ちくま新書

ドラマチックなレース、興奮と感動。
大人の娯楽はたった百円から
『はじめて行く公営ギャンブル』のご紹介(PR誌ちくま3月号より)

一流アスリートの鍛え上げられた肉体と卓越した攻防を堪能できる場所が全国にある。それが公営競技場。わずかな金額でも賭けるとなれば応援にもグッと力がこもろうというもの。選手たちの人間ドラマに思いを馳せながら、次のレースの展開を読む。勝ったらバンザイ、負けたらこんちくしょー。しかし、これはまるで名作小説の主人公の心境だ。酸いも甘いも知る大人だからこそたしなみたい公営ギャンブル入門。

「競輪は、やればやる程面白かった(略)迷いに迷い、その迷いの前には、あらゆる思慮分別というものは、実に無力であった。そして、全レースが終り、はじめて我にかえってみると、やり場のない憤懣に口をへの字にまげ、はずれ車券とよれよれになった予想新聞が砂塵に巻く中を、踵のちびた靴をひきずって帰っているのであった」
 上記は一九六四年に三五歳で没した小説家・能島廉の代表作「競輪必勝法」の一節だ。「競輪必勝法」は書評家の北上次郎もギャンブル小説の傑作のひとつに挙げている。しかし現在、親本(『駒込蓬莱町』一九六五年)は入手難で読むことは少々難しい。ただ、學藝書林「全集・現代文学の発見・別巻」に収録されているほか、休刊した文芸誌「en-taxi」三一号(二〇〇一年)が文庫本型の別冊付録として再録したものがある。
 その別冊の由来を同誌編集同人の坪内祐三が巻末に書いている。かいつまめば、同作に惚れた坪内が知己の編集者に文庫化を提案したものの賛同を得られず、自身が関わる雑誌の文庫サイズの別冊付録として実現したのだそうだ。
 競輪は伊集院静や阿佐田哲也が小説やエッセイの材にして知られているわりに、実際に競技場まで足を運び、車券を買って遊ぶ人は少ない。旅打ちで地方の競輪場を訪れ、その夜、立ち寄った近くの酒場でさえ、競輪のルールや展開を説明できる人にはなかなか会えなかった。
 だが、店の客に競輪の見方や経験を面白おかしく話していると、「面白そうだ、今度行ってみよう」という反応も返ってくる。そんな経験から、実はみんなやってみたいが、ルールや見方が分からないので遠ざけているだけかも、と気づかされた。興味があっても実践に結びつかないのは、いい歳をして誰かに「競輪ってどうやればいいの?」と改めて聞くのも気が引けるからではないかと思う。
 そこで私は競輪だけでなく、地方競馬や競艇、オートレースなど公営ギャンブル四種すべての見方、遊び方を中高年に一から説く本を出せないかと考え、企画書をいくつかの出版社に提出した。しかし乗ってくる者はいなかった。昨今の編集者の多くは公営ギャンブルに興味がないからだ。前出の坪内が味わった苦杯も、同じ理由に因すると思う。
 何度かの却下のあと、その企画書をちくま新書の編集者M氏が採用してくれ、成立したのが『はじめて行く公営ギャンブル――地方競馬、競輪、競艇、オートレース入門』という本だ。
 ギャンブルといえば、一日で大金持ちになったり全財産をすったりという胡散くさいイメージかもしれないが、公営ギャンブルは必ずしもそんなやくざな体験ばかり味わうわけではない。なぜなら投票券が一枚百円から買えるので、小銭でチビチビ遊んでいれば勝っても負けても大儲けや大損にはならないからだ。
 そして、その百円投票券を持っているだけでレースの興奮が高まり、当ったり外れたりでドラマチックな感情の起伏を経験できる。とはいっても、圧倒的に外れる場合が多いのだが。
 公営ギャンブル場には、いまだに古くさいスタンドがあり、場立ちの予想屋が声をはりあげ、昔っぽい食べ物を出す屋台のような食堂や売店が残る。銭湯や純喫茶、老舗居酒屋などに匹敵する昭和スポットであり、中高年になじむ遊び場だ。
 レースは選手の実績やデータからは割り切れない結果になる場合がままあるが、そんな不可解さの背後にある人間的な浮き沈みの事情に思いを馳せられるのは、人生の酸いも甘いも噛み分けた人間だけだ。だから公営ギャンブルは大人の娯楽なのだ。
 負けても楽しい公営ギャンブル。そんな場所に中高年のあなたも本書と一緒にいちど、足を運んでみませんか。
(ふじきTDC・ライター)

ちくま新書
はじめて行く公営ギャンブル―地方競馬、競輪、競艇、オートレース入門
藤木TDC 著
定価1034円(10%税込)