母は死ねない

特集対談:「かくあるべき」家族の形に抵抗する(後編)
河合香織『母は死ねない』(筑摩書房)×武田砂鉄『父ではありませんが』(集英社)

様々な境遇の母親たちの声を聴き取ったノンフィクション『母は死ねない』を刊行した河合香織さんと、“ではない”立場から社会を考える意味を問う『父ではありませんが』を刊行した武田砂鉄さん。タイトルだけならば視点の異なる二冊のようにもみえますが、「家族とはこうあるべき」「人間はこう生きるべき」といった他者からの圧力、視線、呪いのような言葉たちから自由になろうという信念によって書き手二人の問題意識は通底します。人生における「べき論」をほぐす真摯な対談、後編です。

 

顔の見えない圧に抗う

武田:どうやったらその差出人不明の圧力に屈せずにすむのか。「人と比較しない」「人の話を簡単に信じない」、これしかないのでしょうか。送られてきた宅配物が保とうとしているのは「国の考え方」ではないかという疑いも濃厚なので、それに対してはおかしいぞと突き返しておきたい。今、子供がいない自分は、社会からは「産んでくれよ」って指をさされがちです。「そちらの指示は聞きません。こちらで判断します」と返す。でも、それは自分がこういう仕事をしていて、メッセージを出せば誰かが読んでくれたり聞いてくれたりしてもらえる立場だからこそ、心の安定が保たれているところもある。「周りはみんな結婚しました」「全員子育て中です」ってシチュエーションで自分が今と同じように平穏でいられるかというと難しいかもしれない。それをわかった上で、どうやって「気にしなくていいよ」と言っていけるか。「お前が気にしなくていいのはお前が色々言えるからだろ」というのはある。でも、こうやって本に書いておくことで「そう言ってくれるんだ」と思ってくれる人たちがいる。圧力が一体「どこ産」なのかも特定し続けたいんです。

河合:確かに、その特定は重要ですよね。「こうあるべき」が誰から送られてきているものなのか。当事者じゃない、第三者視点からメッセージを発信するということも非常に重要だと思います。 結局、内側からは見えなくなっているものがある。村の外からというか、カプセルみたいなところに囲われているひとに「違うよ」って教えてあげる。「王さまは裸だ」と叫ぶ。言われてはじめて「あ、そういえば」って思うことはありますよね。一歩離れるとわかることがある。

武田:森達也さんの『放送禁止歌』というドキュメンタリーがありましたが、ある時に「放送禁止歌」を決定している人は誰もいなかったと見えてくる。「放送禁止」とされている歌がなぜ「放送禁止」かわかっていなかった。なんとなく「かけるとやばいから」って思っていた。実際に「じゃあ誰が禁止だと言ったのか」を追いかけていったら、誰がいたわけでもなかった。それを子育てにそのままスライドできるとは思わないですが、「かくあるべき」がどこから来ているのかを辿った時に「あ、言ったの私です」っていう人はもしかしたらいないのかもしれない。

河合:その例はわかりやすいですね。実体がないものを正しいと思い込んで、信じていたのかもしれない……一度そこを手放してみるといいのかも。必要な視点だと思います。

 

関連書籍

河合 香織

母は死ねない (単行本)

筑摩書房

¥1,650

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