ちくま新書

非暴力思想とは何か
『ガンディーの真実――非暴力思想とは何か』より「はじめに」

「もし臆病か暴力のどちらかしか選択肢がないならば、私は疑いなく暴力を選ぶよう助言するでしょう」(1920年「剣の教義」)
このように断言するガンディーの「非暴力」とはどんなものなのでしょうか。
間永次郎『ガンディーの真実』より「はじめに」を公開します。

†人間はどこまで真実にしがみつけるか?
 本書の目的は、ガンディーの非暴力思想の意味を、このサッティヤーグラハの思想を手がかりに探究していくことにある。すなわち、「真実にしがみつくこと」が、ガンディーの非暴力の本質を表すと解釈する時、その思想がなぜ時に、暴力と非暴力の二項対立を超越するのか、なぜガンディーの非暴力は政治領域ではなく、食・衣服・性・宗教といった一般的に私的と考えられる領域にも及ぶのか、という問いに対する答えを得ることができるのである。まさに、サッティヤーグラハの思想を理解することは、ガンディーの思想全体を理解することに繫がりうる。
 ガンディーは1925年に故郷の地方言語であるグジャラーティー語で記した『自伝(アートマ・カター―字義的には「魂の物語」の意)』に『真実の実験』という名前を付けた。ガンディーはその執筆目的を次のように語っている。

私は自伝という理由で、私が行った真実の実験の物語を書こうとしています。[……]もし私が単に理論、すなわち抽象的な話だけをしたいのであれば、この自伝を書くべきではありません。しかしながら、私はそれ[真実]に根差して行われた活動の歴史を伝えなければならないのであり、それゆえに私はこの試みに『真実の実験』という題をつけたのです。[……]私の心には真実こそが至高なのであり、それ[真実]には[非暴力や自己統制などの]無数の事柄も含まれます。[『真実の実験あるいは自伝』―以下、『自伝』と略す]

 ガンディーの生涯をめぐる一貫した問いとは、人間はどこまで真実を直視し、それに忠実に従うことができるのか、換言すれば、どこまで人間は真実にしがみついていられるのか、ということだった。そして、ガンディーの生涯は、その「極限」を模索するものだったと言える。
 今も昔も、真実という主題は、公私の境界を越えて私たちの生涯にかかわってくるものである。たとえば、「私たちが日々食べているものはどこから来ているのか」、「私たちが着ているものはどのように作られているのか」、「なぜ女性は虐げられてきたのか」、「なぜ宗教を信じる者たちは殺し合うのか」。このような問いからガンディーは決して目を逸らそうとしなかった。ガンディーはまず食や性という人間生活における最も基礎的な主題をめぐる「真実」を直視することから出発して、その関心の幅は、衣服や宗教、さらには人種差別や植民地支配といった政治的・法的主題へと広がっていった。そして、このような真実をめぐる問いを探求していく途上で、ガンディーは「非暴力(non-violence、アヒンサー)」という思想を「発明」していったのであった。それがゆえに、『自伝』で述べられている通り、非暴力とは、真実の「多様な顕れ(ヴィブーティ)の一つ」とされた。
 本書の第一章で見ていく通り、ガンディーの真実に対する態度を一変させた出来事は、南アフリカの人種差別体験であった。この地で、生涯初めて、赤裸々な人種差別という暴力の被害者となったガンディーは、その加害者を糾弾するよりも、人種差別を法的に許す社会制度やその現状に諦めきっている同胞の姿を見て、より大きな衝撃を受けることとなった。彼は、社会で最も巨大な「暴力」を可能ならしめるものとは、専制君主や暴漢やテロリストではなく、社会の大多数の人々の何気ない不正に対する同意であると考えるに至った。個人の無思想が、社会全体の人種差別の淵源であると見たガンディーは、その不正に対する絶対的な不服従・非協力を誓った。生涯のある時点から、死よりも真実に忠実であろうと決意したのだった。
 とはいえ、私たちと同じ血と肉を持った人間であるガンディーは、この真実を直視しようとする実験の中で、幾度も挫折と失敗を経験し、いくつかの真実に対しては最期まで直視することができなかった点も深く吟味される必要がある。

