又ある時は、たった一貫の中トロの酸味が、家へ帰るまで上顎の辺りで消えなかったと話をしたら、ご常連の一人が「あたしは茅ヶ崎へ帰り着くまで香っていますよ」と同意をしてくれた。これぞシビマグロの真髄でもあろうか。
 さてさて紀文寿司での、味の思い出は尽きないのだが、『魚味礼讃』に続く一冊が、平成十一年発行の『魚は香りだ』で、この二冊はあたしのバイブル的存在で、折ある毎に拾い読みをしており、過日もさるお宅で牡蠣の殻を次々と開けてもらい、レモンがなくなるまで御馳走になったのだが、その礼状には、
  牡蠣の味ヘミングウェイならずとも
と一句捻ったが、これも『魚は香りだ』からの啓示である。その名著『魚は香りだ』が『魚味礼讃』に続いて文庫本に成り、『魚味求真――魚は香りだ』と、四文字の主題が付いたので、《魚味双璧》といった感である。
 改めて読んでみると、まず始めに〈食の香り〉と題して、化学的な観点から味覚と臭覚に迫り、食の快楽を哲学と称したりして、アカデミックな感じもするのだが、好きこそ物の上手なれで、真摯な上物選びの裏付けに他ならない。次の〈サザエは磯の香かおる緑色の味わい〉では、栄螺のあれこれから、鮑の水貝にも触れているので、一寸引用をする。
 「サザエのさしみは、小ざっぱりした野趣ある味わいでなかなかのものですが、アワビの水貝(アワビのまわりについているザラザラした耳を取り、サイコロのようにぶつ切りにして濃い塩水のなかにサクランボやキュウリなどとともに入れ、その塩味で食べる)と比べると、深い味わいはなく、調子はぐっと落ちて感じられます。サザエの真骨頂はなんといっても壺焼に尽きます」
とあって、その〆では、
 「サザエにしても、棘が長く、殻が薄く育つ条件は、潮の流れと生い茂る褐藻類の質の高さです。アラメ、カジメの味わいが棲む環境によってやはり違うのでしょう。そういった香り高い藻類を食むサザエを口にふくむと、磯の香に包まれた緑色の味わいが感じられてなりません」
と語っている。最終章は〈魚に香るワイン礼讃〉だが、ワインはあたしの範疇でない。
 魚には色々な回遊性があり、季節回遊、索餌回遊、産卵回遊などだが、言葉遊びにも回遊ものがあり、回文というもので、寿司屋さんに相応しい回文があって、多少の色気もあり気に入っているので、一寸お景物までに。
 《キスもイカも貝も好き》
 

2020年1月14日更新

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柳家 小満ん(やなぎや こまん)

柳家 小満ん

1942年(昭和17年)神奈川県生まれ。1961年(昭和36年)八代目桂文楽に入門、桂小勇と名乗る。1965年(昭和40年)二ツ目昇進。1971年(昭和46年)文楽没後、五代目柳家小さん門下へ。1975年(昭和50年)真打昇進。三代目柳家小満んを襲名。著書に『べけんや――わが師、桂文楽』、『江戸東京落語散歩――噺の細道を歩く』など。

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