ちくま新書

5月刊ちくま新書『鴨長明』の冒頭をこちらで読むことができます

災害ののちに

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある、人と栖と、またかくのごとし……

 日本人なら、誰もが習い憶え、いつでも口ずさむことのできる『方丈記』の冒頭である。その前半には、平安末期、京の都を天変地異が襲い、人びとが逃げ惑うさまがリアルに描かれていることもよく知られる。

 二〇一一年三月一一日、東日本を襲った大地震と大津波は、福島第一原子力発電所の事故をも引き起こし、国際的に注視の的となり、多くの義援金が寄せられ、改めて原発論議が興るなど、さまざまな波紋を生み出した。その後遺症は、いまなお大地と水に、そして人びとの心に残りつづけている。人びとは一生、いや、何代にもわたって、その傷を抱え、事後処理と格闘しつづけなければならない。

 大災害は災害の記憶と記録を、また、それらについて記したことばを呼びおこす。今度の東日本大震災ののち、近くは阪神淡路大震災の記憶を、また多くは関東大震災について記した記事や文芸が呼び返されたが、圧倒的に読まれたのは、『方丈記』だったという。実際、『方丈記』の文庫本が相当数、購買されたと聞く。遠い災害の実情を記した記事に関心が向いたのか、それとも、生活を営むことに対する心構えの根本を揺すぶるような鴨長明の暮らしぶりに共感を覚える人が多かったからか。

 芥川龍之介が関東大震災後の見聞記「本所両国」の結びに『方丈記』の冒頭近くの一節を引用していたことも思い出される。

玉敷の都の中に、棟を並べ甍を争へる、尊き卑しき人の住居は、代々を経てつきせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。……いにしへ見し人は、二三十人が中に、僅に一人二人なり。朝に死し、夕に生まるゝならひ。たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、何方より来りて、何方へか去る。.(表記は『本所両国』による)

 擱筆の日付は昭和二年(一九二七).五月二日。彼の服毒自殺の五〇日ほど前にあたる。

 今日の関心に応えるようにして、文化史にも新たな見解を次つぎに提出してきた歴史学者、五味文彦氏の『鴨長明伝』(山川出版社、二一三年)が刊行された。鴨長明研究には、長く携ってこられた簗瀬一雄氏をはじめ、国文学界の大御所の面々による研究が蓄積されているが、もとより関連資料が少ない。僅かな手がかりに誤写があれば、推測も狂いがちである。古記録の扱いに精通した第一級の史学の目が周辺史料に向けられたことにより、新たな視野が拓かれた。

 五味文彦氏は、建暦二年.一二一二.三月末ころ完成した『方丈記』に、数え六〇歳とあることに従い、長明の生年をこれまでより二年早め、仁平三年(一一五三)と推定した。これは、父親、鴨長継の年齢を記した古記録を誤写と見て、それを一〇年ないし二〇年、前へ改め、長明の生年について、これまでの推測の不自然さを糺したものである。

 また、長明が、鎌倉へ赴き、源実朝と面談したのは、『方丈記』擱筆後の秋とした。史学者のあいだに、誤りの多いことが知られる『吾妻鏡』に、建暦元年(一二一一)とあるのを建暦二年に改めた。その外にも多くの新たな知見が披瀝されており、頁を繰りながら、わたしは、立ちこめていた霧が晴れる予感を覚えた。

 長いあいだわたしは、『方丈記』に、自分でも不思議なほど関心を抱いてきた。ひとつだけ、はっきりしているのは、あの流れるような、変化に富み、それでいて、よく整った文体の魅力に惹かれるからである。日本語の文章の歴史のうえで、あれほど画期的な役割をはたした文体はない。その点についても、五味文彦氏の見解に励まされ、では、それは、どのようにして可能になったのか、もう一歩踏み込んで考えることができると思った。

ジャンルとスタイル、評価の変遷

 それには、わたしがこのところ取り組んでいる日本の文芸ジャンルの概念と記述スタイル、とりわけ「随筆」や「批評」について、古代から近現代にかけての変遷がかなりの程度、解けてきたことが手伝っている。歌論書.無名抄.のスタイルの独自性も論じることができると想う。

 『方丈記』は、今日、「随筆」と称されているが、中国でも日本でも前近代のうちに「随筆」という語はあっても、分類概念として成立していなかった。「枕草子」「徒然草」とは、文体も様式もまったく異なる『方丈記』が、なぜ、それらと一緒にされ、「日本の三大随筆」と呼ばれるようになったのか。その謎は、実は、昭和戦前期の文芸と出版事情と密接にかかわっている。

 まだ、ある。『方丈記』冒頭に示される世界観が、しばしば仏教的無常観や厭世観といわれてきたことについて。たとえば、堀田善衛『方丈記私記』(一九七一年、毎日出版文化賞)は、『方丈記』の最後に登場する「不請の阿弥陀仏」の語に、仏教思想の否定を読みとっていた。五味文彦氏は、それを記してあるとおりに「不請阿弥陀仏(阿弥陀を請わない)」と読むべきとし、新たな見解を提出している。だが、『発心集』では、ひたすら阿弥陀仏の名を唱える称名念仏が称揚される。少なくとも、その気配が色濃く漂う。では、長明の仏教思想は、どのようなものだったのか。

