ちくまプリマー新書

フェミニズムの「複雑さ」を「複雑なまま」理解する
『はじめてのフェミニズム』より本文の一部を公開!

「女性もバリバリ働くべき?」「整形っていけないこと?」
フェミニストのあいだでも女性の権利や働き方についての意見は常に割れています。「女性は人である」という理念から考えはじめ、その複雑さをそのまま理解するための入門書『はじめてのフェミニズム』(デボラ・キャメロン 著,向井和美 訳)より、本文の一部を公開します。

 これまでのところ、「フェミニズムとはなにか」に対するわたしの答えは、「複雑だ」のひとことに要約されてしまいます。フェミニズムは多面的であり、歴史的な形態においても、政治的、知的な意味においても多様です。その多様さがいわば傘となって、互いに異なったり対立したりする思想や利益を守っているのです(その思想を支持する人たちのなかには、フェミニストを自認しない人もいます)。それらすべてをまとめるものがあるでしょうか。フェミニストを自認する人たちすべてが同意する基本原則はあるのでしょうか。多くの作家が「ない」と答えており、単数形の「フェミニズム」ではなく複数形の「フェミニズムズ」について話すべきだと言っています。普遍化しようとすると、たいがいは一般化しすぎて役に立たない定義が生まれてしまいます。たとえば、「フェミニズムは女性の社会的地位を変えるための積極的願望である」と言えば、「なにからなにに変えるのか」という質問がたちまち飛んできます(また、あきらかな反フェミニズムのグループでさえ「女性の社会的地位を変えるための積極的願望」を持っているではないか、という批判も招きかねません)。

 本書ではフェミニズム(ズ)の複雑さを織り込んだうえで考察していくつもりですが、まずはどこかから始めなければならないので、先ほど引用したきわめて一般的な定義より少しは有益な定義を、はじめに最小限記しておきます。フェミニズムにさまざまな種類があるのは間違いないですが、そのどれもがふたつの基本的な理念にもとづいています。

  1. 現在、女性は社会において従属的な立場にいる。そのため、女性であることによって、あきらかな不正義や制度的な不利益にさらされている。
  2. 女性の従属性は避けられないものでも望ましいものでもない。政治的行動によって変えることができるし、変えなければならない。

 女性がなぜ社会において従属的な立場にいるのか、その従属性はどのように維持されているのか、そこから利益を得るのはだれで、その結果はどうなるのかといったことについて、フェミニストたちの見解は分かれます。しかし、これらの点に関してどれほど不一致があろうとも、女性が現に従属的であり、記録に残る人間社会の大部分において、その従属性がなんらかの形で存在してきたことについては、だれもが同意するでしょう。いっぽう反フェミニストたちは、女性を従属的とすることに異議を唱えるかもしれません。近ごろ、男性権利運動の支持者のなかには、西洋の女性は男性より優位になったと言う人もいるからです。そのほかの反フェミニストのイデオロギーは、女性が従属的立場にいることを認めてはいるものの、それは神や自然が定めたものだという理由で正当化しています。そのような正当化を拒否することこそ、フェミニズムの基本理念のふたつ目です。女性の立場をどう変えるかについてはフェミニストのあいだで意見が分かれるかもしれませんが、変化は必要だし可能だということはだれもが信じているのです。

 わたしは「女性」という一般的な言葉を使ってきましたが、これはなにも、「女性」が内的な同質グループを形成し、みなが同じ不正義や不利益に苦しんでいる、という意味ではありません。現代フェミニズムの潮流はほとんどが、キンバリー・クレンショー[アメリカの弁護士・人権活動家]の言う「インターセクショナリティ(交差性)」を採り入れています。これは女性の経験が性別によってだけでなく、人種、民族性、セクシュアリティ、社会階級といった、アイデンティティや社会的地位などの側面からも形づくられることを認めるものです。性差別や人種差別など、支配と従属のさまざまなシステムが交差(インターセクト)することで、女性のグループごとにさまざまな結果が生まれてくるのです。そして、そのグループ間に利益の対立が生じることも珍しくありません。従属的立場でいることはあらゆる女性に悪い結果をもたらす、とフェミニストたちは信じていますが、その結果はどれも同じではないのです。

 インターセクショナリティの理念は、ひとつの社会で異なる立場にある女性同士の関係を考えるのに役立ちます。とはいえ、国や地域の境界を越えた女性たちの状況についても考えなければなりません。なぜなら、わたしたちはグローバル化した世界に住んでおり、現代のフェミニズムは地球規模の運動なのですから。その点については以降の章で記していきますが、本書はページ数も少ないため、さまざまな地域や国のフェミニズムすべての形を等しく取りあげることはできません。したがって、焦点を当てるのは西洋(とくにイギリスとアメリカ)の二〇世紀から二一世紀のフェミニズムということになります。それだけでも内側に多様性を含んでいます(そして、グローバルに考える必要性がますます認識されるようになっています)。しかし、そういうケースはこれだけではありません。わたしがおもに取りあげるからといって(わたし自身の立場を反映した選択です)、あらゆる場所にいるフェミニスト全員がこれを基準にしているとは思わないし、すべきだとも思いません。

 フェミニズムのストーリーは複雑さに満ちています。「フェミニズム」という言葉をこれまですべての女性が積極的に受け容れてきたわけではありませんし(大部分の女性ですらありません)、受け容れた女性のあいだではつねに対立がありました。それでもフェミニズムは生き残ってきました。フェミニズムが死んだという言いかたは誇張だったのです。フェミニズムの核となる理念――「女性は人であるという根源的な考えかた」――を今日なお公然と批判する人はまずいません。けれども実際は、その総論に続く各論のなかに悪魔はいるのです。この問題に対してフェミニストたちが出した答えこそ、これからの本文で述べるテーマです。



『はじめてのフェミニズム』

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