ちくま文庫

ムーミンが好き

キャラクターごとにムーミン谷の住人たちを紹介し、その魅力の源泉をさぐる『ムーミン谷のひみつ』。その刊行にあたり、自他共に認めるムーミン・ファンのお二人が、ムーミンをテーマに語りつくします。

孤独と自由と——
冨原 ムーミンの世界はたしかに暗いんですが、孤独だから暗いということではない。だいたい、暗いのはべつに悪いことではなくて、落ちついているとか、余計なものがないとか、無理に明るくしていないとか、そういう意味なんですね。それが自然といえば自然なわけで。自由であるということも、お気楽な意味で幸せとか運がいいとかでもなくて、自由の考え方が地に足が着いているというか。それがまた、その裏に責任があるとかいった実存主義っぽいむずかしい話でもない。それをなんとかああいう形で表したかったんだろうと思うんです。
 ヤンソンは子どもの頃を振り返って、いろんなものがなくて、けっこう貧しかった。でもお金のことが話題になることはなかったし、自分の家はすごく恵まれていると思っていた、と言っています。自分が辛い状況にあるとか思ったことはない、とっても自由だったと。それなんじゃないかな。
堀江 豊かだったんですね。精神的に。
冨原 堀江さんの『魔法の石板』を読み直していて、ペロスの孤独とムーミンの世界はちょっと通じているのかなと思いました。自分一人でいる孤独じゃなくて。
堀江 一人でいることが孤独かどうかというと、じつはそうではないんですね。だからムーミンパパは、家出して一人でいるときよりも、みんなの中にいたときのほうが孤独なんです。その孤独に触れたときに荒々しさも出てくる。周りに人がいないと孤独になれないということなんです。スナフキンもニョロニョロも、どっかに行ってしまえばそれでいいわけなんだけれど、戻ってくる。それは寂しいからではなくて、ほんとうに孤独になれなかったという負い目みたいなものがあって、人の中にいなければだめなんだと認識していたってことじゃないかな。モランというのが出てきますが、あの怪物にしても……怪物って言っちゃだめか、彼女、なんですよね(笑)。
冨原 そうです(笑)。
堀江 彼女が戻ってくるのも、そういうことじゃないかと思うんですよ。単なる人恋しさではなくて。まあ結果としては、それが出たかもしれないけれど。
冨原 ムーミン谷ってみんな、癒しだとか平和だとか愛情とかを求めて集まってくるんだけれども、そこで見いだされるのは孤独なんですよ。それがいちばん端的に表れるのは、『ムーミン谷の十一月』で、あの場合はもうムーミンたちはいない。でもいてもいなくても同じなんですよ。あの連中ってあんまり存在感なかったよね、どんなやつらだったっけってヘムルが言ったりする。つまり、そこらへんにある木とか自然みたいなものなんですね。
——孤独は、愛情がないこととは違うんですね。
冨原 一人で放っておいてもらえる安心感とか、でもなんか言いたいときが来たら、言ってもいいよ、だれかが聞いてくれるよ、という安心感。それと裏表なんですね。それが「自由」ってことなんじゃないかな。そこがモランとかニョロニョロみたいなちょっと寂しい孤独とは違う。でも最後にモランもムーミントロールと心が通うので。あれ、わたし大好きな話なんです。あの、モランが踊ったという。
堀江 ありましたね。
冨原 「砂の上で足をふみならして回り、ムーミントロールが来てくれたうれしさを、なんとかしてあらわそうとしている」。あそこを訳すときが最高に楽しかった。どう表現すればこの感動が伝わるかなと思って。

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