ちくま新書

定年後には「コ」が必要? 

定年後を迎えようとしている人、すでに迎えてしまっている人、これからの人生をどう生きようと考えていますか? 恥ずかしい定年後を迎えないためには、気を付けておくべきことがたくさんある。それらを説いた『定年後の作法』の冒頭をご覧くださいませ。

 定年を迎えてであれ、あるいは定年になる前に早期に退職してであれ、会社や役所などの組織を離れたときに、まず受け入れなくてはいけない一番大きな変化は、「コ」の生活のありようです。
「コ」は、個人の「個」であり、孤独・孤立の「孤」でもあります。
 今の若い会社では、もとより終身雇用という意識もずいぶん希薄になり、また働きかたも、職場の環境デザインも、トップの人たちの人間観も、以前とはがらりと変りつつあって、いわば「個人の集団としての会社」という意識が主流になってきたように観察されますが、私ども団塊の世代はもとより、いまこれから定年になろうとしている世代の人たちの時代は、まだまだそうではありませんでした。
 思い出してみてください。学校を卒業して会社に入るということは、男だったら、まずは一生をその会社に「捧げる」という決意であり、女だったら、結婚で退職するまでの居場所、というような意識が大半であったように思います。私ごとで恐縮ながら、私の妻は、大学を出てから富士銀行の本店に勤めていたのですが、就職から二年後に、私との結婚が決まると、いわゆる「寿(ことぶき)退社」ということで、さっさと会社をやめて専業主婦になってしまいました。そういう生き方は、現代の女性ではほとんど考えられないことかと思いますが、私どもの若かった昭和の御世には、まだまだそんな考えが主流で、男女共同参画などということは、ほとんど意識されたことがありませんでした。まことに隔世の感というのはこれであります。
 そこで、男たちは、なにはさておき会社の空気に同化して生きること、あるいは会社的価値観を自分の人生観よりも優先して生きることを余儀なくされ、その結果として、それから何十年という長い年月を、職場で孤立しないことを願い、自分だけがなにかのプロジェクトに参画させてもらえないことを恐れて、生きてきたかもしれません。
 そういう人生観によって生きてきた人たちは、定年後に組織から離れることは、どこか恐ろしい思いを抱いていたかもしれません。なにしろ、どこにも所属していないということになると、そこに「孤立」した自分を想定しなくてはならない、それはたしかに未知の恐怖を感じることがどこか避けられない、ということだったかもしれません。
 しかし、定年後、何より大事なことは、この「孤立」を恐れない心です。
 いや、「孤」であることを恐れると、勢い誰かとつるみたくなる、誰かに寄りかかりたくなる、なんてことがある。けれども、それは禁物。「孤としての生き方」とは誰ともつるまず、誰にも寄りかからず、一人ですっくりと立っている生き方にほかなりません。
 会社組織を離れて、家に帰ると、こんどはそこで、たとえば妻に寄りかかりたくなる、そういう人もきっとすくなくない。でも、その寄りかかられるほうの妻の立場になってみれば、それは「望まない負担」を負わされるということかもしれませんね。そこをよくよく考えておかなくてはいけません。無条件に、定年後は妻と一緒にずっと……なんてそういう考えは、かなり甘い。
 会社や組織から離れたからといって、別に絶海の孤島で暮らすわけではありません。
 しょせん、人はそれぞれ個人としての人生を生きるのであって、たまたま会社や組織にいるときは自分の人生の一部を組織に売り渡して、その代価として給料を受領していただけだと、まずはそのように観念してみましょう。すると、会社人間的な日々のなかにも、会社とは関わりのない「個(孤)」の部分があったはずです。それは趣味の世界かもしれない、帰宅後に独り勉強しているなにかであったかもしれないと人さまざまですが、そんな「個(孤)」の部分が皆無であったという人は、むしろ珍しいことであろうと想像されます。
 とすれば、会社の桎梏(しっこく)を離れた定年後は、むしろ誰に遠慮することなく、その「非会社的時空」に専念して、一人で立っていけることを喜ばしく思い、肯定的に捉えるということがまずはもっとも大切なところです。
 

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