迷惑をかけあう社会に向けて

ケアってなんだろう?(前編) 

『ケアしケアされ、生きていく』の著者・竹端寛さんと、哲学者・永井玲衣さんに、ケアについて、また対話の大切さについて対談していただきました。ケアって福祉のことでしょ、自分には関係ないと(特に若い人は)思うだろうけれども、もっともっと身近で大事な概念なのだ。いつだって私たちはケアをする立場でもあり、される立場でもあるのだ。

体系だってないのがいいですね

永井 『ケアしケアされ、生きていく』を読ませていただいて、すごく包括的なのに体系立ってない、いい本だなと思ったんです。

竹端 包括的なのに体系だってない、その心は?

永井 体系立ってるというのは、もちろんいい意味の時もあると思うんですけど、ケアということと関連して考えると、とてもケアから外れるというか……。

竹端 はい。

永井 体系というのは、組み立てて構築して、これが来たらこうなるよねという、その必然性を見せることですよね。これさえあればいけるぜ! みたいに見えてしまうけれども、この本はそうじゃないですよね。竹端さん自身のもがきとか、わからん! とか、できなかったというため息がたくさん入り込んだ、包括的な本だと思うんです。そして、章立てが本当に素晴らしいと思いました。第一章の「ケア? 自分には関係ないよ!」っていうのは、私たちが一般的にそう思っちゃうことです。

竹端 僕も子どもが生まれる前には、自分には関係ないって思ってました。

永井 第2章で「ケアって何だろう?」とケアを探求的に書いて、第3章は「ケアが奪われている世界」と続きます。これは、すごく重要です。ケアということについて、私たちがここまでピンとこなかったっていうのは、ケアを覆い隠している何かがあるっていうことですから。最後に、「生産性至上主義の社会からケア中心の社会へ」で結んでいる。

この本を読んでいて、まず聞いてみたいと思ったのは、竹端さんは誰のことを考えながら原稿を書いていたのか、ということです。

20歳の学生たちに届く言葉で

竹端 本を書くときに、こういう人に読んでもらいたいなって届けたい相手を大体イメージしながら書くんですけど、永井さんの場合は想定読者って、いつも大体どんな風に考えてます? 

永井 誰のために書くかということと、誰に向けて書くのか、は違うと思っていて。全体として言えば、もちろん自分のために書くんだけれども、必ず他者に向けて書こうと思っているんです。割と具体的な人の顔を思い浮かべることが多くて、それは「哲学対話」で出会ってきた人とか、書くごとに変わります。一番に思い出すのは、ある高校で授業をした後に、一人の学生がやってきて「先生、私に考えるっていうことがあることを教えてくれてありがとう」って言われたことがあるんです。私、言葉を失ってしまって。その時に、私もそういう子どもだったっていうことも思い出したし、大人も含めていっぱいそういう人はいるなと思うので、その言葉を頭に響かせながら書くことが多いです。竹端さんはどうですか。

竹端 今回の想定読者ははっきりしてて、うちのゼミ生なんです。20歳ぐらいの、自分に自信がなくて、すごく周りのことを気にして、「他人に迷惑をかけてはいけない憲法」に縛られている学生たち。僕が教えてる大学にはそういう子が結構いて、それはうちの大学だけじゃないと思うんですけど、彼らに届く言葉を書こうっていうのがすごくあったんです。

2024年3月11日更新

  • はてなブックマーク

特集記事一覧

カテゴリー

竹端 寛(たけばた ひろし)

竹端 寛

1975年京都市生まれ。兵庫県立大学環境人間学部准教授。専門は福祉社会学、社会福祉学。主著は『「当たり前」をひっくり返す――バザーリア・ニィリエ・フレイレが奏でた「革命」』、『権利擁護が支援を変える――セルフアドボカシーから虐待防止まで』(共に現代書館)、『枠組み外しの旅――「個性化」が変える福祉社会』(青灯社)、『家族は他人、じゃあどうする?』(現代書館)など。

永井 玲衣(ながい・れい)

永井 玲衣

哲学研究と並行して、さまざまな場所で哲学対話を幅広く行っている。エッセイの連載、坂本龍一・Gotch主催のムーブメントD2021などでも活動。著書に『水中の哲学者たち』(晶文社)。詩と将棋と念入りな散歩が好き。

関連書籍