「ACEサバイバー」って何?――多くの人がきっとこう思ったに違いない。
アメリカ人の友人に、「今度、こういうタイトルの本を出すんだ」と言ったら、「ace? めっちゃ強そうやね」(大意)という反応が返ってきた。たしかに"ace"は、優秀選手、第一人者、最高の、素晴らしい、といったポジティブな意味をもつ。
一方、本書が扱う"ACE"はシビアなニュアンスをまとった概念だ。ACE(エース)は、Adverse Childhood Experiencesの頭字語であり、「子ども期の逆境体験」などと訳される。つまり、18歳になるまでに受けた虐待・ネグレクトや、家庭の機能不全(家族の依存症、精神疾患、DV等)に曝される体験のことをいう。いわば、「しんどい子ども時代を過ごし、今生き延びている人たち」のことを本書では「ACEサバイバー」と呼んでいる。
しんどい子ども時代を生き抜き、累積される不利を被りながら人生のあゆみを進めるACEサバイバーは、「エース級の(秀でた)サバイバー」ともいえる。その意味では、"ace"の原義が当てはまる人と受け取ってもらってもいいだろう。
しんどい子ども時代をめぐる言説は世の中に溢れている。「アダルトチルドレン」「毒親」、最近では「親ガチャ」といった言葉が流布し、多くの人が自らのしんどさを語ってきた。
対して本書は、しんどい子ども時代を生き抜いた人々に関する科学的事実を広くお伝えするものである。この四半世紀の間に発展を遂げてきたACE Study(エース研究)の知見を、疫学、精神医学、神経科学、心理学、ソーシャルワーク研究などを分野横断的に俯瞰して、一般向けに解説している。さらに、全国2万人アンケートや当事者へのインタビューをもとに、ACEサバイバーが被っている累積的な不利の実態を示し、今後の社会のありかたについて提言している。
本書を通じて筆者がお伝えしたかったのは、ACEが、成人後の心身の疾患、失業や貧困、社会的孤立や子育ての困難に至るまで、長期的に悪影響をもたらすということだ。つまり、「たまたま生を受けた家族の境遇(生まれ)の格差が、生涯にわたる多面的な格差につながっている」ということである。
こうした事実は、目を向けたくないものである。そして、これまで十分に目を向けられてこなかった事実である。しかし本書は、あえてここに切り込んだ。それは、社会学者として大規模データを分析すればするほど、ACEサバイバーに過剰なまでの不利が押しつけられていることに驚愕し、「この事実は社会問題である」という認識を強めたからだ。
ACEをめぐる事実を多くの人に知ってほしい。しかし日本語で一般向けに書かれたちょうどいい本がない。ならば私が書こう、という半ば使命感、半ば思い上がりが筆を進めた。多くの人が読みやすいように、できるだけ平易に書くことを心がけた。
余談になるが、執筆過程では3人の娘たち(5歳・5歳・3歳)の保育園がコロナで休園になったり、自らも感染して一家総倒れしたり、執筆が進まず焦った時期もあった。共働きで親族サポートは望めず、内でも外でもマルチタスク。コロナがあってもなくても、この社会で子どもを産み育てることは大変だと、日々痛感している。わが家にもACEのリスクが潜んでいる。
今、逆境に曝されている子どもたち/かつて曝されていた大人たちの存在を無視してはいけない。子どもがどんな家庭に生まれても、健やかな健康やライフチャンスを獲得できる社会が目指されるべきだ。また、ACEを予防できる社会づくりにも取り組むべきだ。でも、そんなことできるのか?――本書を、子どもに関わるすべての方、ACEサバイバー当事者、その支援者の方に読んでいただき、ぜひ一緒に考えてもらいたい.
「しんどい子ども時代」の先にあるもの
ちくま新書5月刊行の『ACEサバイバー』。子どもの時の逆境体験を経て生き延びた人々が、実は大人になってからも苦しんでいるという事実を指摘した本書。「見えない傷」に苦しみ、様々な不利な状況を生きている人たちを、社会はどう助けていけるのか? 「ACEサバイバー」の存在を無視しない社会へ。社会学者として、1人の母としての貴重な提言が詰まっている。PR誌『ちくま』の記事を転載します。