ちくま文庫

ムーミンが好き

キャラクターごとにムーミン谷の住人たちを紹介し、その魅力の源泉をさぐる『ムーミン谷のひみつ』。その刊行にあたり、自他共に認めるムーミン・ファンのお二人が、ムーミンをテーマに語りつくします。

島であり谷である不思議なトポス——
堀江 ムーミン谷の、あのトポスにすごく憧れていたんです。最初に地図が出てきますよね、宝島みたいな感じで。おさびし山という、あのネーミングにもずいぶんしびれました。原語はどうなっているんですか?
冨原 「エンスリガ・ベリエン」つまり「ロンリー・マウンテン」、そのまんまです。おさびし山って、いい訳だなあと思います。
堀江 そこに天文台があって科学的なことも行われている。人も住んでいるわけですよね。村というか谷というか。……僕はヤンソンの本のなかでは、『島暮らしの記録』が好きなんですが、あれを読んでびっくりしたんです。ムーミン谷って、じつは島だったんだと。
冨原 ああ、そうです。離れ小島ですね。西側は大海で、東側はおさびし山……。
堀江 地図では、おさびし山の向こうがわからない。あの向こうはどうなってるんだろう、とずっと思っていたんです。本の写真が衝撃的でね。遮るものが何もない、ほんと木も生えてない剥き出しの岩の島。それこそ「ひみつ」がわかった気がしました。
冨原 ヤンソンが子どもの頃に母親といっしょに夏をすごした、祖父母の別荘があるわりと大きな島があるんですね。そこは原っぱが広がっていて、ほんとうにムーミン谷の絵に近い感じなんです。でも後に彼女が暮らすようになった島の雰囲気も、後半になると入ってくる。ムーミン谷の心象風景も前半と後半で違っていて、スウェーデン的な緑の谷からフィンランドのきびしい岩の島に移っていく感じがします。
堀江 島というのは閉じられていて同時に開かれている不思議な空間です。境界線があって、ない。その曖昧さですよね。
冨原 ムーミン谷は孤島なのに橋がある。あるいは海があるのでボートに乗ってどこかに行ける。でも、そこに籠もったりもできる。たしかに、閉じていて、開かれているんですよね。
——『雪沼とその周辺』は堀江敏幸のムーミン谷だと書いた文章がネットにありました。
堀江 そうなんですか。それは……新説ですね(笑)。
冨原 でもたぶん、その方がおっしゃっているのは、いろんな人が一見独立して書かれているようで、なにか一つの空気を共有してたんだみたいなことが、徐々に分かっていくあたりが……。
堀江 なるほど。じゃあムーミンの影響は想像以上に強かったんだ。
冨原 ひとつの見方ですけどね、もちろん。でも短篇集『ムーミン谷の仲間たち』みたいな感じ、ちょっとだけしません?
堀江 うん、そうかもしれません。
冨原 ああ、ここがこうつながってたのか、みたいなところ。そこがとても面白かったな。それからこれは、文庫版の解説で書かれていたことですが、道具を通して人と人がつながるというのがあったでしょう。『島暮らし』では、家造りの過程でものすごくちまちまとした具体的な事柄、つまり建材の調達だとか建設許可をとるとか、そういうことを通して人がつながっていく、それをちょっと彷彿としちゃったんですね。
堀江 ものに着目して書いたりすると、人が出てこない、もっと人を描けと言ってくる人がいるんですけど、ボートひとつにしても、それを作った人の手の大きさとか手のひらの形とか、あるいは体格そのものが影響しているような気がするんですね。だからこの『島暮らし』でも、道具立ての話が出てきたりすると、わくわくするんです。そこに、人間が濃く現れるから。
冨原 堀江さんは、ミイのほかには、あの住人たちの間で誰が好きですか。
堀江 なんか、嫌いな人がいないんですよ、ムーミン谷って。それぞれみんな好きですね。スニフが好きだったときもあるし、もちろんスナフキンは今でも好きです。ムーミンパパもいいかなあ。さっきも言いましたが、いちばんアナーキーな感じがするんですね。狂気じみたところもあって。
冨原 私もムーミンパパが好きなんです。だから私の本の表紙はたいていムーミンパパです。今回は違いますが。ムーミントロールとミイがふたりでひとつ、という主張を込めて。それがいちばんの「ひみつ」だと思うので。
堀江 それにしても、ほんとうにムーミンはパパとママの子なんでしょうか。さっきの話に戻りますけれど、コミックスの通り、孤児で、もらわれてきたと考えるのがいいかもしれないとも思いますね。
冨原 どこにもムーミンママの出産の話はありませんしね。いつの間にかふっといる。あと、今回書き足したようなフィリフヨンカとかヘムルとか、類型的に見るとあんまり面白くない生きものが、私は好きなんです。だから堀江さんが嫌いな人はいないとおっしゃったのに、すごく共感しますね。
堀江 飛行おになんかも、好きでしたよ。
冨原 あれはねー。ムーミンママが、飛行おににパンケーキをふるまって、パンケーキを食べる人に悪い人はいないって話になるんですよね。その理屈がすごい(笑)。
堀江 飛行おにって、ほんとうに孤独なんですよね。何百年も、誰にも会っていないとか言って。それでいながら、ちゃんと会いに来るわけです。
冨原 恐れられるのに慣れている人が、だれも恐れてくれないのでびっくりして、うれしくなっちゃう。でもみんな、飛行おにさんかわいそうに、とか言うんでもなくて普通に接していて、それが飛行おににとって驚きなんですよね。妙に優しくはない。あ、泊まるの、じゃあベッド作っとくわ、みたいな感じでね。ぜひここにいて心を癒してくださいみたいなことは、絶対に言わない。そのへんも好きだな。
堀江 甘くない。そこがいいんですよね。

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