ちくまプリマー新書

フェミニズムの「複雑さ」を「複雑なまま」理解する
『はじめてのフェミニズム』より本文の一部を公開!

「女性もバリバリ働くべき?」「整形っていけないこと?」
フェミニストのあいだでも女性の権利や働き方についての意見は常に割れています。「女性は人である」という理念から考えはじめ、その複雑さをそのまま理解するための入門書『はじめてのフェミニズム』(デボラ・キャメロン 著,向井和美 訳)より、本文の一部を公開します。

 一九世紀に始まり、二〇世紀初めに頂点を迎えた女性参政権運動は、まさにその一例でした。活動家たちが展開した二つの中心的議論は、女性が持って生まれた特質と社会的な役割について、別々の――そして理論的には両立しない――見かたをしていました。いっぽうの見かたは、男性との類似点を強調すれば、女性も同じ政治的権利を得られるようになるというもの。もういっぽうは男性との違いを強調し、女性独自の問題を男性の有権者だけでは解決できないと主張するものでした。この運動の目的――女性の政治的権利を獲得すること――が、関心や忠誠心の異なる人たちや、場合によっては真っ向から対立する人たちを互いに近づけることもありました。たとえば、アメリカで黒人女性が参政権の理念を支持したのは、女性参政権を得れば人種の平等を目指す闘いが前進すると信じていたからです。逆に、白人女性に参政権を与えれば白人の優位性が高まると考えた南部の人種差別主義者と、その考えを利用しようとする白人フェミニストが手を結ぶこともありました。イギリスでは、参政権運動家たちのなかに保守派の支持者もリベラル派の支持者も急進派の支持者もいて、保守派の女性たちは、教育を受けた有産階級の女性のほうが労働者階級の男性よりも投票権を得る資格がある、という議論をときおり利用しました。それに対して社会主義者たちは、すべての男女に投票権を与えたほうが、労働者階級全体の立場が強くなると主張しました。

 これらのグループは目的こそ違うものの、女性に投票権を与えることで利益を得る立場に変わりはないのだから、団結してもよさそうなものです。けれども、ほかの点で意見の違いが根深いことを思うと、団結が長続きしなかったのも無理はありません。そしていったん参政権を勝ち取ってしまうと、女性同士での違いがふたたび鮮明になり、「性による連帯」は対立へと変わっていきました。一九三〇年代のイギリスでは、男性との類似点を強調するフェミニストと、女性の独自性を強調するフェミニストが分裂して、競合するふたつのアプローチが生まれ、それぞれ「古い」フェミニズムと「新しい」フェミニズムと呼ばれるようになりました。「古い」ほうは男性との平等を求め(たとえば、同一賃金や雇用機会の平等)、「新しい」ほうは、妻や母親としての女性の立場を改善することに力を注ぎました(たとえば、寡婦年金や家族手当の支給など)。

 いっぽうから他方へのこうした揺れ動きは、フェミニズムの歴史上、何度となく起きています。その動きが今も続いているのは、新たな時代の課題に対応するためもありますが、新しい世代が前の世代と違うことをしたがるせいでもあるのです。このような傾向は、フェミニズムを歴史的に語る際、顕著にあらわれます。つまり、フェミニズムは「波」の繰り返しによって前進してきたというのです。この語りかたによれば、「第一波」が始まったのは、女性たちが集まって法的権利や公民権を要求した一九世紀半ばのことで、それが終わったのは、一九二〇年代に参政権運動が勝利したときです。一九六〇年代後半にアメリカでフェミニズム運動が盛んになり(すぐほかの場所にも拡がりました)、これを活動家たちは「第二波」と呼びました。というのも、急進的だった一九世紀のフェミニズムと、自分たちの運動がつながっていることを強調したかったからです。「第三波」を宣言したのは、一九九〇年代初めの新世代の活動家たちでした。彼女たちは第二波のやりかたとはまったく違う方法を選びました。その後、フェミニズムへの新たな関心は、この一〇年間で目に見えるようになり、これを「第四波」と呼ぶこともあります。