†本書の構成
 繰り返すが、本書の目的は、ガンディーの非暴力思想の意味を、「サッティヤーグラハ=真実にしがみつくこと」という概念を手がかりに探究していくことにある。これにより、物理的な暴力と非暴力の二項対立のみを連想させてしまいがちな、日本語の「非暴力」という字義的な意味に縛られることなく、その思想の実相に迫ることができる。具体的には、ガンディーの政治的生涯や主要な集団的不服従運動について概観した上で、以下に述べるガンディーの公私にまたがる諸々の「真実の実験」、すなわち「食の真実」・「衣服の真実」・「性の真実」・「宗教の真実」をめぐる実験を個別に考察し、非暴力思想の意味の解明に努めたい。以下に、本書の具体的な構成を述べたい。
 本書の第一章においては、まずガンディーが行った真実をめぐる様々な実験を吟味する足掛かりとして、ガンディーの生い立ちや政治的生涯を概観する。その際に、ガンディーの非暴力運動として最も有名な集団的不服従運動がいかなるものであったのかを具体的に探っていく。
 第二章においては、ガンディーによって行われた「食の真実」をめぐる実験について見ていく。インドは今も昔も菜食主義が盛んな国である。特に、ガンディーが育った故郷のカーティヤーワール半島(現グジャラート州西部)では、ヒンドゥー教のヴィシュヌ派やジャイナ教の影響が強く、菜食主義の慣習が深く根付いている。そして、菜食主義は、動植物を殺さないことを意味する不殺生(アヒンサー)の問題が密接に関わってくる。この地で育ったガンディーは、当時世界最大のメトロポリスであったロンドンに留学した時にどのような思想や認識の変化を経験したのか。また、彼の食の関心は、イギリスの植民地支配という政治経済的主題とどのような関係にあったのか。これらの点を探究していく。
 第三章においては、ガンディーの「衣服の真実」をめぐる実験を見ていく。ガンディーの生い立ちを見る者を最初に驚かせるだろうことは、彼が着ていた衣服や見た目の抜本的な変化である。少年時代は、故郷の民族衣装を身にまとい、青年時代や法廷弁護士時代の初期は、イギリス紳士さながら流行のスーツを身にまとい、壮年期には南アフリカの貧しい労働者と同じ質素な衣服を身にまとい、インド独立運動時には、自らの手で紡いだ綿糸でできた腰布一枚の姿となった。このような衣服の変化は、彼の非暴力の思想と密接にかかわっている。つまり、その衣服の変化は、植民地経済の搾取や不平等という暴力の真実を暴露するための重要な抗議の一環だったのである。
 第四章では、食と同じくガンディーの生涯における最初期からの関心の一つであった「性の真実」をめぐる実験を見ていく。ガンディーと言えば、厳しい「禁欲主義者」としてのイメージを持っている読者も多いことだろう。ガンディーの性的欲望をめぐる実践や思想は、彼のいかなる問題関心に由来していたのだろうか。実は、この性という人間生活における最も親密な主題も、ガンディーの政治運動を読み解く重要な鍵なのである。性的欲望をめぐる「真実」から目をそらさないこと、それは彼のサッティヤーグラハの運動とどのような関係にあったのか。そして、そのことはなぜ反英闘争の一環として考えられていたのか。これらの点を詳しく論究していく。
 第五章では、ガンディーを晩年まで悩ませた最も私的であり政治的な主題でもあった「宗教の真実」をめぐる実験を見ていく。ガンディーの宗教に対する実存的な関心の芽生えは南アフリカ滞在期から始まる。彼はヴィシュヌ派の家庭に生まれながら、その宗教アイデンティティは複雑な軌跡を辿った。彼の宗教政策は、インドとパキスタンの分離独立やその後に起こったガンディーの暗殺事件とも密接に関わる主題である。ガンディーは自らの私的宗教観とナショナル・アイデンティティの問題をいかに調和させ、国内の宗教対立に対して、いかに応じていったのか。これらの点を吟味していく。
 以上の四つの真実をめぐる実験を吟味した上で、第六章では、ガンディーの思想・実践の限界とでも言えるものについて論じていきたい。すでに述べたように、ガンディーは一人の人間が真実にどこまで忠実に従って生きることができるのかという問いを極限まで突き詰めようとした。だが、ガンディーも同時代に見られる構造的な偏見から完全に自由だったわけではなかった。彼が最期まで決して向き合えなかったもの(否、向き合おうとしなかったものと言うべきか)が一つだけあった。それは家族である。ガンディーはインド人国民全員にとっての「父」であるのと同じだけ(ガンディーの言葉を借りれば「万人に平等に」)、自分の妻や子供に対して「父」であろうとした。彼の平等性を突き詰める合理主義は、時に彼自身の語る「愛」や「慈悲」の概念に見合わない冷徹さや厳しさを含んでいた。人間の魂に訴えかける術に長けていたガンディーが、生涯で決して説得できなかった二人の人物がいた。一人が、パキスタン建国の父ムハンマド・アリー・ジンナーであり、もう一人が、実の長男のハリラールである。父ガンディーがマハートマーとして国民から喝采を受ける背後で、息子は学業に失敗し、ムスリムに改宗し、女性をレイプし、アルコール中毒にかかって死亡した。
 終章では、本書の議論全体を総括し、ガンディーの非暴力思想の現代的意義や限界について最終的な考察を加える。
 以上、「食」「衣服」「性」「宗教」、そしてガンディー自身にまつわる「家族」という五つの「真実」をめぐる実験を吟味することで、ガンディー思想の根幹にある非暴力思想の全貌を明らかにしていきたい。

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