単行本

優劣のかなたに ——大村はまの「本懐」

 大村はまは、明治三十九年、横浜に生まれ、草創期の東京女子大に学び、その後の五十二年間を、公立学校の現場の、一介の国語教師として過ごした。 退職後も、おそらく死の前日まで、ひょっとすると死に直面する瞬間まで、一国語教師だった。今から二年前の四月、九十八歳で死去。最期の枕元に「優劣のかなたに」という詩を残した。
 私は、昭和四十年代半ばに、大村教室の生徒だった。あの授業の面白さ、魅力、大変さや苦しさ、あたたかさは、今も忘れがたい。その記憶と、晩年の大村と過ごした日々を頼りに、大村はまのひととなりと思想・仕事を概観できる本を作ってみようということになった。無謀な試みである。それでも、かつて大村教室で学んだことを役立てながら、その無謀を、こつこつとあせらず、手堅く、誠実に、突き崩していく以外ない。
 まずは、大村の著書を読み返して、「これこそ、大村はまだ」「こういう視点が大村教室の基盤だ」というようなことばに出会うたびに、どんどんとポストイットを貼っていった。本はあっという間にポストイットの満艦飾になり、気まぐれにいろいろな色のものを使ったから、まるで南国の鳥のように変身した。仕事のこういう段階では、価値判断や取捨選択をせず、まずは勢いを大事に、心の動きをできるだけ全部拾い上げる、早すぎる価値判断は後で後悔の元となる、と大村に習った。とにかく、気になったらポストイットである。大村は、ポストイットが世に登場すると大喜びして、即座に必需品の中に加えた。大村の死後、部屋の片付けをしたら、使いかけのポストイットが、あちらからもこちらからも、ぽろぽろと出てきた。それを私は拾い集めてもらってきていた。それが、役に立った。
 一冊読み終えるごとに、ポストイットの貼られた箇所を全文、パソコンに打ちこんでいった。エクセルを使った。本の題名を記号化したものと、ページ数を添えて、文章をまるごと打ちこむ。昔、大村教室でこういう仕事をしたときは、わら半紙を切った短冊状のカードに、鉛筆で書いていったものだった。わら半紙がエクセルになっても、基本は変わらない。ただし、分類、並べ替え、コピー、検索ということが自在にできる分、仕事は楽になった。大村のことばが百ほども集まったあたりで、ああ、大村はまという人がこのことばの中にちゃんと生きて残っているのだ、とわかった。
 そうやって、四十冊を超える著書を読み、千数百のことばが集まったところで、全体を眺めたら、それはそれは壮観だった。小柄な人であったけれども、実に大きな人であったと今さらながら実感した。分類と整理を繰り返し、なんとか六十のことばにまでしぼった。それぞれに、できるだけ異なる角度から解説文をつけた。私は大村の晩年、傍らで手伝いをする機会が多かったために、私自身が宝もののように思って大事にしてきたエピソードも少なくないのだが、それらもこの際だからと、もったいながりながら書いてみた。
 そうやってできたのが、この『優劣のかなたに——大村はま60のことば』である。優れた力と物事を見る真っ直ぐな目をもった一人の人が、百年近くをひたすらに生きたら、何がどれだけできるのか。ことばを育てることの醍醐味と難しさ。教えるという仕事の、意味深さ。どれほど未来に通じ、ひとりひとりの子どもの生涯をささえる可能性をもっているか。それらが伝わることを、今は祈るばかりだ。教育という仕事の価値を、この難しい時代にもう一度真正面から高く評価するきっかけになってほしい、と、これは望みすぎだろうか。
 六十のことばを中心に据えてはいるが、解説の中にも多くの引用をした。それで、合計百五十かそこらの「大村はまのことば」がこの本には並べられたことになるが、その最後の一つとして選んだものの結語に、「本懐である」ということばが使われている。それが、どれほど見事に、凜と静かに、使いこなされているか。ひょっとすると、大村はまは、日本語の歴史の中で、この「本懐」ということばを使いこなした最後の人ということになるかもしれない、そんな気がする使いっぷりである。そのことばに出会うことを楽しみに読み進めていただければと思う。

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