ちくまプリマー新書

フェミニズムの「複雑さ」を「複雑なまま」理解する
『はじめてのフェミニズム』より本文の一部を公開!

「女性もバリバリ働くべき?」「整形っていけないこと?」
フェミニストのあいだでも女性の権利や働き方についての意見は常に割れています。「女性は人である」という理念から考えはじめ、その複雑さをそのまま理解するための入門書『はじめてのフェミニズム』(デボラ・キャメロン 著,向井和美 訳)より、本文の一部を公開します。

 「男も女もみんなフェミニストでなきゃ」。作家のチママンダ・ンゴズィ・アディーチェは、二〇一四年に出版された同名のエッセイでそう宣言しています。しかし、その一年後にイギリスの世論調査会社ユーガブが実施した調査によると、自信を持ってそんなふうに言える女性は少数でした。ほとんどの女性は今もフェミニズムが必要だと認めたものの、およそ半数が「自分はフェミニストを名乗らない」と言い、五人にひとりはフェミニストという言葉を侮辱的と捉えていました。

 このような相反する感情は、なにも目新しいものではありません。一九三八年、作家のドロシー・L・セイヤーズは、ある女性協会からの依頼で、「女性は人間なのか?」と題した講演を行ないました。その際、まずこんな断りを口にしています。

 講演を依頼してくださった秘書のかたは、わたしがフェミニズム運動に関心を持っているはずだと思われたようです。だから、ちょっと苛立ちながら答えました。わたしはいわゆるフェミニストだと「自認する」ほどではありません、と。

 当時こういう感覚はごくふつうだったため、セイヤーズと同時代の小説家ウィニフレッド・ホルトビーはこんな疑問を口にしています。「なぜ一九三四年の今、女性たち自身が先頭に立って、この一五〇年間の運動をこれほどまでに否定するのでしょう。運動のおかげで、少なくとも政治や経済や教育や道徳の面では、基本的な平等が実現したはずなのに」

 そして、現在でも女性たちがフェミニストを自認することをためらう理由のひとつは、その言葉が否定的なステレオタイプにつながると知っているからです。「フェミニスト」という言葉には、不機嫌で女らしさに欠ける、男嫌いな女性をけなす意味で使われてきた長い歴史があります。そのうえ、セイヤーズが作品を書いていたのは、イギリスの女性が男性と同等の投票権を獲得したすぐあとの時期でした。フェミニズムは流行遅れで見当外れなものになり、投票権を獲得したあとの世代には訴えるものがなくなっていました(その五〇年後に同じようなことがまた起きました。一九八〇年代から一九九〇年代、若い女性たちは母親の「ウーマンリブ」を拒否し、メディアのコメンテーターは「ポストフェミニズム」時代の到来を宣言したのです)。

 しかし、ウィニフレッド・ホルトビーの疑問にはもうひとつの答えが考えられます。つまり、フェミニズムへの向き合いかたは、なにを「フェミニズム」とするかによって変わってくるということなのです。だれかが「フェミニズム」という言葉を使うとき、意味しているのは次のどれか、あるいは全部かもしれません。

  • 理念としてのフェミニズム。かつてマリー・シアー[アメリカの作家、フェミニズム活動家]は「女性は人であるという根源的な考えかた」だと言いました。
  • 集団的政治プロジェクトとしてのフェミニズム。ベル・フックス[アフリカ系アメリカ人社会活動家]の言葉を借りれば、「性差別および性差別的な搾取と抑圧を終わらせるための運動」です。
  • 知的枠組みとしてのフェミニズム。哲学者ナンシー・ハートソックは「分析のひとつの様式であり……問いを発し、答えを探す方法のひとつ」と呼びました。

 フェミニズムのこうした捉えかたにはそれぞれに歴史があり、組み合わせの方法は複雑です。

 理念としてのフェミニズムは、政治的な運動よりずっと昔から存在していました。ヨーロッパで政治的フェミニズムが始まったのは、一般的に一八世紀後半とされています。しかし、女性がペンの力によって、不当な誹謗中傷から自分の性を守るやりかたは、すでにその数世紀前から存在していたのです。先駆的な作品『女たちの都(The Book ofthe City of Ladies)』の著者クリスティーヌ・ド・ピザンは、一五世紀初頭にフランスで職業作家となった知的な女性です。この本は、権威ある男性たちが持ち出したミソジニー(女性蔑視)の議論に対抗するため、体系的に書かれたものでした。人間の価値は「性によって決まる身体ではなく、すぐれた振る舞いと美徳」にある、と著者は主張しています。その後四〇〇年以上にわたって、同じような主張をする作品がヨーロッパのさまざまな地域にあらわれてきました。とはいえ、書く人の数は比較的少なく、集団的な運動にまではならなかったし、著者たちもフェミニストを自称することはありませんでした(その言葉が使われはじめたのは、一九世紀になってからです)。とはいえ、彼女たちが「女性は人であるという根源的な考えかた」に共感していたのはたしかです。女性に対する当時の男性主義的バイアスを批判することによって、彼女たちは事実上、最初のフェミニズム理論家になったと言われています。

 ドロシー・L・セイヤーズも女性は人だと考えていました。彼女はこう記しています。「女性は男性と同じふつうの人間であり、同じようにひとりひとりが好みを持ち、個人の嗜好に対する権利も同じように持っている」。ところが、その信念があるからこそ、セイヤーズは組織化された政治運動としてフェミニズムをなかなか受け容れなかったのです。「個人としてではなく、つねにグループの一員として見られるのは、だれにとってもいやなことだ」。これはフェミニズム政治学の根本にあるパラドックスです。つまり、男性と同じように女性も人であると主張するためには、女であることを基準に団結しなければならないのです。しかし、女性たちのあいだには大規模で多様なグループがいくつも内在しているため、いつの時代も団結させるのは難しかったのです。フェミニストたちは自由、平等、正義といった抽象的な理想を支持することでは団結するのですが、理想を具現化するにはなにが必要か、となると意見が違ってきます。歴史家によると、フェミニズムがこれまで大衆の支持を受けたのは、その政治的な目標がさまざまな考えかたや利害と一致したときだけだったのです。

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