 そして、実のところ、鎌倉時代の紀行文『海道』『東関紀行』は、江戸時代に入る前から、『長明海道記』『長明道の記』の名で呼ばれていた。ともに江戸後期に訂正される。兼好法師『徒然草』や鎌倉後期の『本朝書籍目録』〈仮名部〉に長明作と登場する『四季物語』には、江戸末期まで誰も疑いを挟まなかったが、今日、現存するそれは、長明に仮託されたものと判明している。逆に、江戸後期の伴蒿蹊『閑田耕筆』(享和元年、一八〇一)は『発心集』を偽書とし、その疑いは第二次世界大戦後まで残っていた。また日露戦争後、気鋭の国文学者、藤岡作太郎の『国文学史講話』(明治四一年、一九〇八)は、『方丈記』を鴨長明に仮託した作品と断定、五年後には論文でも偽書説を唱えた。その後、論議がつづいたが、鎌倉前期と思しい写本.大福光寺本.が見つかり、大正一五年(一九二六)に翻刻され、疑惑は晴れた。それが自筆か否か、流布本系が、どのようにして作られたかは、また別の問題である。

 つまり、鴨長明の名は、長きにわたって広く知られてきたが、近代に入っても著作の範囲も定まらず、とりわけ仏教信仰をめぐって今日でも決着がついたとは言い難い。本書では今日、鴨長明作であることが疑いない『無名抄』『方丈記』『発心集』の三作から、新たな鴨長明像の提出に挑んでみたい。「ゆく河の流れは絶えずして」にはじまる世界観が、なぜ、現代人の心によく響くのかも論じてみたい。

自由のこころ

 第二次世界大戦後、鴨長明といえば、「数寄」の語で語られ、ディレッタントと言い換えられもした。が、本書には「自由のこころ」と副題をつけた。「自由」は、読んで字のごとく、おのずからよしとすること。長明の場合、「自適」をあわせ、束縛を嫌い、自身にしっくり感じられることを求める心の意味である。

「自由」の語は、古代では謀反や假逆の含意が強かったが、そして一三三〇年代半ば、建武年間の「二条河原落書」にいう「自由狼藉世界」には、まだその気配が残っていたが、室町時代に、武家や高位の武士に禅宗が浸透するにつれ、仏教でいう釈迦の「自由自在」が兵法などを自在に駆使することに転じた。やがて何につけても、稽古とは、型から入って型を抜け、自在さを獲得することを目指すようになる。このように「自由」の概念が大きく転換する門口のところで、「数寄」の根方とでもいうべきものが、どのように養われていったのかを鴨長明に探ってみたい。

 そののち、下剋上の世がおさまると、元禄期の井原西鶴『日本永代蔵』(貞享五年、一八八)では「船が(物資を)自由にする」と、利便性の高さの意味に拡張されてゆく。徳川幕府の財政難に直面した八代将軍、吉宗による享保の改革は、幕府の権威を高めるとともに全国市場の展開を促した。独自の古文辞学を拓いた荻生徂徠が『論語徴』(元文三年、一七三七ころ)などで『論語』を読み替え、「利」の追求を人情のマコトと認め、貨幣の流通を「徳」として称えるなど、朱子学による経済倫理を根本から覆す思想を展開、その進言を受けたものだった。そのころ、民間の思想家、石田梅岩は、武士も町人も徳の実践においては対等と説いていた。その石門心学は、老中、田沼意次のとき、賄賂が横行したのち、幕府や諸藩の後ろ盾を得て、全国にひろがった。こうして利の追求の.自由.とともに「平等」の観念もひろがっていった。やがて、喜多川歌麿作の枕絵『葉男婦舞喜』(享和二年、一八〇二)のなかで、芸者が「わたしは金で自由になる女とはちがう」と口にするまでになってゆく。ほとんど今日と変わらない。

 明治新政府は明治五年(一八七二)一一月から徴兵制度を整える際、倒幕のスローガンに上がったことのない「四民平等」を唱えたが、それは、それまでに婚姻や養子制度、御家人株や旗本株の売買などによって、さまざまに抜け道が開いていた階層移動や職業選択の「自由」を公認したに等しい。むろん、その意味は小さくないが、男女差別はむしろ「四民平等」におよび、被差別部落も長く残った。

 もうそろそろ、われわれは、前近代における「自由・平等」の概念の移り変わりすら、うまく扱えなかった近現代思想の束縛から自らを解き放ち、日本の古典のそれぞれを、一旦、その位置に返す途についてよいのではないか。それゆえ、最後の章では、歿後の長明、すなわち彼の著作をめぐる評価史のおよそを辿ってみたい。本書もまた、その方途を探る試みに浮かび出た「うたかた」のひとつと心得ていただければ、幸いである。

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貞美, 鈴木

鴨長明: 自由のこころ (ちくま新書)

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