ちくま新書

東北は「東北」でよいのか?
ちくま新書『東北史講義』刊行にあたって

創立百周年を迎える東北大学日本史研究室によって編まれた『東北史講義』。【古代・中世篇】と【近世・近現代篇】は、どちらも最新の研究成果に基づき、東北史を概観する2冊です。編者を代表して、同大学教授の柳原敏昭さんに、PR誌へご寄稿いただきました。

「南島という地域概念がある。(中略)日本の古文書にはしばしば登場するが、沖縄においては南島という呼称法は存在しない。それは日本から見た南の島の意であり、この地域の人々自体が自らを南島と呼ぶわけがないからである。したがって本章では、琉球諸島または沖縄を南島とは呼ばないこととする。」

『沖縄県史』各論編2・考古(沖縄県教育委員会、二○○三年)「総説」の一節である。これを目にしたとき、雷に打たれたような衝撃を受けた。自らが住む東北地方のことを省みたからである。

「東北」とは方角でしかない。地名に方角が含まれることは珍しくないが、現在の日本国内で、単に方角のみで呼ばれる地方は東北以外にはない。しかも「東北」は、京都あるいは東京を基準とした方角である。それに対して右の『沖縄県史』は、他者から、他者の基準で以て付けられた地域名をきっぱりと拒否しているのである。

 では現在の東北六県を包括して、「東北」と呼ばずして、何と呼べばよいのか。旧国名の陸奥・出羽、あわせて奥羽はあり得る選択であろう。しかし、陸奥は「道奥(みちのく)」、出羽は「出端(いでは)」が原義で、それぞれ都から遠い国、越後国の北方に突き出した国というような意味であり、そこに住む人々が付けた名称とは言いがたい。一方で、「東北」という広域地名は、当初は東日本一帯を意味する地域概念であったものが、明治十年代(一八七八~八七)に旧奥羽でその地域の呼称として積極的に使われ始め、同三十年代(一八九八~一九○七)に定着したという(河西英通『東北』中公新書、二○○一年)。つまり、自称とも言えなくはないのである。これは、旧奥羽地域の人々が、自らの居住地を日本国の内部と考えていたからこそのことであろう。この点、近代以前は独立国家だった沖縄とは大きく異なる。日本国家との関わり方が、「東北」呼称に微妙な陰影を与えているのである。

 入り組んだ話になってしまったが結局、答えは見つかっていない。「東北」という地域名称を、様々な問題や矛盾を含み込んだものと自覚した上で使用していくほかないというのがとりあえずの結論である。

 以上のように、「東北」呼称に据わりの悪さを感じつつも、このたび、東北大学日本史研究室に籍を置いた三六名の方々と共に、ちくま新書『東北史講義』全二巻を刊行することとなった。

 一巻は古代・中世史に、もう一巻は近世・近現代史にあてられる。時系列には沿うが教科書的概説ではなく、それぞれの時期の特徴的な事象に焦点を当てて講義は進む。その際、日本国家との関わりが縦糸となろう。東北地方が日本にどのように組み込まれていったのか、その過程でいかなる軋轢を生じたのか、国家に対してどのような役割を果たしてきたのか(果たすことを強いられてきたのか)等々である。しかし、あくまでも視座は地域の側に置く。また、様々なレベルでの(時には国家を超えた)地域間交流も取り上げられるだろう。結果として、日本が相対化され、東北地方が多様な生業と文化をもつ人々が暮らす、いくつもの地域から成り立っていることも明らかとなるだろう。

 地域呼称には、地域が歩んできた歴史の曲折が反映されている。果たしてこの地域を何と呼ぶべきなのか。『東北史講義』をお読みくださった皆様と共に、なお考えていくこととしたい。

(やなぎはら・としあき 日本中世史)

2023年4月4日更新

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柳原 敏昭(やなぎはら としあき)

柳原 敏昭

1961年新潟県生まれ。鹿児島大学法文学部助教授等を経て、東北大学大学院文学研究科教授(博士、文学)。『中世日本の周縁と東アジア』(吉川弘文館)、『東北の中世史』1〜5巻(企画編集・吉川弘文館)など。