2019年12月以降、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)は世界中に広がり、「ステイホーム」が推奨された。つまり誰もが外出を控えて「ひきこもってください」と言われたのに等しい。
かつて私がひきこもっていたときに、このコロナ禍が起きていたら何を思っただろう。当時、外の世界はまるで別世界で実感がなかったので、「大騒ぎしているけど自分には関係ない、どうせいつまで生きられるかわからないし……」と思ったような気もするし、「家にいても責められないので少し気が楽だ」と思ったかもしれない。いずれにしろ「死んでるみたいに生きている」と思っていた私には実感のないものだっただろう。
私は、高校2年で不登校になり、20代でひきこもったことのある「ひきこもり経験者」だ。もう一度この社会のなかで生きてみようと思えるまでには20年という月日がかかった。現在は、不登校やひきこもりに関わり、自分や同じような経験をした人が少しでも生きやすく、呼吸が楽にできる場や人との出会いを作りたいと思って活動している。それはあくまでも「支援」ではなく「当事者としての活動(当事者活動)」だ。
そのひとつに「一般社団法人ひきこもりUX会議」がある。UX会議は、不登校、ひきこもり、発達障害、性的マイノリティの当事者・経験者5名で構成された当事者団体で、主にイベント開催や実態調査、ブックレットや白書の刊行、講演会や研修会の講師などを通じて、一人ひとりが自分の人生を自分でデザインできる社会を目指して活動している。(UXとは「Unique eXperience/ ユニーク・エクスペリエンス=固有の体験」という意味)
UX会議では「当事者の声を届ける」ということが活動の柱のひとつだが、そこには当事者不在のままひきこもりが語られ、支援が作られてきたことへの違和感がある。
これまでの20年余り、ひきこもりの実態が知られないままに支援が作られたため、当事者のニーズとは合わず、解決に至らないままに時間ばかりが過ぎたように感じている。「働かない」「甘え、怠けている」「若い男性が自室にひきこもってゲームばかりしている」というようなステレオタイプのイメージではひきこもりを捉えることはできない。
ひきこもりUX会議では、2019年に「ひきこもり・生きづらさについての実態調査2019」を実施した。そこからは、10代〜80代までの当事者がいて、女性のひきこもりがいること、主婦や子育て中の当事者もいること、ひきこもりの原因は多様かつ複数に及ぶことや、社会経験のある当事者もいるが、多くは働くことの手前で生きる意欲を失っていることなども見えてきた。
本書では、その実態調査やこれまでの当事者活動をもとに、できる限り今現在のひきこもりの現実を描き出していく。ひきこもりや生きづらさを抱える当事者・経験者の実態を明らかにし、ジェンダーや年齢、ひきこもりの動機や現状が実に多様であることを示してみたい。そして多くの当事者が「課題がある」と答えた支援についても、そのあり方や今後の方向性について考えていきたい。
また、私自身がなぜ不登校・ひきこもりになったのか、どのような経緯を経て「もう一度生きてみよう」と思えるようになっていったのか、当時私が感じていたこと、欲しかった支援、家族に望むことや兄弟姉妹の関わりについてもお伝えしたい。ひきこもりは百人百様といわれる。私の体験はたったひとつの事例に過ぎないが、その個人的な体験のなかに何かひとつでもひきこもりの理解へのヒントやきっかけがあればありがたいと思う。
コロナ禍が続くなかで、「ひきこもりの人は〝ステイホーム〞のプロだからコツを教えてほしい」とか「みんなひきこもりだから気持ちが楽になったのでは」と言われた。そのたびに、そういうことではないのだけど、と思った。私は「ステイホーム」と「ひきこもり」はまったく違うことだと思っている。それはなぜか。その思いを本書を通じて感じ取っていただけたらうれしい。