ぼくは絵柄の不安定な漫画家だった。デビュー当初は手塚治虫と石森章太郎を合わせたような画風、しばらくして泥臭いタッチが欲しくなり、貸本劇画に先祖返りしたような画風に変えた。一、二年はそれなりに技量も向上し、自分の絵柄を掴みつつあったように思えたが、一九六九年の終わり頃からそれがあやしくなってきた。ペン先のコントロールがきかなくなったのである。漫画を描くペンには何種類かある。かぶらペン、Gペン、ファルコンペン、丸ペン、日本字用ペン、証券ペン、ガラスペンというのもある。かぶらペンは手塚治虫が愛用した漫画用具の王道ともいうべきペンだ。当然ぼくも手塚治虫に倣ってかぶらペンからスタートした。かぶらペンは丸っこい柔らかな線が描ける。ただし、扱いには要注意。指先の力を抜いて軽く持ち、手首を柔軟にしておかないと、かぶらペンの先端は暴走してしまうのだ。軟らかいペンほど操るのは難しい。ペンのサイズが大きいこともコントロールが難しい要因だろう。ぼくのように指先に力を込める筆圧の高いタイプの漫画家には合わない。かぶらペンを使っているとぼくの絵には不思議な現象が起きる。いつのまにか人物の頭身が高くなるのである。何だろうな、うまく説明できない。ぼくは小さな円を描こうとしているのにペン先は勝手に動いて二回りほども大きなマルを描いてしまうのだ。
ぼくには従順なペン先が必要だった。Gペンを選択した。Gペンは鋭く強弱のついた線が引ける。かぶらペンに比べて手首を返しやすい。つまり、小回りがきく。Gペンはさいとう・たかをと共に現れた劇画の代名詞のようなペン先である。最初は良かった。Gペンはぼくの思いどおりに動いてくれた。それが次第にいうことをきかなくなった。ペン先は反抗を見せ始め、かぶらペンと同じようにぼくの意思に逆らってキャラクターの頭身をどんどん高くしていった。ぼくの絵柄で人物が八頭身などというのは見られたものじゃない。
Gペンをあきらめ、次に使ったのは日本字用ペンだった。これはかぶらペンと対照的に硬いペン先だった。押しつけても弾力というものがなく単調な描線しか出てこない。そのかわり、どんな角度に線を引いても原稿用紙に引っかかることはなく、仕上がりは美しかった。しかし、この日本字用ペンも慣れるほどに融通がきかなくなった。まるでペン先が自分で決めた方向以外へは動きたくないと主張しているみたいだった。かぶらペン以上に日本字用ペンはキャラクターの輪郭を拡張させ、ぼくの絵を異様なものに変えていった。
ぼくほどペン先の遍歴を重ねた漫画家もいないだろう。あれをぼくの斑気(むら き)からくる偏執的趣味と呼ぶのはたやすいけれど、それだけではない。ペンの先端から指先を通して伝わる波動には漫画家の心をざわつかせる呪術のような妖しさが確かにある。迷走の末、ぼくが行き着いたのは丸ペンだった。このちっぽけな金属の筆がぼくを救った。丸ペンには強靭な粘りがあり、一本のペンで蜘蛛の糸のような線から見開きいっぱいの人物の太い線まで描き分けることができた。小さいペンだから驚異的に小回りがきき、可動域の狭いぼくの指先の動きによくなじんだ。丸ペンはその後もぼくの指先を離れることはなかった。
『現代マンガ選集 破壊せよ、と笑いは言った』に収録された「『喜劇新思想大系』ゼンマイ仕掛けのまくわうり」は残念ながら丸ペンを使って描いた作品ではない。ぼくと反りの合わないGペンによる描線である。ただ、あの原稿にはGペンの弊害があまり見受けられない。いいエピソードを選んでいただいたと、ほっとしている。
揺れ動いたぼくの心も年齢ゆえか安定期に入り、昔のように嗜好がころころと変わることもなくなった。この六月から『小説新潮』で短編小説の連作を始める。よろしければお目を通していただければうれしい。丸ペンは使っていないけれど。
ペン先は天使じゃない
『現代マンガ選集 破壊せよ、と笑いは言った』刊行に寄せて
ちくま文庫では、創業80周年記念企画として『現代マンガ選集』の刊行をスタートしました。その2冊目として、斎藤宣彦編『破壊せよ、と笑いは言った』を刊行しました! ギャグマンガの重要作を精選し、黎明期からの歴史を跡づけるアンソロジーです。刊行に際し、本書に収録されている『喜劇新思想体系』の作者である山上たつひこ先生にご寄稿いただきました。