ちくまプリマー新書

体育で「寝方」を教える――強さでも速さでもなく"賢く"を目指す授業
『体育がきらい』より本文の一部を公開!

体育なんか嫌いだ!という児童生徒が増えています。なぜ体育嫌いは生まれるのでしょうか。授業や教員、部活動などにひそむその理由を解きほぐして体育の本質を考える『体育がきらい』より本文の一部を公開します。

体育で「寝方」を学ぶ?!

 私は大学の体育授業で「からだの力を抜く運動」というものを実践しており、その一つとして「寝方」の授業をしたことがあります。寝方と聞いて、「体育の授業で寝るの?」と思うかもしれませんが、そうです、その寝方です。もちろん、ただ居眠りをして授業の時間を過ごすわけではありません。寝「方」という言葉に含意されているように、それはまさしく、私たちのからだの使い方であり、つまりは一つの身体技法であるわけです。

 改めて考えてみると、私たちは人生の多くの時間を寝て過ごしていることがわかります。たとえば、1日に6時間寝ている人は一日の25%は寝ているわけですし、8時間くらい寝ている人もいると思います。私たちは人生のおよそ3分の1から4分の1の時間を睡眠に当てているのです。そして、「体育ぎらい」にかかわってより重要なことは、スポーツ的な運動をしている時間よりも、むしろ、寝ている時間の方が圧倒的に長いということです。だとすれば、その時間をどのように過ごすかが、私たちの人生にとってどれほど重要であるかは、明らかではないでしょうか。

 でも、不思議なことに、寝ることに関するからだの使い方を体育で習うことは、ほとんどありません。反対に、人生に占める時間は圧倒的に短いスポーツ的な運動のためのからだの使い方ばかりが、体育で行われているわけです。実際に、私の授業で寝方を実践した学生からは、「体育の授業でこんなにリラックスしたのは、生まれてはじめてでした」というコメントが寄せられます。まさに、これまで学校で受けてきた体育が、いかに「力を入れる」ことに偏っていたかを象徴していると思います。

 もちろん、成長期の子どもたちにはある程度の負荷を伴った運動、つまり、力を入れる運動が必要です。しかし、それと同時に、意図的に力を抜く運動も同じくらい重要だということを、ここで強調しておきたいと思います。なぜなら、力を抜くことによっても、私たちのからだは確実に変わるからです。

 みなさんが自分自身を変えたい、つまりは変わりたいと思ったとき、力を抜く運動によって自分のからだを変えていくことは、とても有効な方法になる可能性があります。このことは、一般的にも理解されているようです。ただしそれは「リラックス」や「ストレス解消」という言葉で表現されることが多いと思います。しかし、本書の議論からも明らかなように、その「リラックス」や「ストレス解消」のために行われるものは、紛れもなく私たち自身のからだの運動です。ということは、それらの言葉も「からだを変える」ことの重要性を間接的に示しているわけです。

 さらに言えば、力を抜いてからだが変わることは、必ずしも怖い経験にはなりません。むしろ気持ちのよい、心地よい経験となるはずです。たとえば、寝方の実践では、からだの関節一つひとつの力を抜いていったり、いつもより少しだけ深く呼吸をしてみたり、知らぬ間に奥歯を嚙み締めていることに気づいたりします。そのような実践は、私たちが経験する世界を少しずつ豊かにしていきます。

強くでも速くでもなく「賢く」

 そのように豊かな経験ができるからだの在り方を、「賢いからだ」と表現することができます。これも、ちょっと不思議な言葉です。だって「賢い」という言葉は、普通はからだじゃなくて頭の話だからです。でも、「からだが私」という見方をすでに獲得している私たちは、この言葉を理解することができるはずです。そうです、頭だけでなく、からだも賢くなれるのです。

 ここで言われる「賢い」の具体的な内容は、先ほど述べたように、力を入れるだけでなく、抜くことも大切であるということに深くかかわっています。つまり、自分のからだで、まわりの人やモノに合わせてうまく動けることが、「賢い」ということの内実です。もちろん、そこにはスポーツ的な運動の技能も含まれてはいます。ボールなどの道具をうまく扱えることも、一つのからだの「賢さ」です。

 ただし、それは私たちのからだの「賢さ」の、ほんの一つの現れでしかありません。からだの賢さには、ほかにもさまざまなことがあります。たとえば、人と握手をするときにどのような力加減で相手の手を握るのかは、頭でいろいろと考えてやるものではありません。相手の手を握った瞬間に、もっと正確に言えば、握りながら「私たち=からだ」はその加減を判断し、調節しているはずです。当たり前ですが、そこで「全力」を出す必要はないわけです。

 このことは、場にふさわしい声の出し方であったり、関係に応じた他者との距離の取り方であったり、さらには、長時間でも疲れにくい座り方や立ち方に至るまで、すべて同じように考えることができます。実際に私たちは、他者と接することが上手な人を「やわらかい」や「柔軟」、さらには「人当たりのよい」といった言葉で表現します。これらの表現は単なる比喩ではなく、そのように絶妙な加減で力を入れたり抜いたりすることができているからだの在り方を、適切に言い表したものです。その意味において「賢いからだ」は、他者とうまく接することを、その土台として支えているのです。



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