ちくま新書

残忍な侵略者への長く激しい抵抗
『ルポ プーチンの破滅戦争――ロシアによるウクライナ侵略の記録』書評

ロシア軍によるウクライナへの全面侵攻(2022年2月24日)から1年。侵攻直前と侵攻後にウクライナに入り、激しい攻撃にさらされた街を歩き、生存者の壮絶な体験を取材した『ルポ プーチンの破滅戦争』(ちくま新書)。国際政治学者の合六 強さんによる解説を、PR誌ちくまより転載します。

 ロシアによるウクライナ全面侵攻が始まってまもなく1年を迎える。季節はめぐり、いまだ激しい戦闘が続くウクライナにはふたたび厳しい冬がやってきた。
 この戦争が世界各地にもたらした影響はすでに甚大であるが、それでもとりわけ酷い状況に置かれているのは、戦禍を生きるウクライナの人々である。ロシアからの相次ぐ攻撃により、住宅、学校、病院などが日々破壊され、幼い子供を含む無辜の市民が数多く犠牲となった。またウクライナ軍による領土奪還が進むにつれて次々と明るみに出ているのが、ロシア軍占領下における虐殺、拷問、レイプ、強制移住といった蛮行である。そして冬を前にして始まったエネルギー関連施設への攻撃は、市民から電気や暖房、そして水を奪い続けている。
 本書は、2022年2月24日以来、わずか数ヶ月の間にロシアによって引き起こされた数々の惨劇を克明に記録したルポである。著者の真野森作氏は、元モスクワ特派員として2013年から2017年まで、クリミア、ドンバス、キーウなどに足を運び、長年ウクライナ危機の実情を日本に伝えてきた数少ない記者の一人である。その著者が開戦前夜と開戦2ヶ月後の時期にウクライナ入りし、地元の有識者や住民、そして故郷を追われた避難民などに行なった取材をもとに「プーチンの破滅戦争」の実態を明らかにしたのが本書である。
 今回の戦争で世界的に注目されたのは、ウクライナの人々の抵抗する意思の強さだろう。命懸けの抵抗がなければ、大方の予想どおり首都は短期のうちに陥落していたかもしれないし、西側諸国からの武器供与も本格化しなかったかもしれない。「開戦前夜」から「開戦当日」にかけてのキーウやリビウの一見穏やかな街の表情が描かれる本書前半からは、戦争の足音が近づくなかで、いざとなれば立ちあがるという人々の強い覚悟と決意が窺い知れる。それは、ウクライナにとって「侵略者」ロシアとの戦争は2014年春から続いており、本書で登場する国民的作家クルコフも指摘するように、この8年の間にウクライナ人のロシアに対する思いが「大きく変わった」からだった。
 また開戦以来、戦争の性質を大きく変えるきっかけとなったのが、世界に不幸なかたちで名が知られることとなったキーウ近郊の街ブチャでの虐殺である。当時断続的に行われていた対話もこれをきっかけに継続不可能になった。著者は、ロシア軍が撤退してまもない頃にこの地を訪れ、多くの負傷者や遺体を受け入れた医師、家族や友人の命を奪われながらも生き延びた人々、そして犠牲者の仮埋葬地となった教会の神父などから数々の証言を得ていく。ロシア軍占領下での生活がどのようなものだったのか、そこで一体何が起こったのか、そして、なぜいくつもの遺体が路上に放置されたままだったのか……。
 もちろんいまだにロシアが占領する街は数多く残る。ウクライナ南部のザポリージャに身を寄せる避難民は、ロシアが執拗に破壊したアゾフ海に面する港湾都市マリウポリから命からがら逃げてきた人々である。彼ら・彼女らが息を潜めて目撃してきた激戦地、占領下における「ロシア化」の実態、そして極度の緊張状態を強いられる避難の道のりは、我々の想像を絶する。しかし、これはいまもウクライナ各地で続く現実である。
 世界は、この戦争のさらなる長期化を恐れている。しかし、いまのところプーチンに攻撃の手を緩める気配はない。一方、ウクライナ国民の多くは、被占領地が残ったまま抵抗を止めれば、さらなる自由や命が奪われることを恐れ、かりそめの平和のために、領土的妥協をすべきでないと考えている。
 いつ、どのように戦争が終わるのか、現時点では見えてこない。戦争は街を破壊するだけでなく、人々の心に深い傷を残す。本書を読み終え、厳しい状況に置かれるウクライナの人々に何かできることはないか改めて自問している。

2023年2月21日更新

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合六 強(ごうろく つよし)

合六 強

二松学舎大学国際政治経済学部准教授。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。同大学法学研究科助教などを経て、2022年より現職。専門は米欧関係史、欧州安全保障。