「波」のたとえは広く使われているものの、数々の批判を招いてもきました。そのひとつは、過去の波によって生まれたものが実際にはまだ現存しているのに、新しい波が前の波と入れ替わったように見せるのは、歴史を単純化しすぎているということです。第二波がもたらしたものの多く(たとえば、女性のための学習講座や、家庭内暴力からの避難所)は現代のフェミニストにも関わりがあるし、いくつかのフェミニスト組織(ミリセント・フォーセットにちなんで名づけられたイギリスのフォーセット協会など)のアプローチのしかたは、もし第一波の女性たちがまだ健在なら理解できたはずです。波のたとえが批判されてきたもうひとつの理由は、時代の異なるフェミニズムを一般化しすぎたこと。一九六〇年代に成人した女性も一九九〇年代に成人した女性も、まるで全員がまったく同じ考えや懸念を共有しているかのように。しかし、実際はそうではありませんでした。政治的な違いや意見の不一致(参政権運動の箇所で述べたように)はどの波にも、そしてどの世代の女性たちにも存在していました。波のたとえに対する三番目の批判は、波によって区切ることで、フェミニズム運動の継続性をわかりにくくしてしまったことです。実際には、一九二〇年代に運動が終わったわけではなく、一九六〇年代後半まで冬眠状態にあっただけなのです。参政権運動はその目的が達成したときに終わりましたが、女性の権利向上のための運動は、形や場所を変えて続いていました。

 ここからわかるのは、フェミニズムの歴史を政治運動として描くことの難しさです。なぜなら、政治運動としてのフェミニズムは、これまでもそして現在もつねにばらばらで決まった形を持たないからです。その歴史には、具体的なフェミニスト組織(たとえば、二〇世紀初めの参政権運動家グループや、一九六〇年代半ばに設立された全米女性組織や、二〇一五年に結成されたイギリスの女性平等党など)だけでなく、フェミニズムの目標を追求してきたあらゆる運動をも考慮に入れなければなりません。たとえば労働運動、協同組合運動、平和運動、環境運動など。自律的なフェミニズム政治運動――女性によって、女性のために組織された――は、ほかの政治闘争から発展してきたものが多いのです。たとえば一八世紀後半のフランス革命や、一九世紀の奴隷制廃止運動や、二〇世紀の公民権運動、反戦運動、反植民地主義運動から。こうした運動に関わったことで、自分たちが抑圧された状況にあることを知り、一部の女性たちは運動を離脱して、フェミニズムに特化した組織を自分たちの手で作りました。ほかの女性たちは、もとのグループにとどまったものの、だからといって彼女たちがフェミニストでなかったわけではありません。

 冒頭で挙げたフェミニズムの三番目の意味、つまり知的枠組みとしてフェミニズムを捉えると、その実態はさほど単純ではありません。フェミニズムは哲学運動や流行の思想(たとえば「実存主義」や「ポスト構造主義」など)のような通常のプロトタイプには当てはまらないのです。というのも、大御所思想家が書いただれもが知る書物を中心に据えてはいないからです。もちろん、現代フェミニズム思想の歴史には、基本として広く知られている理論的書物が存在します――たとえば、メアリ・ウルストンクラフトの『女性の権利の擁護』(一七九二年)や、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『第二の性』(一九四九年)など――が、それ以降は、すべてのフェミニストが認める本のリストを作るのは難しくなりました。「フェミニズム」という言葉には、その前にたとえば「黒人」「社会主義」「リベラル」「ラディカル」「インターセクショナル」といった修飾語(これがすべてではありません)が付くことが多いのです。そうしたカテゴリーには、重複しているものもあれば――ひとりのフェミニストが同時に複数のカテゴリーに忠誠を誓うこともある――対立し合うもの、あるいはそう見られているものもあります。テーマによっては、フェミニスト同士で意見の違いが少ないものもあれば、違いが鮮明なものもあるのです。

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